「無理だったら逃げていい」という言葉は、子供を「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にした。

( リンク )より引用

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しんざき長男、10歳。小学4年生。将来は電車の運転手になることを固く決意している、清く正しい電車少年です。

先日、長男の夏休みの宿題が終わりました。全て終わったのは8/24でした。

なんか長男が通ってる小学校は25日から始まるそうで、「8/31に泣きながら宿題追い上げ」という風物詩も最近はあまり聞かない言葉になりつつあるんですかね?

なんにせよ、長男にとっては8/24が宿題のタイムリミット、デッドラインだった訳です。

実を言いますと、今年の長男の夏休みの宿題は、ある意味で破綻プロジェクトでした。

以前、こんな記事を書きました。

夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話

2年前の話です。この年の夏休み、私は長男に初めて「タスクを細かく切り分ける」「計画を立てる」「計画を見直しながら進める」というノウハウを伝えて、そこにITを絡めてみました。

計画立ても、長男に色々ヒアリングしつつ、基本的には私がやってみせました。

で、去年の夏休みは、計画立てから長男が自分でやりました。

途中でちょこちょこ様子は見て、無理がありそうな部分があったら見直した方がいいよと助言はしつつも、そもそも宿題の絶対量がそんなに多くなかったこともあり、危なげなく宿題は完遂されました。

長男にとっては、「自分で計画を立てて、それを運営する」という、人生初の成功体験です。

で、今年は初めから「ぼくが全部やるから!」と言いましたので、私はほぼ干渉しないことにしたのです。

長男は、一昨年、昨年と覚えたノウハウそのままに、「この日は〇〇と××をやる!」「この日は△△だけ!」といった計画を立てました。手慣れたものです。

ただ、今年の計画には一つ大きな落とし穴があり、それに長男は気づいていませんでした。というか、気づいてはいましたが、それ程重要視はしていませんでした。

長男は今年から塾に通い始めており、この夏も夏季講習に行く予定だったのです。

塾で出される課題もそれなりの分量ある筈で、一日に出来るタスク量、学校の宿題に割ける時間はその分目減りすることが予想されました。

私や奥様も一応その点気にして、「塾の課題大変じゃない?」とか「課題の分量も計画に入れた方がいいんじゃない?」と言ってはみたんですが、長男は「大丈夫だよー、学校の宿題とは別の時間にやるから」とだいぶ軽く見ている感じです。

干渉しないと決めた手前、私もそれ以上は言いませんでした。

ある程度予想していた通り、夏休みも中盤にさしかかる頃、長男の宿題進捗にはかなりの遅れが出ていました。初めての夏期講習は、やっぱり長男には負荷が大きかったようです。リスクの顕在化です。

旅行に行ったり、スプラトゥーン2を遊んだり、祖父祖母の家に遊びにいっていたこともあり、ずるずると進捗遅れが出てしまった長男の宿題は、「終わるかなあ…?」と長男が泣きべそをかくくらいの量になってしまったようでした。

ここで、実は一つ、私は長男に謝らないといけないなーと思っていることがあります。

私は昔から長男に、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と教えています。部活でもそうですし、塾でもそうですし、習い事でもそうです。

例えばいじめが発生した時とか。長男の心に、何かが重くのしかかってきた時とか。それで潰れてしまうくらいなら、逃げて別の選択肢を探した方がずっと良い。

私はそう思っているし、人生には時として「逃げる」という選択肢を選ぶことも重要だ、とも思っています。だから、長男にそう伝えてきました。

ただ、これについては賛否あるだろうなーとは思っていて。「ちょっと大変なだけでも逃げちゃう子に育つんじゃない?」と、私は昔指摘されたことがあります。

そんなことない、「最後の逃げ道」を心に抱えておくことは、むしろ心の弾力を保つ為に役立つ筈だ。そう思っていながらも、私も心のどこかで、長男に「逃げ癖」がついてしまうことを心配していた。それは正直否定出来ないんです。

ところが長男は、今回、「夏休みの宿題大ピンチ」という、いわば「プチ窮地」から逃げませんでした。

計画が破たんしてしまったことは冷静に認めて、その上で「逃げずに頑張る」という道を選びました。親に頼って手伝ってもらうという選択すら、言い出すらもしませんでした。

そして、実際に今回の窮地は、「逃げずに頑張る」という選択で打倒することが出来たのです。

24日の夕方頃、仕事中にかかってきた電話に出ると、長男は喜色満面の声で「宿題終わったーーーー!」と叫びました。

私は一言、「よくやったな」と言いました。

「逃げずに頑張る」という選択は、良し悪しです。例えば社会に出て、万一いわゆるブラック企業に勤めてしまった時、「逃げずに頑張る」という選択をとってしまったが故に、心を病んでしまったり、時には命さえ失ってしまったりといったことだってあるでしょう。

だから、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」ということを心に刻んでおくことは、多分重要なことだと思うんです。

けれど一方で、私は「すぐ逃げる子になってしまうかも」という、心のどこかにあった懸念を捨てることにしました。

長男は、「逃げずに頑張る」こともちゃんと選べる子でした。「まだ、これは無理じゃない」という判断の元、困難に正面から立ち向かうことも出来る子でした。

「無理だったら逃げていい」という言葉は、長男を「逃げる子」にすることはなく、むしろ「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にしてくれていた。そう思っています。

 

 

 

 

匿名希望

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「母親に認められている」と感じている子どもは、何度でも挑戦する

■「母親に認めてもらっている」と実感している子どもは、自分の力を信じて、何度でも挑戦する

「人生の節目節目で体験した危機的な状況に際して、母ほど自分を認め、信じてくれた人はいない。それなくしては、決して発明家としてやっていけなかった気がする。母の記憶は神の祝福に等しいものである」(『エジソンの言葉 ヒラメキのつくりかた』(浜田和幸/大和書房より引用)

この言葉は、20世紀最大の発明家、トーマス・エジソンの言葉です。エジソンにとって、母親の存在、そして、母親がしてくれたことは、とても大きなことだったようです。

では、エジソンの母親がしてくれたことは、どんなことだったのでしょうか。私の考えでは、次の「3つ」だったと思っています。

【1】誰がなんと言おうと、いつもエジソンが素晴らしい力を持っていると信じたこと
【2】そして、それを言葉や態度でエジソンに伝え続けたこと
【3】エジソンが興味を持った分野を尊重して、十分にやらせてあげたこと

エジソンは、学校の先生からも、父親からも、友だちからも、「ダメではないか、頭がおかしいのではないか」「変な子だ」と思われていたようです。

それでもエジソンが、「自分はダメだ」とも「自分は変だ」とも思い込まずにすんだのは、どんなときも息子の行動を理解し、持っている力を信じ、あたたかく励まし続けた母親のおかげだったのでしょう。

といっても、エジソンの母親は、エジソンの中に「発明家としての才能」を見い出していたから、「あなたには素晴らしい力がある」と励ましたのではないと思います。

また、ほかの子どもと比較をした結果として「あなたは優れている」と言ったのでもないと思います。

そういうことではなくて、「どんな子どもでも、もともと、素晴らしい力を持っている」というのが、子どもを見るときの大前提だったと思います。

比較の結果として、「ほかより優れているから素晴らしい」と認められたり、「これができたら、あなたはすごい」という条件付きでしか認めてもらっていない子どもは、誰かに追い抜かれたり、うまくできなかったときに「ああ、自分はダメなんだ。力がないんだ」と思い込んでしまうでしょう。

そうではなくて、「できても、できなくても、人に勝っても負けても、そんなことに関係なく、あなたはもともと素晴らしい力を持っている」というメッセージを子どもに伝えてあげる……。「母親に認めてもらっている」と実感している子どもは、たとえうまくいかないことがあっても、自分の力を信じて、何度でも挑戦しようとしてくれるのではないでしょうか。

自分に「自信」を持っていると、人生を簡単にあきらめたり投げ出したりしない人間に育っていくようです。

引用:リンク

 

 

 

 

中 竜馬

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褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究)

子供の能力ではなく、行動について褒めるのが良いようです。

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 褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究) : カラパイア(リンクより転載)

 「頭がいいね」とか「賢い子だ」と褒められて育った子供は、困難に直面したときにすぐ諦めてしまったり、ズルをしたりすることが多くなるそうだ。

 子供が3歳くらいになると、「とても頭がいいね」と言われたときと、「とても上手だね」と言われたときでは、行動に違いが見られるという。

■行動ではなく能力を褒めることに問題が生じる

 『Psychological Science』に掲載されたアメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校のゲイル・ヘイマン(Gail Heyman)氏らの研究は、子供の努力や特定の行動ではなく、生まれ持った能力を褒めることは、学習意欲や困難に取り組む力を低下させる結果を招くという有名な先行研究を踏まえたものだ。

 今回の研究は、倫理観についても着目し、それが従来知られていたよりも幼いうちから子供に影響を与えていることを示した。幼稚園のような環境でも褒め方の微妙な違いはデリケートな問題であるらしい。

 「子供に頭がいいと褒めることはごく当たり前で自然に行われています。それが子供の意欲に悪影響を及ぼすことが分かっていたとしても、両親や教育者はついついそうしてしまいます。今回の研究は、それがやる気だけでなく、倫理観にも影響することを実証しています。子供は上手くやるためにズルをするようになるのです」(ゲイル・ヘイマン氏)

■頭がいいと褒められた子はズルをする

 研究では、中国東部に暮らす300人(3歳150人、5歳150人)の子供たちを対象に、数字カードを使った推理ゲームを行なってもらった。

 この間、子供たちは頭の良さか、成績かどちらかを褒められる。対照群では一切褒めない。褒めてから、ズルをしないように約束を交わした後で、研究者はゲームプレイ中に1分間だけ席を外す。その間、隠しカメラで子供たちがカードの数字を覗き見するために移動したり、体を傾けたりしていないか観察した。

 その結果、3歳の子供も5歳の子供も、頭がいいと褒められた子は、成績を褒められた子や一切褒められなかった子よりも、ズルをする割合が高かった。また男女共に同じ傾向が観察された。

■褒めて伸ばす教育も、正しい褒め方をしないと逆効果に

 なおヘイマン氏らは『Developmental Science』に頭の良さを直接褒めるのではなく、そうした評判があると告げた研究も掲載している。

 その心は、能力を褒めることは、行動を褒めることとは違い、上手くやることに対するプレッシャーと結びつくと考えられることだ。

 頭がいいと褒められた子は、ズルをしてでも他人の期待に沿うような好成績を残さねばならないというプレッシャーを感じているようなのである。

 子育てでは子供たちの意欲を育んであげたいものだが、それには正しい褒め方をしなければならない。さもないと逆効果になることもあるということだ。

via:Psychological Science(リンク) / Developmental Science(リンク) / ucsdnews(リンク)/ translated by hiroching / edited by parumo

 

 

 

 

瀬部倫一郎

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「考える力がない子」を変える3つの問いかけ~具体的な導き方は、意外と大人も知らない②

①の続きです。
リンクより

■「考える」が始まる、3つのアプローチ

そこでまずは、「考える」とはどういうことか、筆者の考えをお話ししましょう。これがわかるとどのようなアプローチを取ればいいかわかります。

【「考える」とは】 

「自分の言葉で語れること(What)」「疑問に思うこと(Why)」「手段や方法を思いつくこと(How)」のいずれかのことをしているときに、「考えている」という状態になると考えます。

通常の教育では、「これは何?」「どこ?」「いつ?」「どっち?」が多く、このようなインプットばかりのアプローチでは、考えるという行為は起こりにくいのです。

しかし、次の3つのアプローチを使うと「考える」が始まります。

1)「自分の言葉で語れること(What)」

「この問題の解き方を自分の言葉で言うとどうなる?」「この人の言っていることってどういうことだろうね?」「要するにこれはどういうことなんだろうね」と聞き、“自分の言葉で”語らせるようにすると、頭が動き始めて、「考える」ことが始まります。

2)「疑問に思うこと(Why)」

「なぜそうなの?」「なぜだと思う?」「どうしてこうなんだろうね〜」と問われると人間は、考えます。どうしてだろうかと。たとえば、「あなたの住所はどこですか」と聞かれると、頭に入っている知識をアウトプットすればいいですね。このときは考えていません。しかし、「なぜ、そこに住もうと思ったのですか」と聞かれると、「あれ、どうしてだったかな」と考え始めますね。これが考えるということです。

3)「手段や方法を思いつくこと(How)」

「どうしたらいいと思う?」「どのように感じた?」など英語で言うHowに関係する質問をすると考え出します。これも単に知識を問いているわけではなく、考えないと出てこない質問です。

これら3つのアプローチは、勉強での応用力のみならず、実は、社会人となって求められる重要な要素なのです。私は現在、第一線で働く社会人の方を対象に研修も行っています。その社会人研修ではよく、「what why how」 の3つについてお話をします。これらは、いずれも社会で必要な視点であるといわれているからです。

「課題は何か?(What)」「なぜそうなのか?(Why)」「ではどうすればいいのか?(How)」という3つの視点がないと企業は進化発展できません。科学の世界でも、この3つを重ねて進化してきていますね。もちろん昨今のテクノロジーもしかりです。

以上のように、社会に出て最も必要とされる3つのアプローチを使って、「考える力」をつけておくと、勉強での応用力のみならず、将来にもつながる本質的能力を手に入れたことになります。

■あまりアウトプットの質を問うと台無しになる
ただし、気をつけなければならないことは、「質問をして、相手が答えられなくてもいい」ということを知っておくことです。

質問されると自動的に頭は考え出しますから、アウトプットの質は問いません。答えなくても頭は動いているということなのです。この点知らないと「なぜわからないの!」という言葉が出てしまうと、せっかく考え始めた子どもをがっかりさせる可能性があるので注意が必要です。

このように「考える」ということができるようになるには、問いかけが大切になります。テーマは日常のテーマなんでも構いません。逆に勉強以外をテーマとしてほうがすんなりと入りやすいのですね。ぜひ、ご家庭でこの3つのキーワードを使って「考える力」を伸ばしていってください。

 

 

 

秀凜

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「勉強しなさい」は逆効果

以下リンク
Sankei Bizより

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 子供の学力を伸ばすには、どうすればいいのか。少なくとも「勉強しろ」と怒ることは逆効果であるようだ。東京大学社会学研究所とベネッセ教育総合研究所による追跡調査によると、「勉強嫌い→勉強好き」に変わった子は、勉強が楽しくなる「きっかけ」をつかんでいる。うまくやれば、「東大進学」も決して夢ではない--。

 なぜ、勉強嫌いな子が勉強好きに“豹変”するのか?

 夏休みが終わり、子供たちはまた学校へ通い始めた。

 リラックスモードから上手に勉強モードへシフトできればいいが、そうは問屋が卸さない。東京大学社会学研究所とベネッセ教育総合研究所が行った「子供の生活と学びに関する親子調査2015-2016」によれば、「勉強嫌い」の子は小学校、中学校、高校と年齢が高くなるごとに増えていく実態が明らかになっている。

 とくに顕著なのが、小学生と中学生の差である。「勉強が好き」と答えているのは、小学生(4~6年生)では64.8%だが、中学生では45.3%。20ポイントもダウンしている(つまり、中高生の半数以上が「勉強嫌い」)。勉強内容が難しくなるにつれて、「嫌い」派が増えてきているようだ(グラフ1参照)。

 わが子に自分の将来を考え勉学に励んでほしい親としては何とも頭の痛い話だが、いい話もある。この調査では同じ親子を2年間追跡することで希望の光も見えたという。

 1割の子供は勉強が「嫌い→好き」へ

 それは、1年前は勉強嫌いだったのに、翌年、勉強好きに変わった子が一定数いたということだ。同調査によれば、その「嫌い→好き」組はどの学年でも「1割前後」は存在していた。ズルズルと雪崩のように勉強嫌いな子が増えていくだけではなかったのだ。

 調査に携わったベネッセ教育研究所の橋本尚美研究員は、次のように語る。

 「その子たちはただ勉強好きになっただけでなく、学習時間が延びて、成績も上がっています。しっかり学習成果に結びついているんです。さらに追跡調査によって勉強好きになった子やその家庭の特徴がわかってきました」

「勉強しなさい」と叱ると勉強嫌いのままになる可能性

 勉強が嫌いだった子がなぜ、勉強好きに豹変したのか? 「嫌い→好き」の子供や家庭の特徴は何なのか? 前出の橋本尚美研究員は2点挙げる。それは「本人が勉強する動機」と「勉強方法」だ。

 まず、「本人が勉強する動機」について。勉強する理由として、「新しいことを知るのがうれしいから」が当てはまると答えた子供は、「勉強嫌い→勉強好き」になった子の場合76.1%であるのに対し、「勉強嫌いのまま」の子は42%で、約34ポイントもの大きな差があった(グラフ2参照)。

 「“勉強嫌い→勉強好きになった子”は、『知るのがうれしい』といった自分の好奇心や関心など内発的動機で勉強している割合が高いということです。もともと知的好奇心を備えてはいたものの勉強が嫌いだった子が、何かをきっかけに勉強と知的好奇心が結びついて、勉強好きになったと考えられます。一方、“勉強嫌いのままの子”が勉強する理由は、先生や親にしかられたくないからという外発的動機がもっとも高い結果でした」(同)

「勉強しなさい」という言葉を胸にしまってすべきこと

 以上の結果・分析から確実に言えること。それは「勉強しなさい」と子供をしかるのは、かえって勉強嫌いのままにしてしまい逆効果になる可能性が高いということだろう。まったくもってしかり損なのだ。

 この調査では、学校で“調べ学習”(たとえば、住んでいる地域の歴史や産業を調べる社会科の授業など)をした経験がある子の方が、勉強好きになるという結果も出ている。親は「勉強しなさい」という言葉は胸にしまって、子供の興味に寄り沿い、そのことを一緒に楽しむ(たとえば、興味を持ったことをネットで調べたり、関連する本を買ってやったりする)ことから始めたほうが、1年後にミラクル(勉強嫌いな子が勉強好きに変身)がやってくる可能性が高い。
“モニタリング勉強法”をする子は勉強好きになる

(中略)

勉強嫌いの子でも「東大式勉強法」で成長可能

 東大生173人に小学生時代を振り返ってもらうアンケートをとると、「勉強して、新しいことを知るのが嬉しかった」が84%、「勉強で問題を解くのが楽しかった」が82%、「知りたいことがあると、じっとしていられないタイプだった」が73%など、勉強に対する内発的動機できわめて高かった。さらに「苦手を確認しながら学習するモニタリング方略だった」学生は57%だった。彼らがかつて勉強嫌いだった時代があったかどうかは不明だが、前出の「勉強嫌い→勉強好き」の子供たちは、東大生と似た特徴や取り組みをしていることになる。

 一般的には「東大生=神童」で小さい頃からどの科目もいい点数をとるというイメージがあるが、実は「苦手科目」もある。だが、それを自らモニタリングする手法によって克服していたのだ。

 わが子が現在「勉強嫌い、もしくは苦手科目がある」という状況でも悲観することはない。勉強が楽しくなる「メソッド」さえ身に付けさせてあげれば、東大合格も決して夢ではなくなるはずだ。

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匿名希望

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褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究)

「頭がいいね」とか「賢い子だ」と褒められて育った子供は、困難に直面したときにすぐ諦めてしまったり、ズルをしたりすることが多くなるそうだ。
 子供が3歳くらいになると、「とても頭がいいね」と言われたときと、「とても上手だね」と言われたときでは、行動に違いが見られるという。(リンク

■行動ではなく能力を褒めることに問題が生じる
 『Psychological Science』に掲載されたアメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校のゲイル・ヘイマン(Gail Heyman)氏らの研究は、子供の努力や特定の行動ではなく、生まれ持った能力を褒めることは、学習意欲や困難に取り組む力を低下させる結果を招くという有名な先行研究を踏まえたものだ。
 今回の研究は、倫理観についても着目し、それが従来知られていたよりも幼いうちから子供に影響を与えていることを示した。幼稚園のような環境でも褒め方の微妙な違いはデリケートな問題であるらしい。
「子供に頭がいいと褒めることはごく当たり前で自然に行われています。それが子供の意欲に悪影響を及ぼすことが分かっていたとしても、両親や教育者はついついそうしてしまいます。今回の研究は、それがやる気だけでなく、倫理観にも影響することを実証しています。子供は上手くやるためにズルをするようになるのです」(ゲイル・ヘイマン氏)

■頭がいいと褒められた子はズルをする
 研究では、中国東部に暮らす300人(3歳150人、5歳150人)の子供たちを対象に、数字カードを使った推理ゲームを行なってもらった。
 この間、子供たちは頭の良さか、成績かどちらかを褒められる。対照群では一切褒めない。褒めてから、ズルをしないように約束を交わした後で、研究者はゲームプレイ中に1分間だけ席を外す。その間、隠しカメラで子供たちがカードの数字を覗き見するために移動したり、体を傾けたりしていないか観察した。
 その結果、3歳の子供も5歳の子供も、頭がいいと褒められた子は、成績を褒められた子や一切褒められなかった子よりも、ズルをする割合が高かった。また男女共に同じ傾向が観察された。

■褒めて伸ばす教育も、正しい褒め方をしないと逆効果に
 なおヘイマン氏らは『Developmental Science』に頭の良さを直接褒めるのではなく、そうした評判があると告げた研究も掲載している。
 その心は、能力を褒めることは、行動を褒めることとは違い、上手くやることに対するプレッシャーと結びつくと考えられることだ。
 頭がいいと褒められた子は、ズルをしてでも他人の期待に沿うような好成績を残さねばならないというプレッシャーを感じているようなのである。
 子育てでは子供たちの意欲を育んであげたいものだが、それには正しい褒め方をしなければならない。さもないと逆効果になることもあるということだ。
 ちなみに私は子どもの頃けなされることはあっても褒められることは皆無だった。褒められるようなことは何一つしていないといわれたらそれまでなんだけど、あまりにも褒められなかったせいで、大人になってから褒められるとそれが信じられなくて、「やだこの人なんだろう?何目的?何をしてあげたらいいの?」とか思ってしまうほど自分に自信がもてず様々な弊害が生じている。
 子育てってほんと難しくて、時代と共にどんどんその方針も変わってきてて、親御さんの場合には戸惑うことも多いと思うんだけども、時に客観的ビジョンも必要になってくるということか。

 

 

 

A.i

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「子の将来は親の育て方次第」という大誤解

(以下引用)―――――――――――――――――――――――――――
(リンク

■子育て神話
まずは、私の実体験から。
「愛情をこめて抱きしめると、優しい子どもになる」「寝る前に本を読み聞かせると、子どもは勉強好きになる」「体罰は子どもを攻撃的な性格にする」
世間でまことしやかにささやかれる、これらの言説。その裏にある考え方を、私は「子育て神話」と呼んでいる。それは、親の育て方が子どもの人生を決めるという考え方だ。子育て神話によれば、子どもに文化や知識を伝えるのも、将来、社会で一人前の大人として認められるよう準備を整えさせるのも、すべて親の役目となる。だから親は必死で「よい親」になろうとする。その心理的負担はとても大きい。
しかし、よく考えてみてほしい。私がかつて目の当たりにしたように、移民の家庭の子どもは、移民先の言葉や習慣を親から学ぶことができないにもかかわらず、すぐにそれらを身に付ける。ほかにも不思議なことがある。イギリスの裕福な家庭に生まれた男子は、8歳になると全寮制の寄宿学校へと送り出され、その後10年間を学校で過ごす。長期休暇で帰省するとき以外、親とは顔を合わせない。
それでも、寄宿学校を巣立つ頃には立派なイギリス紳士の行動様式を身に付ける。上流階級のアクセントや立ち居振る舞いは父親そのものである。父親は、息子の成長にちっともかかわっていないにもかかわらずだ。

実は、子どもの性格に決定的な影響を及ぼすのは、親ではない。重要なのは仲間集団だ。家庭から解き放たれた子どもは仲間集団とのかかわり合いの中で、社会のルールや自らのキャラクターを身に付けていく。
この「集団社会化」が人間の発達上いかに重要かを知っていただくために、逆にそのプロセスが欠けてしまうとどうなるのか、ウィリアムの事例を紹介したい。

■社会不適合状態に陥った神童
ウィリアム・ジェイムズ・サイディスは、1898年4月1日、ボストンに生まれた。ゼロ歳の頃から両親による徹底的な英才教育を授けられ、11歳(当時最年少)でハーバード大学に入学。数カ月後には「4次元物体」と題した講演を行い、数学教授たちを驚かせたという。ウィリアムは、まさに神童だった。
しかし、この頃をピークに、ウィリアムの人生は暗転する。彼はやがて修士課程を中退。頭を使わない安月給の事務仕事を転々として過ごした。趣味は路面電車の乗り継ぎ切符の収集で、それについての本も書いたが、ある読者は「まさに本の歴史の中で最もつまらない本」と評した。結局、ウィリアムは46歳で心臓発作のため亡くなった。独身で無一文、完全な社会不適合状態に陥っていた。
ウィリアムのおかれた状況は、仲間との付き合いがないままに成長したサルの状況と似ている。霊長類学の研究によれば、そういうサルは、母親不在のサルと比べても明らかに異常行動が目立つという。ウィリアムもまた、同年代の子どもたちとの普通の関係を知らずに育ったため、社会に適応できず、高い知能をふいにしてしまった。

■地域によって異なる仲間集団の規範
ラリー・アユソというバスケットボール選手がいる。プエルトリコ代表として2004年アテネ五輪や2006年世界選手権にも出場した彼は、16歳まで「ニューヨーク最悪のスラム」として知られるサウスブロンクスに住んでいた。成績不振でバスケットボール部への入部が認められず、ラリーは高校を中退。友人のうち3人は麻薬がらみの殺人事件に巻き込まれ、命を落とした。
犯罪の道に今にも足を踏み入れようとしていた彼を救ったのは、スラム街から子どもたちを連れ出し、遠く離れた別の土地に転居させるプログラムだった。転居先はニューメキシコ州の小さな町で、彼は中流階級の白人家族とともに暮らすことになった。
2年後、ラリーは転校先の高校のバスケットボールチームで、1試合平均28点を稼ぐエースとして活躍していた。成績もAとBばかりで、大学進学を目指していた。ラリーは南カリフォルニア大学に進学。卒業後、プエルトリコに渡ってからの活躍ぶりは、先に記したとおりである。
彼がサウスブロンクスの古巣を訪れたとき、かつての友人たちは彼の服装に驚き、話し方がおかしいと言ったそうだ。ラリーの変身は、ラリーを引き取った白人夫婦の功績ではない。ラリーの仲間集団が劇的に変わったからだ。
地域によって、大人の行動様式も、子どもの育て方も違う。さらに地域によって、子どもたちの仲間集団が従うべき規範も異なる。ラリーが以前住んでいたような地域では、子どもたちの行動規範は攻撃的であること、反逆的であることだった。
サウスブロンクスに住むラリーの昔の友人たちは、「社会化されていない」わけではない。ほかの地域の子どもたちがするように、彼らは自分の属する集団に自分の行動様式と態度を順応させただけなのだ。ニューメキシコのラリーの新しい友人たちと行動様式、話し方、そして服装が違うからといって、サウスブロンクスの子どもたちが社会化を果たしていないことにはならない。昔の友人たちも新しい友人たちも、異なる規範を掲げるそれぞれの集団で社会化を果たしたというだけなのだ。

 

 

 

 

穴瀬博一

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「考える力がない子」を変える3つの問いかけ~具体的な導き方は、意外と大人も知らない①

「考える力」を身につけるには?子育てしている中でもつい「考えなさい」とか、聞いたことに答えられないと「なんでできないの?わからないの?」と言ってしまうこともあると思います。大人が知っておくべき導き方が書かれていたのでご紹介します☆

リンクより
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■「考えなさい」という側がその意味を必ずしも知らない
「応用力がない」という言葉はこれまで、数多く、あらゆる場面で聞いてきた言葉です。子どもの指導でも、基礎問題、応用問題と分かれていますね。基礎問題はできるが、応用問題はできないという子は非常に多いものです。

本郷さんの最終的な質問として、「考える力を身につけるにはどうしたらいいでしょうか」とあります。もちろん応用力をつけるには、考えることが大切なことなのですが、「考える」とはどういうことか、そもそもその意味がわかっていないで使ってしまっている可能性もあります。「どういうことを”考える”というのかご存じですか?」と問われて答えられるでしょうか。
かくいう私も20歳まで、考えるとはどういうことか知りませんでした。ですから勉強しても表面的に点数は取れますが、応用問題などの“変化球は打てなかった”のです。

その後、塾を開設し、学校法人の経営を行うようになって気づいたことが、多くの人が「考えるとはどういうことか」「考える方法とは」を知らずに、「考えなさい」という言葉を使っていたことだったのです。これでは言われたほうもたまったものではありません。勉強の世界では、このように抽象的な言葉で激励するだけで方法論は伝えない、という不思議な現象が多々あるのです。たとえば次の2つはその典型だと思います。
例1)「勉強しさない!」と言われることはあっても、「具体的な勉強方法」を教えてもらうことはさほどありません。にもかかわらず、「勉強しなさい!」という言葉だけが独り歩きしている。
 
例2)「来週テストするから覚えてくるように」と言われることはあっても、「覚え方」を教えてもらったことはない。にもかかわらず、誰もが覚え方を知っていることを前提として「来週テストするから」と言われる。
 
もちろん、このような方法を教えてくれるすばらしい指導者の方も世の中にはたくさんいます。そのような先生に当たればラッキーですが、少なくとも私自身教えてもらった記憶はありませんし、さらに私が指導してきた子どもたちに聞くと、これまで方法を教えてもらったことがないという子ばかりでした。これでは、いくら「勉強しなさい」「覚えなさい」と言われても、せいぜい、ノートを見るか、教科書を眺めるか、問題集を1回解いたというレベルとなってしまうのも無理はありません。しかも、そのようなやり方では点数につながらないため、もともと面白くない勉強がさらに嫌になってしまいます。

これと同じことで、「考えなさい」と言われても「考え方」を教えないので、いつまで経っても、考えるようになりませんし、応用力をつけるなど、夢のまた夢となってしまうのです。

②に続く

 

 

 

 

秀凜

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「追求」と「遊び」は一体。境界線のない子どもに学んでいく。

本来、子どもにとって「追求」と「遊び」は一体。
大人になって気付く窮屈な線引きの一つ。
遊びの中で育む追求心を大人は無意識に線引きしていることを自覚し、子供に学んでいきたい。

「おもちゃ」と「おもちゃじゃないもの」の 境界線ってどこだろう?(リンク)より引用

*・*・*・*・*

いま、世の中にはモノが溢れているけれど、子どもたちが遊ぶ「おもちゃ」は増えているのだろうか。 
それとも減っているのだろうか。 

そもそもおもちゃは、どこから“おもちゃ”で、どこからが“おもちゃじゃないもの”なのだろう。 

子どもの近くにいると、その境目がわからなくなってくる。

●おもちゃじゃないものが、おもちゃになるとき
3歳のさくちゃんが、公園の真ん中にそびえたつ街灯柱を見ている。 

しかし彼が本当に見ているのは街灯ではなく、柱の下にある、大人なら見落としてしまいそうな“小さな穴”のようだ。

「あながあいてるね」とつぶやきながら、さくちゃんは落ちていた木の枝を拾い、そっと穴に突っ込んでみる。 

枝は短いので、穴の中にすっと消えてしまった。 

「はいっちゃった」さくちゃんはそう言いながらまた、木の枝を拾う。今度は長い枝だ。 

するとその枝は穴の中に落ちていかない。 

いくら突っ込んでも穴の中に落ちない枝を横目に、さくちゃんは再び周りを見渡し、短い枝や小石を拾っては、順番に穴に落とし始めた。 

***

それは、さくちゃんにとって、街灯柱の下にある小さな穴がおもちゃになっていく瞬間だった。 

これは入る、これは入らない。 
なぜ入るのか、なぜ入らないのか。 

わたしには、さくちゃんの集中する姿が、言葉をかけるのがもったいないほど輝いて見えた。 

こういうとき、大人たちはどう接したらいいのか。 

「それはおもちゃじゃないから、遊んじゃだめ」、「あっちのすべり台で遊ぼうよ」と言うのが正しいだろうか。大人目線のルールを考えれば、そうかもしれない。

さくちゃんがふと、私の顔を見る。 
集中力がふっと切れたような瞬間だった。 

「ここに入っちゃった枝は、どうやって出せばいいんだろうね」と私がつぶやくと、「もうとれないよ」と彼は、そんなことわかっている、というような口調で言った。 

「じゃあ、枝や石が、この中にどんどんたまっていくのかな」 

さくちゃんは、少し何かを考えたような顔をしたが、その質問には返事をせず、長い枝を持ってそこを離れていく。後ろ姿が、妙に清々しい。

●大人がつくる、おもちゃにまつわる境界線

1歳くらいの子どもたちに人気のおもちゃで、「ぽっとん落とし」というものがある。

今考えると、さくちゃんが興味を示した街灯柱の穴は、このぽっとん落としに似ているかもしれない。 

私も子どもだった頃よく遊んだ記憶があるが、この「モノを落とす」という行為を楽しんでいる子どもの姿に気づいた大人が、それを「おもちゃ」という形で提供したのだろうか。街灯柱とは違って、繰り返し何度も遊べるように。 

さくちゃんが過去にぽっとん落としを経験したのかどうかは定かではないけれど、街灯柱で遊んでいた時にそれが「おもちゃ」なのか「おもちゃじゃないもの」なのかを、たぶん彼は意識していなかっただろう。 

しかし、そんなさくちゃんと対照的に、大人はすぐに、遊ぶもののなかに境界線を作ってしまっているような気がする。 

「これはおもちゃで、これはおもちゃじゃない。 このおもちゃはこうやって遊ぶもの、こういう風には遊ばない。」…というように。 

「今自分が心から楽しんでいること」を認めてもらえるかどうかが、子どもたちの遊びの幅を広げていく鍵になるのではないかと思うのだが、こんな時、「街灯柱じゃなくて、帰ってからぽっとん落としで遊ぼう」と言ってしまったら、子どもの心はどうなるのだろう。

もちろん、おもちゃでしかできないことと、おもちゃではできないこと、決められた遊びかたの中で得られる面白さのようなものは、存在すると思う。 

だからこそ私は、子どもが手に取るものがおもちゃであってもそうでなくても、丁寧に見ていきたい。 

子どもよりも経験と知識がある大人は、「それはそうやってあそぶものではない。なぜなら…」と、教えたくなるかもしれない。でも大人たちがすべきことは、喜びや発見を禁止することでも、すぐに答えを教える事でもないのではないか。 

境界線を超えて、自分で体験して気づきのある時間を、ともに過ごすことができれば幸せなことだと思う。

~中略~

●子どもにはわかる、世のすべてのあそびかた

世の中には、おもちゃに見えなくても、おもちゃになるものがたくさんある。大人にはそれがわからなくても、子どもにはわかる。 

知識として「これはおもちゃじゃないもの」と知っていても、「これって、どうやって遊ぶと楽しいの?」と問いかけてみれば、子どもは私たちが知る何倍もの種類のあそびを、教えてくれるだろう。 

だから戸外に落ちているビールの空き缶や、ただの街灯や、変色した雑草や、犬のうんこなどが子どもの興味を引きつけたところで、私たち大人にはそれを止める権利はない。忘れかけていた好奇心を、思い出させてもらっていることを感謝したい。 

一見おもちゃではないもので散々遊び尽くした子どもたちは、やがてすぐに、おもちゃ屋さんのおもちゃに興味を持ち始めることもあるだろう。 
もちろんそれでも良い。 

そういう子どもたちの遊び方は、それが「おもちゃ」であろうとなかろうと、幅広く、豊かなのではないかなと私は思うのだ。 

子どもたちのあそびの世界が、様々なおもちゃによって、これからも広がり続けますように。

*・*・*・*・*

 

 

 

匿名希望

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保育所や幼稚園の先生が知っておきたい、発達が気になる子の「感覚統合」とは?

このところ「発達障害」が話題になっているせいか、ちょっと気になる点があるとすぐ「アスペルガー症候群」や「ADHD」などに結びつける傾向がある。だが、特に診断名のつかない「グレーゾーン」という領域があり、「支援が必要な子供」とは見なされないまでも、対人面のトラブルや集団へのなじみにくさなど気になる様子が見られるケースがあるのをご存じだろうか? 実際、そのゾーンにあたる子供こそ数が多く、近年は増加傾向。そうした子の多くが「感覚」の使い方につまずきがあり、適応力(その場、その場の状況に合わせる力)に未発達やゆがみが生じてしまっているという状況なのだという。(リンク

 適応力の育ちというのは、もともと「理性・思考力・意欲」を司る脳の前頭葉に由来する一面だが、そうした脳の機能を十分に活性化するのに必要なのが「物質的栄養」と「適切な感覚情報」。実は最近の子供は木登りや砂遊び、ボール遊びなどの外遊びをしなくなったことで感覚刺激が乏しくなり、脳の機能が十分に活性化されていない状況になっているようなのだ。その結果、脳の中に流れ込んでくるさまざまな感覚情報を整理できなくなってしまい、適応力につまずきが出てしまう(図1:リンク)。

問題は、どうすればその感覚統合のつまずきを改善できるのか。そこで参考にしたいのが『保育者が知っておきたい 発達が気になる子の感覚統合』(木村順:著、小黒早苗:協力/学研プラス)。保育者とはズバリ、保育園や幼稚園の先生のことで、いってみれば専門家向けの指南書なのだが、その実践力は子供に育てにくさを感じるママの強い味方になるだろう。

 本書によれば、感覚統合には「触覚」「平衡感覚」「固有覚」「ボディ・イメージ」の観点があり、たとえば絵を描いたりする時、すぐ机に突っ伏してしまう子は、「やる気がない」のではなく、平衡感覚のうちの脊髄系がうまく働かず身体の軸を維持しづらくなっているかもしれない、とのこと。こうした知識を得ると、子供の育てにくさの捉え方に新しい視点が生まれてこないだろうか。

 なお本書は「感覚統合の基本を知る」→「ありがちなケースごとに行動の原因を考える」(例:着替えが上手く出来ない→ボディ・イメージの未発達&平衡感覚の低反応)」→「現職保育士さんが教える感覚遊びをやってみよう」の3ステップでこうした感覚統合への理解を促してくれる。基礎から応用までわかりやすく構成されているので、順をおって読み進めていけばかなりのヒントになるはずだ。

 ちなみにステップ3の感覚遊びには、道具を使うものもあるが、手をつないで大人の身体をよじのぼってでんぐり返しをしたり、膝にのせてドライブごっこをしたりと、親子の触れ合い遊びも多数。わらべうたで手遊びなど、昔からの遊びに感覚を育む知恵が生きていたことを知るのも、新鮮な驚きだ。

 

 

 

A.i

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