「子供をダメにする」親の研究~「両親とも教師」の家庭は危ない

先日、友人夫婦と会う機会がありました。友人夫婦は二人とも高校教諭。お互い1歳の娘がいるので遊ばせていたのですが二人に遊び方の違いが出ていて、それはまさに親の影響をうけているのではないかと考えさせられるものでした。
初めてのおもちゃ(知育玩具でコンセントやインターホンや無限に引っ張れるティッシュ等があるもの)を見て二人とも興味深々!すぐにおもちゃを手にとって「これはなんだろう?」とじっくり見始めます。コンセントにしろインターホンにしろ使い方なんて分からないのが当然で、うちの娘はコンセントの穴に指を入れてみたりコードを引っ張ってみたりたたいてみたりして楽しんでいました。
ところがそれを見た友人のご主人が「コンセントはこうするものなんだよ」と使い方の指導を始めました。すると娘の興味はなくなりおもちゃから離れてしまいました。でも友人の娘さんは始めは自由に触っていたのですがお父さんが介入すると教えてくれるのを待っていて何度も何度もやり方を見せてもらうと同じやり方でしか遊ばなくなっていました。そして次はどうするの?と父がしてくれるのを待っていました。
その二人の反応を見て「Aちゃん(うちの娘)は飽きっぽいんだね。Bちゃん(友人の娘)はやり方を何度か教えたらすぐに理解して遊べるようになるんだよ。」と言われてしまいました。が、それを聞いてものすごく違和感を感じました。
その後も子育ての話や学校の生徒の話をしたのですが、友人夫婦の意識は「初めてのことに対して子供ができないのは当たり前で大人がある程度やり方を教えてあげないと子供は何もできない。」「教えたのにできない、やらない子はダメ」となっている感じでした。
リンクを読んで、
学校の先生をしていると普段学校(職場)で生徒に対して教えるということをしていて、それが子供の追求心を奪うことだと思いもしないしおかしいとも思っていない人か多いのかもしれない。そして家庭でも自分の子供に対して生徒と同じように幼い頃から何でも教えて自分で追求する機会を奪って親の言うとおりに動く子供にしてしまうのだろうと感じました。

リンク より
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(一部抜粋して転載します)

今から25年くらい前からでしょうか。入学してくる学生が、あまり勉強をしなくなっているということに気付いたんです。

医大に合格するくらいですから、暗記力は高いのですが、知識を入れて出すだけのロボットのような、自分の頭で考えない子供が目立ってきました。

そこで、成績の良くない学生の中でも特に問題の多い学生については、本人はもちろん親へのヒアリングも行い、どのような子育てをしてきたのか、聞き取り調査を始めたんです。

分析してみると、面白い結果が出ました。親の社会的ステータスや職業、育て方が、子供の成長にかなり密接に関わっていることが分かったんです。

たとえば、無気力症候群になる学生には、父親が高学歴だったり、成功者であるというケースが非常に多かった。

オガタ君という男子学生がいました。非常に頭が良いのですが、なぜか劣等感の塊みたいな子で、全然自主性がない。勉強に対しても、すごく消極的なんですね。

お父さんにもヒアリングしたいと思ったんですが、全然出てこない(笑)。何度も何度も呼びかけて、ようやく来たと思ったら、地方の名士でした。

「あなた、この子がどんなに勉強を頑張っても褒めなかったでしょう。ちょっとでも失敗したら、『こんなこともできないなんて、バカだ』と叱って育ててきたでしょう」

そう聞いたら、その通りだと。自分が優秀な人は、息子のやることがいちいち気に障るわけです。その上、できない人間の気持ちが理解ができない。だから、すぐに「バカだ」、「どうしてできないんだ」という類いの言葉を発してしまうんです。

子供のほうも、どんなに頑張っても、良い成績をとっても褒めてもらえなければ、勉強をしてもちっとも楽しくありません。小さい時からずっと「負け犬」精神を刷り込まれてしまったら、もう学習意欲も萎え切ってしまいます。

両親共に教師という家庭でも、多くの場合子育てはうまくいっていませんでした。

学校の先生をしていると、家に帰っても生徒に接するのと同じように、教訓的なことばかり話してしまうんです。すると、子供は学校でも家でもお説教ばかり聞かされて、もう参っちゃいます。

でも、先生といっても、親が幼稚園の先生の場合、子供は割合良い方向に育つんですよね。

というのも、親は幼稚園での仕事が終わって帰ってきて、自分の子供も同じように育てなくちゃいけない、という意識を強く持っているんです。そうすると、自然と密度の濃い接し方を心がける。だから、幼稚園の先生の子供はたっぷり愛情を受けることができるんです。

無気力学生の代表格だったオオクボ君のご両親も、中学と高校の先生でした。そこで、面談に呼んで話を聞いたら、両親が2人で寄ってたかって勉強に干渉すると。それでは、子供の気持ちの逃げ場がなくなって、精神的に潰れてしまいます。

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秀凜

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「無理だったら逃げていい」という言葉は、子供を「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にした。

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先日、長男の夏休みの宿題が終わりました。全て終わったのは8/24でした。
なんか長男が通ってる小学校は25日から始まるそうで、「8/31に泣きながら宿題追い上げ」という風物詩も最近はあまり聞かない言葉になりつつあるんですかね?

なんにせよ、長男にとっては8/24が宿題のタイムリミット、デッドラインだった訳です。実を言いますと、今年の長男の夏休みの宿題は、ある意味で破綻プロジェクトでした。

以前、こんな記事を書きました。

夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話
2年前の話です。この年の夏休み、私は長男に初めて「タスクを細かく切り分ける」「計画を立てる」「計画を見直しながら進める」というノウハウを伝えて、そこにITを絡めてみました。
計画立ても、長男に色々ヒアリングしつつ、基本的には私がやってみせました。
で、去年の夏休みは、計画立てから長男が自分でやりました。
途中でちょこちょこ様子は見て、無理がありそうな部分があったら見直した方がいいよと助言はしつつも、そもそも宿題の絶対量がそんなに多くなかったこともあり、危なげなく宿題は完遂されました。
長男にとっては、「自分で計画を立てて、それを運営する」という、人生初の成功体験です。 

で、今年は初めから「ぼくが全部やるから!」と言いましたので、私はほぼ干渉しないことにしたのです。

長男は、一昨年、昨年と覚えたノウハウそのままに、「この日は〇〇と××をやる!」「この日は△△だけ!」といった計画を立てました。手慣れたものです。
ただ、今年の計画には一つ大きな落とし穴があり、それに長男は気づいていませんでした。というか、気づいてはいましたが、それ程重要視はしていませんでした。長男は今年から塾に通い始めており、この夏も夏季講習に行く予定だったのです。

塾で出される課題もそれなりの分量ある筈で、一日に出来るタスク量、学校の宿題に割ける時間はその分目減りすることが予想されました。

私や奥様も一応その点気にして、「塾の課題大変じゃない?」とか「課題の分量も計画に入れた方がいいんじゃない?」と言ってはみたんですが、長男は「大丈夫だよー、学校の宿題とは別の時間にやるから」とだいぶ軽く見ている感じです。

干渉しないと決めた手前、私もそれ以上は言いませんでした。

ある程度予想していた通り、夏休みも中盤にさしかかる頃、長男の宿題進捗にはかなりの遅れが出ていました。初めての夏期講習は、やっぱり長男には負荷が大きかったようです。リスクの顕在化です。

旅行に行ったり、スプラトゥーン2を遊んだり、祖父祖母の家に遊びにいっていたこともあり、ずるずると進捗遅れが出てしまった長男の宿題は、「終わるかなあ…?」と長男が泣きべそをかくくらいの量になってしまったようでした。
ここで、実は一つ、私は長男に謝らないといけないなーと思っていることがあります。

私は昔から長男に、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と教えています。部活でもそうですし、塾でもそうですし、習い事でもそうです。例えばいじめが発生した時とか。長男の心に、何かが重くのしかかってきた時とか。それで潰れてしまうくらいなら、逃げて別の選択肢を探した方がずっと良い。

私はそう思っているし、人生には時として「逃げる」という選択肢を選ぶことも重要だ、とも思っています。だから、長男にそう伝えてきました。
ただ、これについては賛否あるだろうなーとは思っていて。「ちょっと大変なだけでも逃げちゃう子に育つんじゃない?」と、私は昔指摘されたことがあります。

そんなことない、「最後の逃げ道」を心に抱えておくことは、むしろ心の弾力を保つ為に役立つ筈だ。そう思っていながらも、私も心のどこかで、長男に「逃げ癖」がついてしまうことを心配していた。それは正直否定出来ないんです。
ところが長男は、今回、「夏休みの宿題大ピンチ」という、いわば「プチ窮地」から逃げませんでした。

計画が破たんしてしまったことは冷静に認めて、その上で「逃げずに頑張る」という道を選びました。親に頼って手伝ってもらうという選択すら、言い出すらもしませんでした。

そして、実際に今回の窮地は、「逃げずに頑張る」という選択で打倒することが出来たのです。

24日の夕方頃、仕事中にかかってきた電話に出ると、長男は喜色満面の声で「宿題終わったーーーー!」と叫びました。

私は一言、「よくやったな」と言いました。

「逃げずに頑張る」という選択は、良し悪しです。例えば社会に出て、万一いわゆるブラック企業に勤めてしまった時、「逃げずに頑張る」という選択をとってしまったが故に、心を病んでしまったり、時には命さえ失ってしまったりといったことだってあるでしょう。

だから、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」ということを心に刻んでおくことは、多分重要なことだと思うんです。けれど一方で、私は「すぐ逃げる子になってしまうかも」という、心のどこかにあった懸念を捨てることにしました。

長男は、「逃げずに頑張る」こともちゃんと選べる子でした。「まだ、これは無理じゃない」という判断の元、困難に正面から立ち向かうことも出来る子でした。

「無理だったら逃げていい」という言葉は、長男を「逃げる子」にすることはなく、むしろ「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にしてくれていた。そう思っています。

時に、大事な何かを失わないように。

よく頑張った。私は、長男の頑張りを尊敬します。自分も負けてられないな、と思います。

一方、今回長男の計画がリスク顕在化で破綻したことも事実は事実なので、長男には「プロジェクト運営上のリスク管理」「リスクが顕在化した時の対応ノウハウ」というものも教えないとなーと思い、また折を見てノウハウを伝えていこうかなーと思った次第なわけです。夏休みの宿題程度で何をおおげさな、と思われるかも知れません。

けれど私は、「夏休みの宿題」という程度のものが、小学生にとっては十分、真剣な、強大な、恐ろしい強敵であることを知っています。
大人にとっての困難なプロジェクトと同じくらい、子どもにとって困難なプロジェクトであることを知っています。

だから私は、今後も自信を持って、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と伝えていこうと思うんです。本当に逃げないといけない
いやホント、リスク管理と計画の見直し重要ですよね。計画立案の次くらいに重要だと思います。

 

 

A.i

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英才教育は役に立たない

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「子どもに英才教育をしてきたのに成績が思うように伸びない」
という相談をよく受けます。精一杯チャンスを与えてきたつもりなのに結果がでない。ほかの子よりも先を行かせるために英才教育をしてきたのに、むしろ遅れをとっていたり、バランスをくずしていたりするわけです。本当のところ、早期英才教育のほとんどは役にたたないと私は思っています。

◇自然に育つプログラミングを無視するな

 人間の脳というのは、特別なことは何もしなくても自然に成長していけるだけのプログラミングがきちんと施されています。しかもそれは非常に安定した、強固なものです。
 間違った英才教育というのは、つまりはそのプログラミングを無視して、無理やり脳をより早くつくりあげようとするものだと思います。
 本来の実がなるサイクルを早めようと、促成栽培した野菜や果物は美味しくないですよね。それは、本来の育ち方を人工的に早めた結果、細胞が崩れて形成されるからだと言われています。
 そう考えれば、人間だって促成教育しようとすれば無理が生じるのは当然です。
 そもそも、子どもの成長に早道などありません。だから人間が自然に育っていくプログラミングに応じて、その年齢なりのベストを目指してほしいのです。
 偏った刺激を過剰に与えると、むしろ成長するにつれてさまざまな問題が生じてきます。

◇早期英才教育でつめ込むと、何をやっても心が波打たない子になる

 私の以前の生徒に、何にも興味を示さない小学5年生の子がいました。私立の小学校に通っていて、幼児教育や英才教育の塾にも行っていました。
 フラッシュカード、速読、右脳教育などを、子どもの意思に関係なく次々と与えられて、楽しむことを知らずに大きくなっていく。それを繰り返していると、本当は楽しいはずの体験をしたり、新しい知識を吸収したりしても、心がまったく波打たない子どもになってしまうのです。直感で物事を捉えることが習慣になってしまって、理解や納得に興味を示さなくなってしまうのです。そうなってしまうと、もう一朝一夕では治りません。フラッシュカードや速読による直感頼りの学習から、自分の頭のなかにある言葉で考えるスローな学習に変えていくことも必要ですし、知ることや、わかることの楽しさも教えていくとなると、場合によっては、治すのに5年以上かかることもあります。

 さらには、こんなケースもありました。算数だけが飛び抜けてできる小学6年生の子どもです。
 算数の能力はもう抜群で、理科もほどほどにできましたが、国語の成績が本当に悪かったのです。
 優秀な国語の家庭教師をつけても点数が上がらないため、困り果てたお母さんは、何度も私のところに相談にこられました。
 お母さんとさまざまに話してわかったのは、その子が赤ん坊の時に数字にばかり親しんでいたということです。
 表には数字、裏にはひらがなが書いてある積木を用意すると、幼い頃は一般的に、子どもは数字ではなくひらがなで遊ぶものですが、その子はいつも数字のほうで遊んでいたといいます。ハイハイをしていた1歳の時から簡単な足し算はできたといいますから驚きです。
 でも、それは決してよい結果を生みませんでした。その子も中学受験をしたのですが、結局合格できなかったのです。
 中学3年生になる頃まで私に連絡があり、「英語と国語がまったくできなくて、内申が取れないんです。どうしましょう」と、お母さんがお手上げになっている様子が印象的でした。
 これは、過剰に偏った刺激だけを与え続けるとどうなるかという、一つのわかりやすい例だと思います。

◇子どもが嬉々としてする習いごとは間違いなく効果的
 
(中略)

 子どもが幼い頃には、適切な量や質の刺激を与えることを心がけてください。親が意図的に与える早期英才教育などの“学習刺激”以上に、普通の生活のなかで親が知らないうちに子どもが受けている“学習刺激”に注目しましょう。それは、英才教育などではありません。友だちとの遊びや、一人遊び、家でのお手伝いや会話を通じて、子どもは学習に結びつく刺激を受け続けています。だからこそ、子どもには普通の遊びをどんどんやらせてください。ちょっとしたお出かけや、買い物、旅行など、親子でさまざまな経験を積むこともおすすめします。親と一緒にしたことは、幼い子どもの心には思い出とともに深く刻まれるので、脳を成長させる刺激としてとても効果的です。

◇子どもが楽しんでやっている習い事は間違いなく効果がある

 よく、小学生の習いごとは何をどれくらいすればいいのかと聞かれるのですが、それについては一概には言えません。精神的、体力的にたくましい子どももいれば、それほどタフではない子どももいるなど、小学生のうちは特に個人差が大きいからです。
 確かに、スポーツや音楽などの身体で覚える芸事は、幼いうちから始めるメリットはあります。
 基準は、子どもが喜んで楽しそうにやっているかどうかです。どんな習い事でも、子どもが嬉々としてやっていれば、それは間違いなく効果があります。
 反対に子どもが日々疲れ切っているようであれば、習い事の数を減らしたり、内容を見直したりする必要があるでしょう。

 

 

 

 

大森久蔵

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