子どもたちの生き生きした表情が羅針盤

 友だちと集まれば子育ての話になるし、特に小中学校で精神バランスを崩す子どもの例は事欠かない。

聞けば聞くほど、子どもも大人も窒息しそうな深い苦しみの中にいる。誰も望んでなかった泥沼に足を踏み入れるのは、いつからだろう、どんなきっかけなんだろう。考えるてみると自分が子育てする中にも、この延長線上かもと感じる場面がある。

簡単なところでは、大人の経験や理屈を元にした生活に陥った時。
特に働きながら子育てしていると時間は自分に対しても大きな圧力になるし
「○時までに布団に入るよ」、「あと○回したら明日の準備ね」など、よく言っている。
一見、家族全体の生活を実現しているようでいて数字の根拠に大人の経験や理屈はあっても、子供たちの心や期待は対象化していない。掛ける言葉が一方的で絶対であると、子供たちの顔には従い諦める表情が浮かぶ。

反対に、何がしたかったのか、どんな思いだったのかなど、ピッタリくる期待の言葉に置き換えてあげたり、「こうしたい」にとことん付き合った時は、分かりやすく生き生きした表情が見える。

  どんな言葉を介そうとも、相手と交えたいのは何より期待応望であり、存在への寄り添い。けど、数え切れない諦めや思いの消化不良、期待応望との断絶が積み重なっていくと、いつしかあらゆる物事が苦しみとなり生きる気力を奪うものにすり替わるのではないか。

掛けた言葉、発された言葉の向こう側で、子どもたちの表情が生き生きしているかどうか、よく見つめておきたい。





ディディ

 友だちと集まれば子育ての話になるし、特に小中学校で精神バランスを崩す子どもの例は事欠かない。

聞けば聞くほど、子どもも大人も窒息しそうな深い苦しみの中にいる。誰も望んでなかった泥沼に足を踏み入れるのは、いつからだろう、どんなきっかけなんだろう。考えるてみると自分が子育てする中にも、この延長線上かもと感じる場面がある。

簡単なところでは、大人の経験や理屈を元にした生活に陥った時。
特に働きながら子育てしていると時間は自分に対しても大きな圧力になるし
「○時までに布団に入るよ」、「あと○回したら明日の準備ね」など、よく言っている。
一見、家族全体の生活を実現しているようでいて数字の根拠に大人の経験や理屈はあっても、子供たちの心や期待は対象化していない。掛ける言葉が一方的で絶対であると、子供たちの顔には従い諦める表情が浮かぶ。

反対に、何がしたかったのか、どんな思いだったのかなど、ピッタリくる期待の言葉に置き換えてあげたり、「こうしたい」にとことん付き合った時は、分かりやすく生き生きした表情が見える。

  どんな言葉を介そうとも、相手と交えたいのは何より期待応望であり、存在への寄り添い。けど、数え切れない諦めや思いの消化不良、期待応望との断絶が積み重なっていくと、いつしかあらゆる物事が苦しみとなり生きる気力を奪うものにすり替わるのではないか。

掛けた言葉、発された言葉の向こう側で、子どもたちの表情が生き生きしているかどうか、よく見つめておきたい。

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