人材育成 「江戸時代の養育法」 2/2

「叱って育てる方が良い」と「褒めて育てるほうが良い」

少し前までは「褒めて育てる方が良い」が流行っていましたが、最近は「褒めて育てる の弊害」が色々と取りざたされているようです。

「叱る、褒める」のどちらに対しても、しっくり来ないので江戸時代はどのようにしていたのかを調べてみると、年齢に応じて習得すべき中身を定めていたようです。 

【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

「年齢に応じた」は、明らかに脳の発達段階に応じた方法。
脳の科学的知識もさほど蓄積されていない江戸時代において、体験を持って習得していた「子供の養育法」。
現在社会でも見習うべきという思いを強くしました。

同時に、「厳しく叱るとやる気を失う」、「褒めて育てると自主性を失う」等、即、「二元論に陥ってしまう」があまりにも表層的であることに改めて気がつきました。

リンクより

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【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

○才覚が見える時期 【九つ言葉】
数え年の九歳までに、どんな人にも失礼でないあいさつができるようにします。商家の子であれば九歳になったら「さようでございます」などと、おとなの言葉や世辞が言えるように育てます。江戸商人の才覚や将来性はほとんどこの時期に決まります。このころになるともう判断力もありますから、悪いしぐさも出てきます。

あいづちしぐさは相手の話をよく聞き、理解してうなづくものですが、本当にわかっていたいのに「うんうん」とあいづちを打つのはよくありません。あまりにもお母さんがうるさく小言を言うと、子どもはイヤになって、返事をしなかったり、空あいづちをうったりします。

-略-

○一人前のことができる時期 【文十二】
数え年で十二歳になったら、主の代書ができるようにします。注文書や請求書、苦情処理書まで書かせたそうです。商家には、万一、主が亡くなっても跡取りがすぐに代行できるよという用意周到さが求められました。

数え十二歳は、満十一歳。今なら小学校5,6年生です。今の子は学校でも知識、塾でも知識、知識を詰め込まされている毎日でしょう。人間として最も必要な常識や知恵は、置き去りにされているのではないでしょうか。

○末を志す時期 【理十五で末決まる】
数え年で十五歳にもなると、ものごとの道理が理解できるようになります。
道理とは、ものごとがそうなっている理由のことで、理ともいいます。

理を追求すると心理、原理、条理、物理、論理などの難しい言葉が出てきますが、身近なところではおいしい調理や料理も板前さんの修業があって極められたものですし、義理や無理は人の道の上にあることです。経済、物理、化学、心理学など森羅万象が、実感として理解できるのはこの時期で、孔子がいう「十有五にして学を志す」というのも、この年齢になると人に言われなくても、自分の行く末がわかって「志」をもつようになる、ということです。

この年齢までには、完全に躾はくせになって身についていて、いっぱしのおとなです。武士の子ならば、おとなへの仲間入りを示す元服式を行って祝います。

著書「子どもが育つ 江戸しぐさ」越川禮子より抜粋

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加藤俊治

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人材育成 長期的・全体事象を踏まえた養育基準

325673 人材育成 「江戸時代の養育法」 の続きです。


叱る場合であれ、褒める場合であれ「なぜか?」が不可欠。かつ、対象に対する短期的・部分事象だけでなく、長期的・全体事象を踏まえて人材育成を行う必要がある。

当然のことながら「長期的・全体事象」を踏まえる必要があると判断するなら、長期的で、かつ、全体事象を貫く「なぜか?」が必要となり、当然のことながら短期的・部分事象を捉えた時よりも普遍性の高い「なぜか?」が求められる。

上記から江戸時代における養育
【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】
は理に適っていると思います。

この江戸時代の養育基準をうち、現在社会においても最重要で、かつ、最も欠けているものは「三つ心」。

「三つ心」とは
新生児の状態で、何も施さなければ(こんなことはありえないですが)潜在思念の蓄積度合いの違い(「本能:約35億年、共認:約3500万年」)により、狼に育てられた少女の例のごとく、本能が突出し共認動物の態をなさなくなります
 
潜在思念の本能・共認の共認部分を生起させるためには、母親のみならず新生児を取り巻く人々の言動が非常に重要で、新生児とこれらの人々との期待応合関係が成立するかどうかで「心」は決まると推察されます。

幕末から明治にかけて多くの外国人が来日し、「日本は子供天国、大人が子供になって子供と遊ぶ、全ての人が喜んでもらう言動を示し、喜ぶ姿を見て自らも喜ぶ」等の記録から考えて

江戸時代の人々が、3歳までに習得して欲しいと思っていた「心」とは「あまねく人々の期待に応える情動」ではないかと思います。

加藤俊治

 

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“脳の成長”に大きな差をつける、母親の接し方

リンク

 だれもが何となくわかっている幼児教育の大切さですが、幼児教育というとどんなことを思い浮かべるでしょうか?
文字やアルファベットが書けるとか計算ができるということでしょうか? 教育というと、親はどうしてもこういった知識のことを思い浮かべ、IQや学力が高いことが大切なのだと考えがちですね。
でも、実はそうではないということが、これも科学的に実証されています。
確かに幼児期にいわゆるお勉強をさせれば、小学校入学時の学力やIQは高いのです。これらテストなどで計れる能力のことを「認知能力」と言いますが、この認知能力は、8歳くらいには、特に幼児期に勉強をしていなかった子達と差がなくなるのです。
ですから、ここでいう親の愛情やサポートというのは、決してお勉強をさせなさいということではありません。
大切なのは「我慢強い」とか「思いやりがある」とか「協調性がある」とか「好奇心旺盛である」とか「自己肯定感が高い」というような、なかなかテストなどでは測りにくい「非認知能力」と言われるもの。そしてこれらは、まさしく親の愛情やサポートで身に付くものなのです。
ただし、愛情のかけ方を間違えると逆効果になってしまいます。

絶対NGな愛情のかけ方
*子どもを守り過ぎ言いなりになる過保護な愛情のかけ方
子どもがかわいくて仕方がないからと、世話を焼き過ぎたり、危ないからと自由に遊ばせなかったり、子どもがほしいと言うものを何でも買ってやったり、子どものわがままを何でも聞いてしまうような過保護な接し方はNGです。
*親の思い通りにコントロールしようとする過干渉な愛情なかけ方
子どもに親の価値観を押し付けたり、親の敷いたレールの上を歩かせようとしたり、「こうしなさい」「ああしなさい」といつも先回りして指示してしまうような、過度に干渉し過ぎる接し方はNGです。
 子どもの脳はチャレンジすることや経験することで学んでいき、自分で考えて行動することで成長していきます。守り過ぎたり干渉し過ぎると、脳は十分に成長することができず、非認知能力だけでなく、知識を得るための理解力や記憶力といった認知能力も育ちません。

 匿名希望

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子育ては共働きのほうがメリットが大きい!

共働きによる子育て世帯が増えている中、子供と接する時間が少ないと子供にとってマイナスになるのではないかという声もありますが、実際はその逆で共働きのほうが子育てにはメリットが大きいようです。

以下引用サイト
リンク

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共働きは家計にゆとりがでる一方、子育てに十分に時間をかけられないという側面もあります。自分が働くことが子どもにとってマイナスになっていないか、不安を覚えるママも少なくないでしょう。 結局のところ共働きは子育てにプラスなのでしょうか? マイナスなのでしょうか? 1児を育てるワーママで、企業の働き方コンサルティングを担当する、堀江咲智子さん(ワーク・ライフ バランス)に聞きました。

■共働きはメリットだらけ?

ちなみに、堀江さん自身は“共働き賛成派”。その理由は大きく2つあるといいます。ひとつ目は、やはり経済面でのメリット。 「正社員が2回育休を取り、復帰して定年まで働き続ける場合と、お子さんが生まれたタイミングで一旦離職をして、パートタイムで復帰するのとでは、経済的に2億円の差がつくと言われているんです。今の時代、夫だけが働いてその2億円を稼ぐのは難しいですよね。また、共働きだと夫の転職を素直に応援できます。私の主人も何回か転職をして独立したんですが、もし自分が専業主婦で夫から『独立します』って言われたら、反対しただろうなって思います。安定性を求めて、『もうちょっと会社員をやった方がいい』って説得に走っていたかもしれません。でも、自分が働いていれば、多少不安定でも『私の稼ぎでなんとかすればいいか』と思える。妻として、『夫に提供できる選択肢』が増えるじゃないでしょうか」(堀江さん、以下同)

■保育園通いで多様な子育てに触れる

そして、二つ目は精神面。子育てのみに没頭せず、「ママ以外の時間」を持つことで心のバランスを保ち、より子どもに愛情を注げるようになるといいます。 「我が家には三歳の男児がいますが、たとえば『どうやって走ったら靴にこんなに砂が入るんだろう…』などと、ついあきれてしまうこともあります。これが1日中続くと、すごくしんどいだろうなって。でも、仕事をすることによって、母親以外の役割を持つことができる。視野が狭くなり過ぎないという意味で、大きなメリットがあると思います。

 仕事が終わる頃には、“子どもに会いたいモード”になって、保育園に迎えにいってギューギューして癒される、それから翌朝仕事に行くという生活は、大変かもしれませんが上手くバランスを取ることさえできれば、精神面でもメリハリがついて生活も充実するのではないでしょうか」 不機嫌モードで長時間をともに過ごすより、限られた時間だとしても愛情をたっぷり注いであげられるほうが、子どもにとっても幸せなことかもしれません。

さらに、働くことでママが陥りがちな“孤独感”が薄れることも、子育てにプラスだといいます。 「子育てだけの生活だと、子どもと1対1で向き合わないといけないので、ママはどんどん孤独になってしまいます。それによって、必要以上に他の子と自分の子を比べたりとか、育児書と比べたりと、少ないサンプルのなかで、比較に走ってしまいがちです」 共働きは子育てにプラス? マイナス? しかし、保育園に通わせることで子育ての視野も広がる、と堀江さん。

 「保育園に通わせると、本当にいろいろな家庭の子どもが集まっていて千差万別。いろんな子どもがいろんな事をして、自由気ままに遊んでいるようだけど、他者との関わりも生まれ始めます。集団の中で、自分の子どもが母親以外の刺激を受けているのはすごく助かるし、私自身も『よその家の子と比べてどうこう』って思わなくて済んでいるのは、多様な育てられ方をしている子どもを見ているので、“正解はないんだな”と思えているからです」

 保育園で他者と関わることは、人間関係づくりの入口。子どもの成長を促すという点でも意義深いことといえます。共働きはママのためだけでなく、ある側面においては子どもにとってもメリットが大きいといえそうです。

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西本圭

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「3歳児神話」の亡霊…保育園は悪? 12年の追跡調査でわかったこと

(以下引用)―――――――――――――――――――――――――――
(リンク

 「小さな子どもを保育園に入れるのはかわいそう」だと、あなたは感じますか? いまだに多くの母親を悩ませている「3歳児神話」。幼い子どもがいる母親が働くと、子どもの発達に悪影響が出るのではないかと、心配する人が少なくありません。お茶の水女子大の菅原ますみ教授(発達心理学)は「子育ての正解は家庭ごとに違う」と言います。今も根強い「神話」について、どう考えればいいのでしょうか?(聞き手・長富由希子)

発達への悪影響の心配は日本社会に広くあります。ここ数十年に働く母親が増えた米国など、様々な国で同じ心配がされました。本当に悪影響が出るのか。様々な実証研究がされています。
米国立小児保健・人間発達研究所は、全米の新生児約1300人を1991年から5年間追跡。母親だけで育てた場合と、保育サービスなど母親以外の人も含めて育てた場合とで、子どもの発達に有意な差はなかったとの結論でした。
私が国内の269組の母子を12年間追跡した調査でも、3歳未満で母親が働いても、子どもの問題行動や、子どもに聞いた母子関係の良好さ、母親に聞いた子どもへの愛情への悪影響は認められませんでした。

■親が仕事、良い影響も
過去50年間の各国の研究を統計分析をした2010年の米国の研究でも、母親の就労と子どもの学力や問題行動は基本的に関係がなかった。近年では、親が仕事に子育てにと複数の役割を持つと、リフレッシュや成長につながり、子どもにも良い影響を与えるとの研究も出ています。

 こうした研究は、母親が子育てをしなくていいといっているわけではありません。子どもには、必要な衣食住を満たし、スキンシップを含めた温かいコミュニケーションを取ってくれる人が必要です。
1歳半ごろからは、社会のルールを学ぶ必要もある。様々な研究から言えるのは、こうしたことを母親だけでやらなくても大丈夫だということです。

■「我慢して当然」子どもにも悪影響
一方、発達に悪いと実証されていることがあります。子どもに近い人のメンタルヘルスの悪さです。父母が不安を感じていたり、イライラしていたりすると、子どもに温かく接することが難しくなり、それが子どもの問題行動を引き起こす恐れがあると言われています。
このため、母親が主に子育てをする場合も、母親の「自分の時間」が必要です。「お母さんなんだから我慢して当然」というまわりの意識は母親を追い詰め、子どものためにもなりません。
時代は変わっています。若い世代の年収は減り、雇用は不安定で、年金の先行きも暗い。専業主婦は夫との離死別で生活が苦しくなる恐れが相対的に高い。家計のリスク管理の面からも働く母親が増えています。
家庭によって状況は様々なので、子どもの育て方の正解も家庭ごとに違います。大切なのは、どんな家庭に生まれた子どもでも、その24時間をどうすればつつがなく温かく満たしていけるのか、親や社会が真剣に考え、実現していくことです。

穴瀬博一

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子どもにすべてを教えない!~0歳からも教えない教育~

子育てをする中で、いろんな世代の子ども達と触れ合わせてもらっています。その中で、子ども達の創造する力には、いつも「はっ!」とさせられます。

 紙や段ボールがあると、小学1年生の男の子はそれで体育館の模型を作りはじめました。体育館の中にはバスケットのゴールがあり、また、体育館の外には駐車場もあり、どこまでも具体的に作っていきます。また、その隣の3歳の男の子は、同じ材料でお弁当をつくりはじめました。なんの変哲もなかった、紙や段ボールが、こうやって子ども達の手にかかれば、何にでもかわります。

 ああしなさい、こうしなさいと言わなくても、子ども達の中には潜在的に創造する力が備わっていて、いかにその力を失わないような環境を作ってあけられるか?日々、探索中です。

 子どものためにあれやこれやしたい気持ちはわかりますが、「見守る」ことが何より大切なのだと気づかせてくれた書籍の一部を紹介します。

小竹めぐみ・小笠原舞 著「いい親よりも大切なこと」からの引用です。

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(引用開始)
P20~21

○子どもにすべてを教えない

◆子どもの特権は知らないこと

想像してみてください。
今、子どもと遊んでいるあなたの目の前にタンバリンがあったらどうしますか?
タンバリンの白い面を「パーン!」と叩いてみせますか?枠についている小さな銀のシンバルを「シャリン、シャリン」と鳴らしてみせますか?

これは大人からしたら、何気ない行動ですよね。
でも、この些細な行動こそ、子どもが本来持っている「自分で考える力」を失わせてしまう可能性があるのです、と言われたら・・・・?

私たちが主宰する「おやこ保育園」でのこと。
“すべてのことを教えよう・手伝おう”という意識を持たずに、子ども達の前にタンバリンをそっと置いてみました。すると、興味深いことが起こったのです。

 0歳のTくんは、タンバリンに自ら近づくと、眺めたり舐めたり、手で転がしたり、タンバリンに夢中です。しばらく遊んでいると、「あっ」という表情をみせてくれました。そう、自らの手で“音が出る”ということを発見したのです。
そういう姿に出会うたびに、心が躍ります。今、大人の社会で必要だと叫ばれている「自分で考える力」の芽は、「すでにここにあるんだ!」と。

彼らはまだ、楽器という存在さえ知りません。
「これは○○だよ。こう使うんだよ」と教えなければ、大人が思う以上に、枠を越えた使い方や遊び方が生まれていったり、自分で答えを出せるようになるのです。

(引用終了)

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先回りして枠を作ってしまうか、子どもの潜在能力を引き出してあげられるかは、周囲の大人たちの振る舞いにかかっています。

子ども達と一緒に、枠を越えて創造力を磨いていきたいです!

久保田彰子

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勉強とは限らない、子どもの「得意」を探せ!~子どもが”化ける”瞬間を見逃すな~①

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小学校低学年から高学年、そして中学生へ……。周囲に私学を受験する子も増える中で、わが子の成績や先々の進路がまったく気にならない親はいないだろう。どうすれば少しでもいい点が取れ、より上位の学校に進学できるのか。そもそも子どもにやる気を起こさせるには?
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●子ども時代に、何をなすべきなのか?
小さい頃から、多くのワークショップに参加できるというのは、幸せなお子さんですね。数年や年に数回、大きなイベントがあったときに参加する子はいるかもしれませんが、年間30回ものワークショップに参加するという人はあまり見掛けません。

しかし、ご質問の焦点は、ワークショップの多寡というよりも、お子さんを今後、何でもできる子か、それともある能力を引き出して突出した子に育てていくか、ということですね。

●昔の子どもはただ遊んでいただけ?
この質問を受けて、ふと私自身はどのような幼少期、少年期を過ごしていたのか考えてみました。

約30年前、私の子ども時代は、今のようにワークショップや習い事で満ちあふれていた時代ではなく、学校から帰ってきたら友達と近くの公園や広場で野球などをして遊ぶのが通常でした。

習い事は小学生のときに習字をしていたぐらいです。高学年ではいわゆる塾に行きましたが、それほど勉強したという印象はありません。それよりも休日は家族でドライブをすることや、公園でスポーツなど、家族中心の行動が非常に多かったことを思い出します。

●人間関係を学ぶ機会はあるか?
このように振り返ると、現代っ子のように英語、水泳、体操といった高貴(?)な習い事はいっさいしていませんが、私は多くの人とかかわる中で、生きていくうえで非常に重要なこと、すなわち人間関係のあり方を学んだ気がします。人はどのように感じ、どのように行動するか、人間のよい面も悪い面も学んだように思います。

一方、最近の子どもの遊びといえば、友だち同士集まっているのに、ゲームをオンラインで楽しむといった、私の幼少期には想像もできなかったような光景が見られます。もちろんゲーム自体を否定するわけではありませんが、人間同士の触れ合いやぶつかり合いが減り、さまざまな物事への興味関心が湧きにくいように思われてなりません。

ご質問者様も現在の子どもを取り巻く環境について、こうした危機感を持っているのかもしれません。ですから、「子どもに多くの経験や体験を!」と考えることは極めて自然なことだと思います。今、都内など各地で行われるさまざまなワークショップに子どもを参加させたり、ピアノ、英語、体操、そろばんといった習い事に通わせる家庭が増えてきたのは、そうした背景とも無関係ではないように思います。

しかし、ここで極めて重要なことを知っておく必要があります。それは「教育は、何を教わるかではなく、誰に教わるによって決まる」ということです。

どのような習い事や塾でもかまいませんが、これらはほとんどすべて「人」が教えるものです。その「人」の影響を子どもは大きく受けます。才能が開花しプロの道へ進む子もいますが、それもその「人」との出会いがあったからこそ、ということも非常に多いと思います。

●子どもが化けた瞬間に遭遇
私が見た、子どもが“化ける”瞬間!
人は生まれたときに最低3つの才能を与えられていると言います。しかしその才能が学校での主要教科の英・数・国・理・社に「入っていない」可能性は極めて高いでしょう。もしこれらの教科で才能を与えられていれば、学者などになりそうなものです。英語が得意であれば語学の達人である翻訳者、通訳者になるでしょうし、国語が得意なら作家になるかもしれません。

しかしこのような職業に就く人は、全体から考えるとごくごくまれですね。それよりも、モノを作ることに長けていたり、人とのコミュニケーション能力が優れていたり、はたまた起業して新しいことを生み出す才能を持つなど、学校教科以外での才能を持っていることが多いのです。

現在の高校入試、大学入試では過去に比べ、入試科目に弾力性が出てきましたが、まだまだ英語を必須とした主要教科に焦点が当てられています。それができないと、自分には何かが大きく欠けているような錯覚すら感じて落ち込む子もよく見かけます。

しかし、人間の能力というのは、勉強では推し量れないということは、社会に出ればすぐにわかることです。ですから、それよりも、子どもが何に強い関心を持つか、そして指導者として誰と出会うかという点が重要になってきます。そうすると、何らかの分野で“化ける”瞬間がやって来るものだと感じます。

私が指導した生徒で、次のように“化けた”2人の生徒がいました。

中学2年生に竹内さんという女子がいました。彼女は勉強ができずオール2に近い成績でした。竹内さんは教えてもすぐに忘れてしまうという傾向があり、成績を上げることは非常に困難だと思われていました。しかし、あるとき彼女と話をしていて、絵を描くことが非常に好きだということがわかったのです。そこで美術の成績で最高得点を取ろうということを話し合い、どのようにしたらさらに上手な絵が描けるかということを一緒に勉強しました。

通常、学習塾では美術は教えませんが、美術で5を取るための努力をした結果、半年後についに5が取れました。そしてその後、勉強そのものにも自信をつけていき、日々生き生きとするようになったのです。
                        
                        ②へ続く・・・
            
リンクより

井垣義稀

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勉強とは限らない、子どもの「得意」を探せ!~子どもが”化ける”瞬間を見逃すな~②

①の続き・・・

●「できる」という錯覚が、意欲に変わる
その後、彼女は教えたことをすぐ忘れるというハンディキャップを持ちながらも、高校へ無事に進学しました。高校進学後は美術大学に進み、「絵を描く」という才能を生かしながら人生を歩んでいます。

もうひとりは、岡田君という男の子です。中学2年生のとき学校成績がオール3ほどで、私が指導を始めたのですが、1年後の中学3年時にオール5へと劇的に成長しました。このような極端な例はめったにありませんが、結果として多様な教科でバランスよく成績を収めた例としてご紹介します。

彼は非常に素直で、言われたことをすぐに実行するという特徴がありました。私が言うとおりの方法で勉強をこなしていき、比較的短い期間で成績が5へと上がったのです。その要因は、効率的な勉強方法を知ったこともあったのですが、実は、別のところに大きな理由がありました。彼のよい点を見つけ、徹底して褒めていったことで、彼は変わっていったのです。

1問正解したら褒め、できなくてもしからずに教えて、理解できたら褒めていきます。そうするとそのうちに「自分はもしかしてできる人間かもしれない!」という錯覚に陥るのです。

初めは錯覚でも、それが継続していくと、成長意欲が出て、やがて本物の意欲になっていきます。もちろん指導者との信頼関係があることが前提ですが。彼の場合、中学生の段階では、まだこれといった得意分野や専門的な方向性は見えなかったため、複数の教科で満遍なく成績を高め、そして高校進学以降に将来の方向性を見つけていくことにしました。その後、彼は自らの方向性を見いだし、今はエンジニアとして頑張っています。

●親がなすべきこと
バランスよくこなす子か専門的能力を持つ子か、どちらが好ましいかということには、実はあまり意味がありません。人は皆それぞれ才能が違っていますし、生育環境が異なるため、一様に決めることはできません。

幼少期にある才能が開花する子もいますし、大器晩成で後々開花する人もいるでしょう。しかし、次のようなことを親御さんが意識する、しないとでは、才能の開花度合いが大きく異なるということは間違いなく言えます。

才能は通常、「得意なこと」「好きなこと」「(他者からみた)長所」にあります。それを上手にサポートしてあげると、”化ける”子が誕生します。

しかしこれがなかなかに難しいのです。人間は、人の短所を見る傾向があり、長所には目がいきにくいものです。

もちろん親として、子の生活習慣を正すことや、道徳的問題を正すことは必要です。しかし、親という立場になると、本来、そこまで口やかましく言うほどでもない雑多な事柄、短所が目につき、それをいじってしまいます。そうして勉強どころか、家族関係までもが悪化するような事態に陥りがちです。

子どもは本来、好奇心旺盛で、関心事は刻々と変わっていきます。そうした関心の連鎖の中で、親としてはそれらを否定するのではなく、応援していく姿勢が必要です。

親の思い込みや見栄によって、子どもを誘導するのではいけません。親自身が周囲の情報に振り回され、右往左往して子どもを不安がらせることなく、「子どもの人生のために適切な環境をつくる」という決意さえすれば、やがてお子さんは自らの最適な進路を自立的に選択していくはずです。
            
リンクより

井垣義稀

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保護者も運営に参加する、たつのこ共同保育所

1977年から共同保育を実施している川崎市の「たつのこ共同保育所」保護者も保育所の運営に参加し、一緒に保育園の在り方について考える面白い保育所だ。園長も順番交代で受け持ち、保育園というよりも皆で運営も子育てもする大きな家族というほうが感覚に近い。子ども達も伸び伸びとしているようです。

~以下引用~
リンク

たつのこ共同保育所は、”共同保育”つまり、保育者と保護者で共同で保育を行う場所。川崎市認定の保育所だ。

保育者と保護者、というか母親が共同で。そこに理念が凝縮されている。

実は自主保育でも保育者がつく例もあった。野毛風の子はたまたまいなかったが、保育者がいた時期もあるそうだ。記事にしてないが他に取材した自主保育では保育者がいた。

共同保育の場合、保育はあくまで保育者が仕事として受け持つのだが、保育所の運営は保護者と一緒に行うのだ。

もちろん、フルタイムで働く母親は運営にも関わりにくい。そういう参加も全然ありだ。普通に、働く間に子供を預かってもらうためにたつのこを利用するのもあり。働いていてもパートなどフルタイムじゃなかったり時間のやりくりがつく人は、運営に関わる。運営と言っても、事務をしたり雑用をしたりといった、保育以外のあらゆる必要な作業を受け持つ。できる範囲で、できることを行う。保育まで背負うと大変なので、そこは保育者に託す。

フルタイムで働いて預けるだけの保護者も含めて、月に一回の運営会議には全員出席する。そこが共同保育の最重要な要素だ。保育所の運営を話し合う。あるいは、その時々で気になったことなどを述べる。一方的に預けるのではなく、”関与する”のがポイントだ。保育所を、一方的にサービスを受ける場だととらえずに、一緒にどうしたらいいかを考える。

驚くのは、園長はいない。いや、いるのだけど、便宜上保育士の資格を持つ保育者が順番に引き受ける。ある意味、建前上の園長。基本的に上下関係がなく、まったくフラットな関係なのだ。そこは自主保育と似ている。

保育の姿勢は、”伸び伸び育てる”ということ。だから、やたらと子供たちに介入しない。基本的にほっておく。もちろん保育者は面倒を見ているのだけど、あれやっちゃダメこれやっちゃダメということではない。これも自主保育と同じだ。

匿名希望

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スキンシップのススメ

スキンシップは重要→当然といえば当然なのですが、現在の多くの母親は、乳幼児期を過ぎ小学校に上がると、子供同士の相対比較や学校のテストの点数が気になりだし、それまでのスキンシップ=肯定視から一気に「叱る」=「否定視」に走る傾向にあります。

今一度、スキンシップの効用を押さえた上で、再度のスキンシップをお勧めします。
さらに重要なのは、形態だけでなく「心の有り様」も以前の状態を再現することだと思います。

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抱きしめられずに育った子供は自己肯定感も他者信頼感も低くなるリンクより

そんなの叱ったってムダ。そういうときはスキンシップ

あるママさんに聞いた話です。1年生の三男が落ち着きがないので、いつも叱っていたそうです。

そんなある日、自分の小学校の同級会があって、その席で子育ての話で盛り上がりました。そのママさんも大いに日ごろの愚痴をこぼし、とくに三男のことをしゃべりまくりました。すると、それを聞いていたある同級生が言いました。

「そんなの叱ったってムダよ。そういうときはスキンシップよ。いい子いい子してあげたら? 頭をナデナデ、チュッとキスして、それからハグハグ、優しく抱きしめて、ほっぺたをスリスリ」

実は、その同級生は小学校の養護教諭だそうで、その後もスキンシップの効用をひとしきり語ってくれたそうです。ママさんは、「なるほど」と思いつつも半信半疑だったそうです。でも、毎日たくさんの子どもたちに接している養護教諭の話ですから、「試しにやってみよう」という気になりました。

次の日は日曜日で、朝から3人の息子たちがそれぞれやりたい放題です。とくに三男はたびたびお兄ちゃんたちとのけんかを引き起こしました。それで、ママさんはぷつんと切れそうになったのですが、そのとき昨日の話を思い出しました。叱る代わりに三男を抱きしめ、ほっぺとほっぺをスリスリしました。そして、しばらくそのままの状態をキープしてから、放してあげました。

すると、三男は不思議そうに首を傾げながらもニコニコして遊びに戻りました。その後は妙に落ち着いて、丸1日けんかもなく過ごしたそうです。

ママさんはその効果に驚き、それからは叱ることを極力やめて、子どもたちとのスキンシップを心がけるようになりました。すると、家の中が以前とまったく違う雰囲気になってきたそうです。

スキンシップの効果については、多くの専門家が指摘しています。まず、身体全体で親の愛情を実感できるので、子どもの心が満たされて安定します。当然けんかも減ります。

「自分は受け入れられている。愛されている」と思えるようになるので、自分の存在を肯定できるようになります。つまり、自己肯定感が持てるのです。それによって、遊び、生活習慣、勉強など、何事においてもがんばるエネルギーがわいてきます。

また、親に対してはもちろん、親以外の他者も信頼できるようになります。つまり、他者信頼感です。それによって、人とよい関係が築けるようになります。

スキンシップが足りないまま育つと、自己肯定感も他者信頼感も今ひとつという状態になります。すると、がんばるエネルギーもわいてきませんし、兄弟や友達とよい人間関係を築きにくくもなります。

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 加藤俊治

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