潜在意識教育1 ~子は親の認める如くある。裡にある育つ力を素直に感じ、認めること。

豊かさの実現→活力衰弱の時代に生きる現代人にとって、活力再生の突破口は本源的な期待を掴むことにしかない。これは、人々の意識に徹底的に同化し続けるのと同義である。

対象への同化を進める上で手掛かりとなるのは、始原人類が極限の外圧状況の中で、生存をかけて自然対象に同化し続け、目に見える対象の奥にある本質的な力=精霊を掴むことによって、生存活力と能力を上昇させて生き延びてきたという事実。

人間同士の期待応合が主圧力となった現代に引き付ければ、相手の表出した言葉や行動の奥に潜んでいる力を感じ取り、この力を人々(社会)に役立つ方向に認めて喚び起こすということが、活力と能力を引き上げる鍵となるだろう。

以下は、約50年前に出版された本からの一部抜粋だが、人間の身体=潜在意識の構造をとことん追求してきた著者の感覚は、今こそ必要とされている気がする。

野口晴哉著『潜在意識教育』1966年 全生社 P158~160より
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親が本当に、その子供のいたずらの中から智恵を見る。盗みの中からその批判する力を見る。意地悪の中からでもまた見るものを見つけてゆく。

親の目を盗むなどというのもやはり一つの智恵である。臆病だとか用心深いとか言われる中にも理性がある。不安というものがなかったら、火の中にでも手を突っ込んでしまう。やはり不安であるということのために、火をつかまないですむ。不安も一つの力である。

だから臆病だと罵らないで、不安の中に理性を認めるというように、その子供の行為の中にあるところの、その行為を最初に起こす力をつかまえ出す事が大事である。

それを、現れている部分だけつかまえ出して、臆病だとか、卑屈だとか、不潔だとかいうように決めつけてはいけない。親が自分の子として庇う気持ちでなく、また人に見せようという見栄でもなく、ただ素直に子供の智恵、子供の持っている能力、子供の中に隠れていて子供自身が気がつかないような、そういうものを見出してゆく。
(中略)

言葉で言わないでもよい。親がそう見ているだけで、ラッポール的に自ずから感応が起こる。庇おうと思っている子供はうるさくまつわりつく。甘えるし、いろいろ訴える。お前は特別甘えさせているのだというようなことを言わなくとも子供はそれを感ずる。

それと同じように、親にそういうような目で見られると、見られたようになってくる。だから親がその子供をよいと認めるとよくなる、悪いと認めると悪くなる。認めたようになってゆくのである。

私達は長い間、人間の中にある力を認めることによって、その人を健康にしてきた。熱が出たというと、みな大変な病気になったように慌てる。熱が大変な力を持っているように、悪いはたらきのように思う。何とかして熱を下げようとする。そういう時、私は、

「熱はその人の生命力のはたらきである、その人が健全に生きている証拠である、死んでいたら熱は出ない、そんなに熱を下げたかったら墓の下に行ったらよい、熱が出ないような体力なら死んでしまう、熱が出なかったら病気は治らない、壊れたところが治ろうというはたらきで熱が出るのだ、だから壊れているところに熱が出る、そして、細菌の繁殖を防ぐとか、細胞の入れ替わりを早くすることをやっている。それが熱だ」

と言って、熱を出せる力があるということを私が認めると、その人達はもう熱を怖がらない。いや熱が出ることによって安心する。熱を十日も二十日も半年も大事に抱えているなどということは、熱に怯えているからで、人間には熱を出す力が有りその力によって生きているのだということが分かると、熱などはあまり続かない。

病気に受身になった気持ちを切り替えることで、私は長い間病気を治療してきたけれども、こういう力を認めると力が出てくる。今まで悪いはたらきだと思っていたものが、心の角度が変わるだけで、そういう良い力になる。そういう方向にその人の力を見つけ出し、認めてゆくことによって、弱い人を丈夫にしてきた。

認める方法については、親がまずそれをありのまま見ることである。子供が極く小さい時には親は子供が立ったというだけでも立てる力を喜び、つかんだ、投げたと言っては喜んだ。

その心さえ忘れなければ良い。物を投げて割ったら大変だというように考えないで、その投げようとする力、或いは反抗したり腹を立てたりすれば、そういうこともできるという力、それを燻らせて内攻させるよりは、出させる方が賢明である。

いたずらしたら、いたずらする智恵を素直に認めてやればよい。幼い時その子供の裡にある育つ力を見て喜んだのだから、子供が大きくなってからは見られなくなるということはないと思う。
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大島健男

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潜在意識教育2 ~裡にある力を喚び起こす認め方

社会が豊かになり、飢えの圧力を下敷きにした命令と強制圧力が無効化して以降、世間では「褒めて育てる」論が増えたが、むしろやる気を削がれる人が増えたのではないか。

結局、「褒めて育てる」といっても、ムチ(脅して服従させる)を反転させてアメ(報酬を与えて利益誘導する)を使う旧い発想に過ぎないからだ。

本当に相手のやる気を喚起しようとすれば、どんな言葉を与えるかではなく、相手の裡にどんな力が存在して、これを人の役立つ方向で喚び起こすには、どんな角度から言葉をかけるのかを検討する必要がある。

野口晴哉著『潜在意識教育』1966年 全生社 P160~162より
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親や大人は、子供を褒めることだとつい油断して不用意に褒めてしまう。絵を画いて上手だと褒めたら、褒められた子供はそれまでただ楽しんで画いていたのだが、褒められたために、褒められようとして上手に画こうとし出した。

みなに見せて回るが、いくら見せて回っても不安である、褒められない。そこで、絵を書くのが嫌になってしまったという子供があった。それは大人が不用意に褒めたからである。

褒める場合でもその中にある力を認める。認めるというより喚び起こしてゆくという方向で褒めなくてはいけない。

自分の部屋をきれいに片付けたという場合、「きれいに片づけたね」と褒めたら、その子供が後で玄関を汚したり、他の子供の部谷を汚したりするようになった。他の子はもっと上手に片づけるのかと不安になった。

「お前はきれい好きだね」と認めてやれば戸棚の中まできれいにする。よその子供がきれいにしたところでも、気持ちよく感じるようになる。絵を褒められた子供は、兄さんの描いた絵を破いて何回か喧嘩をした。兄さんの上手な絵があったのでは自分の絵が褒められない。迷惑だから破いてしまったのである。
(中略)

落ち着いて考えれば、お化粧が上手だなどというのは、「あなたは醜いが、よくもまあそうきれいに見せかけられるものだ」というわけなのだが、そこまでは受け取らない。度合や角度が適当だと、そういうように本当は貶されている言葉でも褒められているつもりになる。

だから褒める言葉や何かよりは、それを繰り返す度合や角度の問題である。ともかく、いろいろの行為の中に、その最初の力を認めれば、その力は湧き出してくる。
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大島健男

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潜在意識教育3 ~行為よりもそれを行なう心を感じ、心の中の本質的な力を素直に感じとること。

“行為よりもそれを行なう心を感じることである”
“心の中にある、その子の持っている本質的な力を素直に感じとること”

この様な、人に同化する力こそが、仕事をする上でも、必要とされる全ての能力の基盤である。

「子育て」などというが、子供が生き生きと成長するには、何よりもまず、親や周囲の大人自身が生き生きとするように変わる必要があり、親や大人が子供に育てられるというのが教育の本質なのではないだろうか。

【潜在意識教育】野口晴哉 1966年 全生社 P162~165より
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嘘をつくというので、嘘つきというレッテルを貼っている親がいるけれども、嘘をつくのでも人間に必要な能力である。私達は癌の人を癌だなどといわない。「本当に癌ではございませんでしょうか」と訊ねられても、正直に答えたら死んでしまう。
(中略)

正直に言ったために迷惑のかかる人のあることを少しも考えないで、ただ自分の気持ちをサッパリさせたいために正直な人もいる。正直とは必ずしも善意のものではない。しかも自分が正直であるという理由で、人の嘘を咎めたり、無意識の内に絶えず人を咎めているような考え方があったら、正直であることは悪徳になってしまう。

だから、これが良いとかこれが悪いとかいうように人間の能力を区分しないで、それぞれ能力を使うものという角度から見て、その人間に必要なものを育ててゆく、その裡に潜んでいる能力を認めてゆくという考え方がいると思う。

皆さん自身がそういう考えになって、いたずらをしている中にもソッとその智恵を見、嘘をついている中にもその空想性を見るというふうに、まずそういう面で見、感じることをおやりになることである。そうなれるようになってからテクニックを覚えないと逆効果を来たす。

嘘の良い悪いを批判するのではない。一生嘘をつくのは大変なんだぞと教えるだけでよい。ついた嘘が三日たったらバレている。だから濫用すると自分の言ったことのためにくたびれてしまう。つまらない。本当を言っている方が気楽に暮らすにはいいということを教えるだけでよい。大人の智恵はそういうように使うので、子供のやったことを裁くために使うのではないと思う。

裁いたら一生そのために自分までその裁きを背負わされる。大人は少し先に生まれて、経験があり智恵があるから、子供に教えることはよいが、その智恵とても押し付けてはいけない。

潜在意識教育には、親が認めて、認めたことが伝わり、認めた如く力を喚び起こすテクニックはあるが、その前に皆さん自身、親自身が変わらなければならない、親がスッと素直に、この子供の力を力として見てしまう。

とかく行為だけを見ていることが多いが、行為よりもそれを行なう心を感じることである。その心の中にある、その子の持っている本質的な力を素直に感じとることができるようになるというのが基本で、それができない間はテクニックはちょっとお教えしにくい。
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大島健男

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将来【賢い人】に成長する子どもの遊び方とは?

塾を託児所代わりに利用している親たち
でもそれでは将来の“頭でっかち星人”や“指示待ち星人”を育てることにしかならない。

親もそろそろ気づいているのでは?

であれば子供と一緒に外に出て、遊びながらこれからの子供たちに必要な“主体性・思考力・判断力”を育てていきましょう!

リンク)より

———————–以下引用———————–

●賢い子は幼少期の遊び方が違う

「これからの日本社会を担う子どもたちに必要なのは“主体性・思考力・判断力”の3つ。塾に通うだけでは、到底この能力は身につかないので、今後はより、家庭力が問われることになるでしょう。そのためには、今後子どもに関わることは、日常多くの局面で“どうしたい?”“どう思う?”と親が問いかけていくことが大切。そうすることで、子どもは何でも自分で考えるようになり、切り開いていこうとする力がつき、自分の意見を主張できるようになるのです」(松永氏 以下同)

 教育環境設定コンサルタントとして、これまで多くの親子を見守ってきた松永氏。将来“賢い人”へと成長し、それが自然と“幸せ獲得”に繋がる子どもは、まず幼少期からの遊び方が違うと説く。

 「習い事などもそうですが、親の押しつけや強要で子どもの能力は伸びません。名だたる芸術家、ノーベル賞受賞者、経営者の自伝を読むとよくわかりますが、子どもの能力を伸ばすのは、“夢中になれる一番好きなことをとことんやらせる”の一言に尽きると思います。時代こそ違えど、成功者として取り上げられるほとんどの人たちが、幼少期に外遊びを好んでしていたという事実があります。ゲームやテレビは論外。小学生まではとことん外の世界を体験させ、何よりも“考えさせる力”を養うことが重要。外遊びもろくにさせず、塾に通って勉強漬けにしてしまった親たちが、将来の“頭でっかち星人”や“指示待ち星人”を生み出していることに、まだ気づいていない。子どものためではなく、実は塾を託児所代わりに利用しているということに、親たちはもうそろそろ気がついてもいいはずです」

●将来賢くなる遊びとは?

1.虫取りや川遊び
2.缶蹴りやケイドロ(泥棒、警察チームによる鬼ごっこ)
3.キャンプや焚火
4.街探索や廃材工作
5.パズル

「これらはすべてお金がかかりませんし、何よりも想起力、思考力を育成する遊びと言えます。子どもの頭のなかに“どうすれば楽しめるのか?”“どうすれば成功するのか?”という疑問が湧きたち、それを考え、行動に移すことで主体性も育つ。特に、ケイドロやキャンプなどのチームプレーは、協調性も身につきます」

 遠出をせずとも、近くの公園や商店街巡りが立派な街探索になり、工作=お金をかけて工作キットを買うことほど、馬鹿げたことはないと語る松永氏。ゲームやテレビなど受動的なものではなく、実は“あまりお金がかからない遊びにおける工夫”こそが、子どもたちを賢くするという。将来、愛するわが子を“指示待ち星人”にしないためにも…親が今からできることは、きっとある!

———————–引用終了———————–

松下晃典

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