子供達を元気するこども園・・・大切なのは可塑性のある遊びと、心の根を伸ばす自然

子供達が受験・受験と追い立てられる中で活きる活力を無くしている。その中で、こんな「こども園」を提案される方がおられる。
>以降は私のコメント

①可塑性のある遊び
・砂場の遊び方は、乳児:腰かけてカップで型取り、3歳:黙々と遊んだり、ごっこ遊び、5歳:コミュニケーションが必要になる‘土木工事’

・下の子が上の子をみて学べるように、3~5歳用砂場は離しすぎない方がいい。

・また、砂場の形は四角より、コミュニケーションを促すために囲まれている感じがでるひょうたん型か六角形型がいい。

・どろんこ遊びは心の開放。

・砂場に限らず、積み木、粘土遊びというのは可塑性のある遊び。この作っては壊し、壊しては作る可塑性を楽しみ、何度でもやり直すことが学びになる。「幼稚園の砂場で人生を学ぶ(著名な書籍名)」と言われる所以はそこにある。

②心の根
・知識はいらない!。子供に必要なのは、心の中にある「知りたい」という気持ちを育むこと。砂場・泥・樹木・葉っぱ・五感を通して、楽しかったという気持ちや相手の気持ちを考えるといった「心の根」を伸ばすことが重要。

・子供は自然・生活・仲間から学ぶ。特に、自然が一番大切。

>人類が自然に同化し、精霊を掴んだのと同じですね。

⑤心の根を伸ばすのに最適な樹木
・太古の木があるならば生かしたい。かわいらしい低木や小さな花びらをつける樹木がいいだろう。それ以外は柿・梅・ひめりんご・ぐみ・ざくろの木のように実のなる木もいい。アジサイは花の色も様々だし、カタツムリの住処にもなるので良い。

③異年齢
・異年齢での遊びはニーズが高い。最近は兄弟が少ないので、幼稚園が唯一人間関係の交わる場になる。集まれば人間関係で上手くいかない時もあるが、その時に「どうする?」を考えられる子どもを育てることができる。

>50年前は、綺麗な自然が至る所にあって、子供は自然に触れて育まれてきた。しかし、時代が進み個人の利便性を追求=工業化される中で自然を失って来た。その結果、上記の当たり前のような感覚も消失し、自己保身+受験・受験=軍隊教育が蔓延した。

 上記の話は今更ながらに人(子供)と自然の繋がりの強さや深さを身に染みて感じる。

こんな人々の期待に応えられる社会を創って行きたいと真剣に思った!!

 

 

 

酒井俊弘

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子どもたちは学びながら「共感する力」を身につけた──「Make School」サマーアカデミーが残したもの

( リンク )より引用
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米西海岸発のプログラミングスクール「Make School」が東京で開催したサマーアカデミーの発表会が、このほど行われた。生徒たちがアカデミーで学んだ3週間の成果に、共同創設者ジェレミー・ロスマンのヴィジョンはどのように体現されていたのか。イヴェントの様子からは、生徒たちが得た「共感」というエネルギーの力が見えてきた。

米西海岸発のプログラミングスクール「Make School」のサマーアカデミー発表会が、このほどTechShop Tokyoで行われた。前回の記事では、共同創設者のジェレミー・ロスマンがMake Schoolを立ち上げた経緯について、「自分が受けたかった教育環境を提供したい」という思いから生まれたことを明かした。その思いは、東京で開催されたサマーアカデミーでは、どのようにしてかたちになったのか。

ロスマンが語ったように、このプログラミングスクールは「目的意識」を大切にしている。プログラミングによって創造する楽しさを実感しながら、それをかたちにする力を身につけること。それを自分の得意分野を組み合わせること。人々に本当に使ってもらえる、世のなかにインパクトを与えられるプロダクトをつくりだすこと。これらによって、生徒たちは自分なりに社会に貢献できるというわけだ。

■「コミュニティづくり」が生み出したエネルギー
こうした特徴は、Make Schoolの「コミュニティづくり」を通して実践されている。東京でのサマースクールの参加者は、小学6年生から大学生まで幅広い。公立や私立の学校だけでなく、インターナショナルスクールに通っている生徒もいる。このスクールのためにシンガポールや中国から訪れて、東京にひと夏滞在している子どもたちもいた。

誰もが主体的に参加しており、自分の考えをしっかりもっている様子だった。プログラミング経験や英語力もまちまちだが、誰もが違うことに興味をもっている。何かに“突き抜けて”いて、学ぶ意欲がさえあればいい。そんな雰囲気に満ちていた。

生徒たちは自分の興味が何であれ、将来の夢にプログラミングはつきものであると考えている点は共通していた。苦手な英語を克服したい、将来の選択肢を広げたいといった目標をもっているものの、最終目標は「プログラマーになるため」ではない。生徒たちは、プログラミングと自分の得意分野、すなわち将来の夢が必ずどこかで交差することを知っていたのだ。

こうした思いを抱きながら、生徒たちはMake Schoolで学び、最終的にはスマートフォンのアプリを完成させる。発表会では来場者が“作品”のアプリを自由に見て回り、気になった2つのアプリに投票できるシステムになっている。このためか、「クランチタイム」と呼ばれるスクールの最終週には、生徒たちは寝食を忘れる勢いでアプリ開発に打ち込んだという。

こうして迎えた発表会の当日。生徒たちの表情は生き生きとしており、クランチタイムによる疲れを感じさせなかった。

生徒たちは、どのようなアプリを発表したのか。中学3年のある男子生徒は、英語の音声を字幕に変えるアプリをつくった。その理由は、インストラクターが話すネイティヴの英語が速すぎて、聞き取れなかったからだ。アプリを起動してスマホに話しかけると、数秒後にそれが文字になって画面に出てくる。

生徒の母親によると、彼は小学校のときに何を勉強したらいいかわからず学校が嫌いになったそうだ。そんな時期に、FabLabに足を運び、大人たちと交流するうちにプログラミングを始めたのだという。プログラミングへの興味が生まれたことで、ほかの教科への意欲も自然に高まった。サマーアカデミーでは、苦手な英語については周囲の生徒に助けてもらい、逆にプログラミングを教えていたようだった。

中学2年の女子生徒は、自分が習っていた茶道の知識を生かして、茶道の文化を学べるアプリをつくった。中学生の彼女が言うには、いまの「若い世代」は日本文化に興味をもつきっかけがなく、敬遠していると感じたことから着想を得たという。

アプリでは、茶道で使う道具の役割と茶を点てる順序を学ぶ。進んでいくと学んだ内容に関するクイズが出題される仕掛けだ。このアプリは来場者の評価が高く、アップルの「WWDC」に最年長アプリ開発者としてゲスト参加したことで有名になった若宮正子からも票を得た。若宮によると、このアプリは高齢者にも使ってもらえそうだと感じたようだ。

この生徒の夢はロボット技術者になることだ。母親はエンジニアだが、若いころにプログラミングの経験がなく、独学で苦労したのだという。その影響もあってか、彼女は熱心にプログラミングに取り組んでいた。

■「共感力」は世界へと広がる

生徒の全員が自分のアイデアをかたちにできたわけではない。最後の1週間でのアプリ開発は思ったよりも時間が足りなかったようで、現実的なアイデアへの軌道修正を余儀なくされた生徒も少なくなかった。それでも誰もが前向きに取り組み、「プログラミング言語の基礎が身についてよかった」という声が上がっていた。

自分のアイデアをかたちにできたという実績は、生徒たちの自信につながる。それに仲間たちと協働しながら「学ぶ」方法を身につけることもできた。自分が何をしたいのか、周囲の立場になって自分がどう必要とされているかを考えるきっかけにもなったという。こうして互いに「共感」を得ることは、Make Schoolが目指す「コミュニティづくり」そのものである。

ここで生徒たちが身につけたのは、「Be Inclusive, Empathize.」というMake Schoolが掲げるキーワードである。3週間という短い時間で知識や技術を詰め込むのではなく、周囲の人たちに対して「共感する力」を手に入れたわけだ。こうした共感が子どもたちに及ぼすエネルギーは、サンフランシスコから東京へ、そしてまた世界へと広がっていく。それがMake Schoolがもつ力なのだ。

 

 

 

 

本田友人

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お母さんが子どもと遊ぶということ

「お母さんが子どもと遊ぶということ」 (3) (リンクを読んで、お母さんと遊ぶことって何だろう?とこの記事を見て考えさせられた。

 自分自身、親と遊んだ記憶はあまりない。お料理の手伝いとか、掃除の手伝いとか、一緒に出かけるとか、そんなことが楽しかったが、遊ぶというとちがうように思う。(祖父には相撲とか、飛行機とか、死ぬほどあそんでもらったけど…)

 そういう意味では、勉強も教えてもらったこともない。質問すると、どーんと辞書を渡されて、「引き方この間、教えたよね。あとで、何が書いてあったか教えて」と、言われるのが常だった。

 で、「こんなことが書いてあった!!」「こんな意味なんだね!!」と知り得たことを伝えるわけなのだが、その時がほんとに「へ~、すごいじゃん、そんなこと書いて合ったんだ!お母さん知らなかったな~!ありがとう」などと、話を膨らめたり、根掘りは掘り、楽しそうに聞いてくれるのでついつい、話していたように思う。

 >子どもの遊びには「子どもの友達」が必要なんです。
お母さんにはその代わりは出来ないのです。

子どもがお母さんに求めているのは「共に」ということです。<

一緒に体験もあるが、一番は共感共有することで充足する、

「言葉を学ぶ場」として成立するのだと感じた。

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今日から、実際に子どもが「言葉を学ぶ場」としての「遊び」について考えていきます。

お母さん達と話をしていてよく聞くのが、「子どもと遊んであげたいけど、その時間がない
 確かに、お母さんはいつも忙しそうです。

でも、私が見ている限りでは、実際には「子どもと遊ぶ時間がない」ということではないような気がします。

それはどういうことかというと、多くのお母さんが、「子どもと遊ぶ時間」を「時間が余ったら」というように設定しているため、結果的にいつも「子どもと遊ぶ時間」がなくなってしまっているだけのような気がするのです。

だとすると、これは単なる優先順位の問題です。

 子どもと遊んでいたら家事が出来ない、掃除も出来ない。そして、子どもと遊ぶことよりもそちらの方が重要である。だからそちらを優先する。結果として「子どもと遊ぶ時間がなくなる」ということなのではないでしょうか。

 時には、家事や掃除よりも「子どもと遊ぶこと」の方を大切にして、そのための時間を創り出している人もいますが、そういう人は多くないような気がします。

ただし私は、「家事や掃除よりも子どもと遊ぶ方を優先しなさい」ということを言いたいわけではありません。

 実は、この両者とも「子ども遊ぶ」ということを勘違いしているのです。

 多くのお母さんが言うのが、

○一生懸命に頑張って子どもと遊ぶ時間を作っても、何をしたらいいのか分からない。

○子どもが、あれをしろ、これをしろと指示してきて、私はそれに従うだけで苦しい。また、そんな遊び方でいいのか

○いくら遊びに付き合ってあげても、もっともっとと言うばかりできりがない。

○遊びを終えようとすると駄々をこねるので、家事が出来ない

○見ているだけではつまらないので、子どもと一緒に遊ぼうとすると、「お母さんはやんないで」と言われる。
かといって、「じゃあ一人で遊んでいて」と言うとそれも嫌がる。
 結局、どうしていいのか分からない。

その結果、よく公園で見かけるように、子どもは一人でぽつんとお砂場遊びをしていて、お母さんはベンチに座って携帯(スマホ)を見ているだけという事になるのでしょう。

これでは、その時間を「意味がないこと」「もったいない」と感じてしまうのも無理はありません。

そして、テレビやビデオやゲーム機を与え、一人で遊ぶようにさせてしまう人もいっぱいいます。仕事の手を休めてまで一緒にいても、結局子どもは一人で遊んでしまうのだから、だったら最初から「一人でも楽しい遊び」をさせてしまってもいいのではないか、ということなのでしょう。

でも、このような状況では子どもは何も学ぶことが出来ません。遊びも、言葉も、何らかの技術も学ぶことが出来ません。

そしてただ「強い刺激」を求めるようになります。

だからといって、子どもとただ一緒にいるだけでもこれは同じです。

このような勘違いは、「子どもがお母さんに何を求めているのか」ということが分かっていないことから起きています。

子どもにとってお母さんは「友達」ではなく「お母さん」です。お母さんは子どもと一緒に遊ぶために「友達」のように関わろうとするのでしょうが、でもそれは「子どもがお母さんに求めていること」ではないのです。

だから、子どもの心が満たされずに、際限なく「遊び」を求めるのです。

 子どもの遊びには「子どもの友達」が必要なんです。
お母さんにはその代わりは出来ないのです。

子どもがお母さんに求めているのは「共に」ということです。

 子どもはお母さんが子どもと同じことをすると嫌がるのに、お母さんがやっていることと同じことをしたがりますよね。

そして、お母さんが一人だけで何かやると嫌がりますよね。

お母さんが電話をかけたり、お料理を作り始めたり、他の人と話し始めたり、新聞を読み始めると邪魔しに来ますよね。

それがその証拠です。

ですから、その視点で子どもとの関わり方を見直せば、わざわざ「子どもと遊ぶ時間」を創り出す必要がなくなるのです。

 

 

 

 

池田みさき

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子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと~子どもの視点で、大人の社会に風穴を空ける

【子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと。遊び学 × こどもみらい探求社】より引用リンク

●社会を良くするヒントは、保育士さんが持っていた
今回は「子ども」と「学び」をテーマにお話を伺いたいと思います。小竹さんと小笠原さんは、おふたりとも保育士の経験から「子ども」の視点を大人の社会に活かすというビジョンをもった「こどもみらい探求社」を立ち上げていますが、ここにはどういった問題意識があったのでしょうか。

>何か大きな課題があったというよりは、もっとこうなったらいいのにな、という思いから始めました。保育士として毎日子どもと接し、彼らの視点で世界を見てみると、普段の生活では考えられないくらい楽しいことが起きるんです。
彼らは何にもないところから、たくさんのものごとを生み出すクリエイティブの天才。でも、このときの多様な視点や創造性が、大人になるにつれて失われてしまうさまざまな仕掛けが社会にはある。そこに風穴を空けてもっと社会が良くなるように、子どもの持っているものを大人の社会につなげる架け橋のような事業をつくりたいと思ったんです。

>みんな子どもの頃は本当に豊かなものをたくさん持っているんですけど、学校に行って、会社に入るころにはすっかり忘れてしまう。子どもたちがその後の人生を生きていくとき、保育士として働いていたときの知見をもっといまの社会に接続したいと思って会社を立ち上げました。

●「遊び」が「学び」に変わる瞬間~「遊び」と「学び」は対義語か?
>子どもの発達段階において生じることでもあるのですが、一番大きいのは社会の問題ですね。いまはみんな最初から「遊び」と「学び」は違うと決めつけてしまっているので、子どもにもそれを無意識のうちに強要するようになる。
でも、そもそも「学び」ってどういうことかといえば、ぼくは「何かに出会って自分が変わる」ことだと思うんです。今日もたくさんのことをお2人から伺いましたが、今日知ったことを何かで実行に移したとき、それはぼく自身が変わったことになる。出会いによってふるまいが変化するのが「学び」の効力だとしたら、「遊び」はたくさんの出会いに満ちて好きに自分が夢中になるだけ、自分が変わったというようなことも、結果的には多いんじゃないでしょうか。

>わたしたちは親子で通う10回シリーズの習い事を定期的に行っているのですが、そこでは「はじめに何とどう出会うか」をすごく大事にしていますね。
何が子どもにとって「遊び」なのか「学び」なのかを社会が決めてしまって、「遊んでいないで勉強(仕事)しなさい」というフレーズが定義化されてしまっていると思っています。でもそれってすごくもったいなくて、算数を「遊び」ととらえた子はずっとそれを伸ばしていけますよね。大人が無意識のうちに線引きをしてしまうことで「遊び」と「学び」が切り離されていってしまうと思うんです。

●子どものタフな世界を取り入れ、「遊びのプロ」を目指す
>「わからない」という感覚はとても大事だと思うんです。わからないものに出会ったときに不安を感じるか、面白いと感じられるかどうか。遊びの精神をもっていれば、きっと面白いと感じられるはずなんです。
遊びを体験するということは、未知なるものに出会ったときも柔軟に対応できる基礎体力をつくっているとも言えますね。もちろん、未知のものにはリスクもともなうのですが、リスクが完全にゼロの社会なんてありえません。そこに神経質になるか、ちょっとくらいいい加減に向き合えるかどうかが生きる力になっていくのかもしれません。

>「ワーク・ライフ・バランス」という言葉がありますが、わたしにとっては「ワーク・イン・ライフ」。やりたいことを続けていたらそれが仕事になって、いつしか生活になっている。
それがなんでかなと考えると、自分が大事にしているものを外に発信していったら、他人にもその価値が伝搬して、うちの会社でもやってくれと言われるようになり、いつしかそれが仕事になっていったんです。自分が何に心が動かされるかを一番に突き詰めていくと、もちろん面倒な仕事だってたくさんありますけど、モチベーションがずっと続いていくんですね。

>これはよく言われることですし実体験もあることなんですが、子どもってサンタクロースを本気で信じている一方で、それがお父さんやお母さんであることもどこかで気付いているんですよ。子どもにとってはどちらも真実なんです。大人からすると考えられないけど、そういう世界を引き受けられるのは子どものタフな能力であり、大人にとってもこうした矛盾する世界を同時に受け入れる覚悟が必要なんじゃないかな、と思っています。

 

 

根木貴大

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薪で湯沸し、がお手伝いの最初

 幼稚園の少のころ初めて受け持ったお手伝いが、お風呂を沸かすというものだった。しかも、当時でも珍しかった薪のお風呂で、毎日、薪をナタで小さくしてから、井桁に組んで沸かしていた。

 薪の端に「カン」とナタを当てて引っ掛けてから、大きく割る。
新聞紙を丸めたものに火をつけて小さなものからだんだん大きな薪に火を移していく感覚はいまだに残っている。

 台所の横に土間があって、「お湯加減いかかですか~♪」と声をかけ、「もう少し沸かしてくれ!」とか、そんなやり取りもお店屋さんごっこのように面白かった。

 毎日のお仕事が、湯沸しなものだから、いかに効率よく、美しくできるかと楽しむわけだが、生活の一部が、ボタン一つのブラックボックスではなく、物理現象として認識できたのは、今考えれば基調な体験だったと思う。

 作物が育つ過程を知ることもないし、魚を釣って捌いて食べるなんてこともない、火を起こして、水を汲んで来なければ困る…なんてことは日常になくなってしまっている。

生活のインフラは今ボタン1つだし、スーパーに行けば何でも使いやすいサイズに小分けしてくれている。便利なような、面白くないような。

めんどくさくも、潜在思念と繋がる手に感覚の残る暮らしがあったから、今の便利な暮らしをとてもつまらなく感じる。

 

 

 

 

池田みさき

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10年後に「食える子」の親の共通点5 なにが正しいか、判断させる(1)

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10年後に「食える子」の親の共通点5 なにが正しいか、判断させる(1)

人工知能に勝てる子の育て方とは

以前、「我が子を『ロボットに負ける人間』にしてしまう親の特徴5」(リンク)と題した原稿を本欄で書きました。現在、小中学生の子供が社会人になったとき、人工知能がさらに進化していることは間違いありません。人間がロボットに仕事を奪われることも増えるでしょう。我が子を10数年後に「食っていける大人」に育てたいと思っている親にとって、より切実な時代となりました。

今回は、そうした将来を意識して、ロボット(人工知能)に負けない人間に育てている親の典型的な言動を5つ紹介しましょう。

【我が子をロボット(人工知能)に負けない人間に育てている親の特徴5】

(1)何が正しいか、子供が自分で判断して決める。
(2)まずは自分で挑戦させて、見守る。
(3)失敗を認め、やったこと自体を認める。
(4)子供の言動に向き合う。聞く。
(5)子供を尊敬する。

以下、ひとつずつ見ていきましょう。

(1)の「何が正しいか、子供が自分で判断して決める」とは、能動そのものです。

できる親は、子供に日常の小さな選択をさせていきます。例えば、ファミリーレストランのひとコマ。席に着いて、さあ、どのメニューにするか。親としては、さっさと決めて欲しいところですが、子供はうだうだ悩みます。それを我慢できないと、つい「これにしなさい!」と言ってしまいがちです。ここをぐっと堪えられるかです。

できる親の子供は、習い事ひとつをとっても、子供に選択を決定させているようです。これによって、少し続けるのが辛い時期でも「自分が選んだのだから」と続ける確率が高まります。

できる親は子供に複数の選択肢を示し、その先の決定権を委ねているのです。日常のひとつひとつの小さな選択を大切にしてあげるだけでも、能動的に動く子供の素地が育ちます。

デキる親は子供が皿を割っても「褒める」

(2)の「まずは自分で挑戦させて、見守る」とは、子供の可能性を信じることです。植物と同じで、本来、子供は自分自身で伸びる力を持っています。できる親は「やってみなくちゃわからない」を基本の考えとし、かつ実践主義です。旅行はもちろん、あらゆる体験活動に積極的に連れていくことが多いようです。とにかく、まず体験させてやらせてみるのです。

例えば、陶芸体験をさせてみます。子供はろくろで作ってみたものの、恐らくいびつな形になるでしょう。でも、それは当然のことです。できる親は手を出さずにそれを見守り「すごい、よくやったね!」とやったこと自体を認めた上で、子供に意見を聞きます。「もっとこうしたい」とくれば、再チャレンジを促し、また見守ります。

こういったことが、普段から行われているかどうかです。挑戦することに価値を置き、できる・できないは、二の次なのです。

(3)の「失敗を認め、やったこと自体を認める」とは、失敗を前向きにとらえることです。むしろ、失敗を成功へのステップ、必要条件であると考えています。つまり、失敗を集めるほど、成功に近付いているという考え方です。だから、うまくいくかは別として、やったこと自体が「成功」なのです。

自転車を乗ることを例に考えれば、いきなり上手に乗れる確率はゼロです。何度も倒れる「失敗」が成功へのステップになっています。そこを認めていけるかどうかです。効率よく、ひとつ飛びに成功をおさめることは、まさにロボットの得意分野。つまり、効率などは、後回し。非効率こそ人間の得意分野です。

できる親は、幼い子供にも食器を片付けさせます。当然、いつか手がすべって食器を割ることが起きます。実に非効率に見えます。それでもやらせるのです。落としたことを責めるのではなく、運ぼうとしたことを認めます。「落として食器を割ること」を成長の必要条件のひとつと捉えているからです(ちなみに、本音は落として割って欲しいわけではないと思いますので、安いお皿や割れない食器を使いましょう)。
【つづく】

 

 

 

今井勝行

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10年後に「食える子」の親の共通点5 なにが正しいか、判断させる(2)

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10年後に「食える子」の親の共通点5 なにが正しいか、判断させる(2)

【つづき】
ロボットにはない「共感力」を育む親

(4)の「子供の言動に向き合う。聞く」とは、相手をひとりの人間として認めることに他なりません。

自動販売機の「ありがとうございました」に反応する人はいません(半分冗談で「どういたしまして」と返事する人もいるとは思いますが)。それは、相手を人間でないと認識しているからです。逆に言えば、相手の言動に向き合わない、聞かないという態度は、相手を人間として認識していないということです。

学校で指導に困ってしまうのは、自分のことばかり話して人の話を聞けない子供です。こういった子供は、家庭での会話に満足していないことが往々にしてあります。「忙しいから後で」と聞いてもらえなかったり、もっとかわいそうな場合は、親がいつも不在だったりします。認めてもらえていない子供は、人を人として認めなくなり、結果的に「人の話を聞けない子供」になります。

できる親は、子供の「ねえ、見て!」「何で?」にしっかりと反応します。図工で作った作品の「ねえ、見て!」に、膝をついて子供の目線まで下りて眺めます。そして「素敵! ○○なんだね!」と子供の力のいれどころを具体的に見つけ、驚く。

お風呂あがりに「何でお洋服着ないとダメなの?」というような、大人にとっては当たり前すぎる質問にも、その親なりの解釈できちんと答えます。

「裸だと大事な○○ちゃんがかぜをひいてしまうからよ」
 「お風呂上がりにきちんとパジャマを着ると、よく眠れるのよ」

など、様々です。「いいから早く着なさい!」が能率的かつ親の本音だとは思いますが、そこをぐっと飲み込んで、きちんと答えるのです。

その親の態度が、子供が人とコミュニケーションする時の基本姿勢として移ります。相手に向き合い、相手を尊重する人間に育ちます。これは、ロボットには決して真似できないことです。

(5)の「子供を尊敬する」とは、子供の言いなりになったり、あえて子供の下になったりということではありません。

人として対等の立場に立ち、相手の良さを認めるということです。親は、先に生まれただけであって、決して人間として偉いわけではありません。親を親にしてくれているのは、子供の存在そのものです(これは、学校で子供の存在が「先生」という存在にしてくれているのと同じです)。

何かができたから認めるのではなく、存在そのものを認めていくことです。

現に、学校で活躍する子供は、自分の親はもちろん、先生方や友だち、地域の人など、周りのあらゆる人々を尊敬している傾向があります。「私もあなたも価値がある」ということを認識している状態です。国際化が進み、多様な価値観を認めることが求められる、これからの時代に必須の能力です。

親と子のコミュニケーションが全ての鍵

15年ほど前、「AI」という映画が話題になりました。子供のできない夫婦が、人間そっくりのロボットを子供として育てるという話です。このロボットの子供は、文字通り「愛されて」いました。しかし、やがてこの夫婦に本物の子供ができます。その結果は、予想できると思います。

ロボットは、愛情という分野において、決して本物の人間の代わりにはならないのです。

人と人のコミュニケーション。その基礎となる、親と子のコミュニケーション。ここに、我が子をロボットに負けない人間に育てるポイントがあるのではないでしょうか。

 

 

今井勝行

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子どもに火を体験させるのは教育の原点

キャンプ道具を売り込むための記事ですが、子供に「火」を体験させるというのは確かに教育の原点のような気がします。

始原人類は火を囲み、仲間と語り合い親和を深め発想を広げていきました。しかし取り扱いを一歩間違えると集団に大損害を与えるわけで細心の注意を払わないといけないものでもあります。

そんな仲間の期待を一点に集める火を取り扱うこと。これは教育の原点というか同化の原点を学べるような気がしています。

リンク)より引用

——————-以下引用——————-

■子どもに火を体験させるのは教育の原点
焚き火は注意力や現場対応力など、大げさではなく「生きる力」を身に着けるのに最適です。そして、こうした焚き火こそ子どもが体験すべきものだと力説するのは、ユニークな教育論で定評がある教育環境設定コンサルタントの松永暢史さん。松永さんは『わが子を伸ばす四大必須科目「音読」「作文」「暗算」「焚き火」』(飛鳥新社刊)や『男の子を伸ばす母親は、ここが違う!』(扶桑社刊)という自著でも子どもをキャンプに連れていくことがいかに大切な教育であるか、そしてなかでも焚き火ほど教育に適したものはないと言っています。

「自然の中で過ごすキャンプは子供にさまざまなことを教えてくれ、日常では巡り合えない多くの体験をさせてくれます。たとえば、昆虫はどんなところに棲んでいるか。木登りに適しているのはどんな木か。効率よく魚を捕まえるには、どうやって川の流れをせき止めればいいか。どんな木を集めればいい焚き火ができるか(略)自然はどんな図鑑よりも多くのことを教えてくれます」(『男の子を伸ばす母親は、ここが違う!』)

 キャンプでは思わぬアクシデントがつきもの。突然の雨、風…。そんなアクシデントに見まわれたき、どうやって乗り越えるのか?そのとき親が手を貸さず、子ども自身に一切まかせることが大切だと松永さんはいいます。子ども同士で知恵を出し合って問題を解決していく。キャンプでの焚き火はそんな体験に最適なのです。

 「子どもに火を扱う体験をさせるーこれはあらゆる教育の原点でありこれより「上」はない。燃える火を見つめること、それに関わることの体験は他の一切の教育を捨象する。子どもに焚火の火を与える体験の大切さを了解できない者は、ほぼ「教育」に関係ないものたちである」(JOKER 松永暢史のブログ)とまで言い切るのです。

■14歳でカナダのトップ大学に合格した天才児も焚き火愛好家!
もっとも、そんな難しい理屈を並べなくとも、子どもたちに焚き火をまかせれば、もう夢中になってさまざまな創意工夫をこらすに違いありません。

 「この木はあっちの木よりどうも燃えがいいようだ」
 「こっちに空気を通すと炎があがるぞ」
 「アルミ缶は燃えきるのだろうか?」
 「火の粉に触ったけどあんまり熱くないのはなんで?」
 「どうすれば焚き火の上にフライパンが安定しておけるか?」

などなど、次々に疑問が湧いてきてスマホやゲームそっちのけで夢中になるにでしょう。

5歳でカナダに渡り、14歳でカナダのトップ大学5校が奨学金を上乗せして争奪戦を展開したことが世界中でニュースとなり、このたび初の著書「ザ・ギフティッド」(扶桑社刊)を上辞した天才児大川翔君。実は大川君も焚き火愛好家であることをブログの中で公言しています。脳の発育と焚き火の関係を語るうえでも、これは非常に興味深い事実でしょう。

「たき火はとても楽しい。火をおこし、大きく育てる。そして最後には炭を作る、その過程がとても面白い! 同じようなことをしているように見えて、毎回、条件が少しずつちがう。良い炭を作るには、工夫が必要だ。良い炭作りに成功したときは、達成感がある! 炭ができたら、次にたき火をするときに、それをまた使うんだ」(実録!翔の『極楽カナダ生活』)

 大川君は幼い頃から年に何度も家族でキャンプに出掛け、そして焚き火を楽しんでいるそうです。そんな大川君も「最初、真ん中に燃えやすいものを置いて、取り囲むように、マキを置く。風が通るように。そして、火をつける。マキにしっかり火がつくまでが難しい」と語るように、たかが焚き火されど焚き火というわけで、なかなか奥が深いものなのです。

<薪は燃やしきる>
 河原やキャンプ場などでだれかが焚き火をしたあとの残骸をみるほど不快なものはありません。焚き火にくべた薪はしっかりと燃やしきるのが基本です。ちゃんと燃やせば最後は真っ白に燃え尽きて灰になります。

また、消火には十分な注意を!水をかけただけでは火は消えません。

 キャンプの夜、ゆらめく炎をながめ、薪をくべる。たったそれだけのことなのに、子どもたちはきっと、何時間でも飽きることはないでしょう。そして、普段、扱うことのできない火に触れさせることは、計り知れないほど子どもの感性を豊かにするでしょう。感動することを覚えさせること、美しいものをみせること、これに勝る教育はないのです。

ぜひ、この秋親子で焚き火を楽しんでみてはいかがでしょうか。

——————-以下引用——————-

 

 

 

 

 

松下晃典

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「焚き火」がコミュニケーション力を高める!?

最近子供に火を扱わせることが少なくなりました。これってかなり同化力(コミュニケーション力)を低下させる大きな問題なのかもしれません。

リンク)より引用

——————–以下引用——————–

■「焚き火」がコミュニケーション力を高める!?

大阪ガスと東北大学の川島隆太教授との研究結果によると、「火を使うことで脳が活性化される」ことがわかっています。

キャンプで火を使うシーンといえば…、ライターやマッチで着火剤に火をつける時や七輪で火をおこす時、また、ガスコンロに点火する時など、数多く遭遇しますよね。

また、火を使うと言えば、焚火があります。親御さんの中には、「焚火を見ているとリラックスした」という経験のある方はいらっしゃいませんでしょうか。

焚火を囲んでいると、ついつい長居してしまい、普段、話さないようなテーマについて語ったり、胸の内に秘めていたことを明かしたり……。

“火には癒やし効果があることも忘れてはなりません。炎が揺れるのを見ていると、気持ちがとても落ち着きます。
 火は、大昔から人と人とのふれあいの場をつくる、重要な役割を果たしてきました。焚火を囲むと、コミュニケーションが弾むし、心も開きやすくなる。
 一緒にいる人との距離が縮まるのが実感できます 

— 出典『キャンプで子育て GUIDE for FAMILY CAMP』

 家族で一緒に焚火を眺める時間は、お子さんにとっても貴重な機会となりそうですね。

また、焚き火は、火育の場としても良いでしょう。

家にいるとスイッチひとつで火を使うことができますが、キャンプ場で火をおこす時は、木炭や薪を使って丁寧に準備する必要があります。

火の扱い方を学ぶ絶好の機会とも言えるのではないでしょうか。

■「暗闇」が4つの感覚を高める!?

火だけなく「暗闇」もまた、学びの機会といえます。

普段、街にいるときは街灯や看板、車のライトなどで夜は案外明るいものです。

しかし、自然の中にぽつんと立ってみるとどうでしょう。夜がどれほど暗いかがわかるでしょう。それと同時に、星の美しさに驚くことも。

都会で暮らしている方にとって、「外で暗闇の中にいる」という機会は、そうあるものではありません。

 同書の中で紹介されている富良野自然塾では、「闇の教室」というプログラムを実施しているようです。これが大変興味深いプログラム。同自然塾のHPでは以下のように紹介されています。

“全く光のない世界で様々な“闇”の体験ができる日本初の常設スペースです。人間が持っている五感のうち、視覚を完全に封じることによって視覚以外の感覚が蘇る不思議で感動的な体験です。

 人類は長い間、夜になると闇の中で暮らしてきました。今のように皓々たる光の中で生活するようになったの はそれほど昔のことではありませんし、現在でも地球上の多くの人々が闇と共に暮らしています。
しかし、日本などの先進国、特に都会では夜になっても闇はありません。

 文明の進歩と共に忘れ去られてしまった闇をもう一度体験し、“闇と光”の意味を考え、今われわれ人間が置かれている文明社会を見つめ直してみませんか 
ー自然塾のHP

太陽が沈んだらランタンをもって散歩に出かけたり、焚き火を眺めたり、月明かりに照らされたり。真っ暗闇とはならないものの、普段、都会ではなかなかできない体験が可能です。

 暗闇の中でも私たちは様々な情報を得ることができます。

耳を澄ませてみると、焚き火の音や、川が流れる音、遠くには動物の動く音が聞こえるかもしれません。体感する温度も日中と夜とでは異なるでしょうし、木の香りや土の香りなどに気づくことも。

人間本来もっている感性を再確認する。
自然にはたくさんの学びがあることがわかりましたね。

——————–引用終了——————–

 

 

 

 

松下晃典

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「話を聞けぬ親」が子どもの問題行動の元凶だ。助言よりも共感、ただそれだけでいい。

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■共感の大切さを身をもって知った原体験

まず、私自身の経験をお話しします。私は長年小学校の教壇に立ってきましたが、あるとき担任していたクラスの子どもたちと人間関係がうまくいかなかったことがありました。そのときは、朝起きるのもつらく、当然学校に行くのもつらく、さらに何といっても自分の教室に行くのが本当につらかったです。「もう先生を辞めてしまいたい」と毎日思っていました。

そんな中、とある日曜日に、契約していた生命保険の外交員さんが何かの用事で私の家にやってきました。用事が終わって、私は自分の悩みを話し始めました。誰かに聞いてもらわずにはいられなかったのだと思います。

すると、その人は、「大変ですね」「それは苦しいですよね」「つらいですね」「イヤになっちゃいますね」と共感しながら聞いてくれました。「こうしたらどうですか?」などというアドバイスはひと言もありません。ただひたすら共感的に聞いてくれたのです。私はため込んでいたものを次から次へと吐き出して、気づいたら2時間も経っていました。そして、外交員さんが帰ってまた1人になったとき、自分の気持ちがすごく軽くなっていることに気づきました。

問題解決の方法が見つかったとか、そういうことではないのですが、心の中にあった重苦しくどんよりしたものがなくなって、元気が出てきたというか、「何とかなるかも。もうちょっと頑張ってみよう」という前向きな気持ちが湧いてきたのです。そして、私は「ああ、話を聞いてもらって、わかってもらうだけで、こんなに気持ちが楽になるんだ」と気づいたのです。これは、私が初めて共感の大切さを身をもって味わった原体験です。

(中略)

■アドバイスや指導はたっぷり共感してから

大事なのは順番です。アドバイスや指導はたっぷり共感してからにしたほうがいいのです。具体的にいえば、「大変だね」「イヤだね」「疲れるね」「苦しいね」「悲しいね」「寂しいね」などの言葉が大切です。こう言ってもらえるだけで、相手は心を開いて素直な気持ちになることができます。

(中略)

たとえば、子どもが「今日は疲れた。宿題やりたくない」と言ったとき、「何言ってるの。どんどんやらなきゃダメでしょ」「わかってるよ。うるさい」「なんだ、その言い方は! さぼってないでさっさとやりなさい」「あ~、ますますやる気なくなった」「そんな怠けもんでどうする!」などとなってはいけません。

そうではなく、まず「大変だね」と共感してあげれば、「そうだよ。授業が6時間目まであって、そのあと部活やって、帰ったら宿題だよ」「あんたも大変だね」「あ~、疲れた」「お疲れさん。中学生も大変だ」「ほんとだよ。なんとかしてほしいよ」という和やかな展開になりえます。子どもは、自分の大変さを親にわかってもらえたことで、多少なりとも気持ちが軽くなります。そうすれば、しばらくして自分からやり始めるかもしれません。

もし、どうしても心配なら、「そうは言ってもやらないわけにいかないから、今のうちに半分だけでもやっておく?」など、ハードルを下げて促してもいいかもしれません。はじめに共感的な会話が十分なされていれば、子どもも素直な気持ちで受け入れやすくなります。

とにかく、日頃から「まず共感」を大事にしてほしいのです。アドバイスや指導など自分が言いたいことはその後です。そのようにしていれば、子どもは親を信頼するようになります。「お母さん・お父さんは話を聞いてくれる。私のことをわかってくれる。私は認めてもらえている。大切にされている。愛されている」という気持ちを持つことができます。これがすべてであり、これがないところでは、どんな指導もしつけも教育も無意味です。

■頑張るエネルギーの源になるもの

実は、このようなよい親子関係をつくることは、親たちが思っている以上に大切です。共感を土台にしたよい親子関係ができると、子どもは元気が出てきて、勉強でも運動でも頑張るエネルギーが湧いてきます。また、心が満たされるので、きょうだいにも友達にも優しく親切な対応ができるようになります。そして、大好きな親に心配をかけるような危険なことや悪いことはできなくなります。

反対に、親子関係が悪化して、子どもが「私は認めてもらえていない。あまり大切にされてない。愛されていないんだ」と感じている状態だとどうなるでしょう? 頑張るエネルギーなど湧いてきませんし、兄弟や友だちとよい関係を築くことも難しくなってしまいます。さらに悪化すると、「どうせ私なんかどうなってもいいんだ」という自暴自棄の気持ちすら出てきてしまうこともあります。こうなると、心のブレーキが壊れて非行に走りやすくなるということもあります。

(中略)

これは、つまり、親たちに共感の姿勢がなかったということです。反対に、「○○しなきゃダメだろ。なんで○○しないんだ。そんなことじゃダメだ。何度言ったらできるんだ。言い訳しないでまず謝りなさい」などの否定的な言葉が多かったのだと思います。親たちはみんなわが子を愛する気持ちはあるのですが、指導やしつけが前面に出てしまうと、こういう否定的な言葉でしかり続けてしまうことが多くなります。

共感の言葉は人間関係をよくする究極の言葉です。職場でも家庭でもあなたの周りの人に「大変だね」という言葉をかけてあげてください。人間はみんな大変でやっと生きている人がほとんどです。「大変だね」と言ってもらえるだけで少しは救われます。その人の力になりますし、同時にあなたとその人との人間関係は間違いなくよくなります。

 

 

 

 

高橋謙太

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