いかに自分が日本人として未熟か

「いかに自分が日本人として未熟か」イェールに息子を送り込んだ母の手痛い過去(リンク

 を、読んで、確かに日本のことって知らないな。と思ってしまった。
神社と寺の違いって何?も、もちろん知らないし、そもそも日本人らしさってすら、何?って思ってしまった。

 確かに、「勤勉」「まじめ」と評されることはある。でも、優秀な人は、日本人でなくても「勤勉」で「まじめ」。それって、「日本人」らしさの一部ではあるけど、ちょっと違う。

 グローバル社会の中で海外に出て行く日本人がいた時に、組織の中で、自分はどう役立てるだろう?!チームでどう力を発揮して行けばいい?と集団のなかでの力の発揮の仕方を考えてしまう所は、良くも悪くも日本人だなぁと感じる。

 日本人の共同性や本源性、日本人のよさは、外国の人の方が、「禅」ってすばらしい!!と言ってしまうようなもので、日本にいる間は見えていないのかもしれない。日本全土で未熟な日本人が良さを見失うこと=活力を見失うことでもある。それって、「志」を見失ったのと同じなのだと感じた。

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長男をアメリカの名門イェール大学に送り込んだ、小成富貴子さん。「わが子を真の国際人に育てる」という信念を持ち、常に世界を見据えた子育てを行ってきました。しかし小成さんは「グローバル」の前にまず日本について知ること、と語ります。そこには20歳の頃のある手痛い過去がありました。初の著書『究極の育て方』より紹介します。

いかに自分が日本人として未熟か

「グローバルに活躍できる子どもを育てる」と聞くと、とかく外国語ができればいいと思いがちです。でも海外に目を向ける前に、まず必要なのは、「日本を知る」ということです。

  私がこのように考えているのは手痛い経験があるからです。

  大学時代スペイン語学科で学んでいた私は、20歳の頃1年間スペインに留学しました。留学するときには、スペイン語を覚えることで精一杯。でも実際に行ってみて痛感したのは「いかに自分が日本人として未熟であるか」ということでした。

  神社とお寺の違い、主要な県の人口、どんな産業が盛んなのか、歴史や伝統的な文化。

  14年間の学校教育の中でそれなりに真面目に勉強してきたはずなのに、説明できないことがたくさんあったのです。当時は「グーグル先生」もいませんから、スペイン語の百科事典で日本のことを調べる、というような情けない状態でした。

  日本に帰ったらもっと日本のことを勉強しよう、自分に子どもができたらきちんと日本のことを教えよう。そう心に誓ったことを今でも覚えています。

  本当の国際人とは単に語学が堪能な人ではなく、自国のことを深く知り、それを外国語を利用して発信できる人です。

  そのためには、親が意識して日本の歴史や文化を伝えていかなければなりません。

  日本人としてのしっかりした基礎があって初めて、グローバルコミュニケーション力もついてくる。私はそのように考えています。

 (『究極の育て方』より構成)

 同書ではその具体例として、「きれいな日本語を使う」「47都道府県を目指して家族旅行」などのエピソードが紹介されています。

池田みさき

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自分で考えない子供たちの姿

学校教育の成れの果て?自分で考えない子供たちの姿

なぜ日本では『自分で考えない子ども』が育つのか?
リンク

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『考えない子ども』とはどんな子どもを指すのでしょうか。

それは、やりたいことがわからず、自分の人生に何の責任も持たない子どものこと。日本で社会問題になっているニートの存在も、
『考えない子ども』の最たる例です。やりたいことがあるからニートになっている者もいるでしょうが、大半はやりたいことがみつからず、何をしていいのかわからないと答える人が多いようです。

「やりたいことがわからない」という若者が増えたと言われる昨今ですが、これはよく「みんな同じが大好きな日本社会」に起因していると指摘されます。

日本社会で「立派な大人」、「まともな人間」として生きるには周りと同じでなければいけません。子どもの時からみんなと同じ制服を着せられ、みんなとどこか違う子はいじめられる。

そんなクラスの危うい和という社会では雰囲気やノリの良さが最重要項目であり、「自分の考え」を作り上げたり、述べることは歓迎されません。

「出る杭は打たれる」ということわざからもあるように、集団のなかから目立つことは決していい結果をもたらさず、「当たり障りなく生きる」ことが日本社会で生きる人の“賢い生き方モデル”とも言えます。

しかし、この日本社会を別の方向から捉えてみると、「みんなと同じように行動していれば何とかなる社会」だと言えます。つまり、自分で考えなくていいのです。生まれた時から、とりあえず周りと同じように生きればいい。みんなと同じ制服を着て、みんなと同じような発言をして、みんなと同じモノを好きになればいい。
「異」を排除する社会では、みんな同じにしておけば問題は起きないのです。

みんな塾に通ってるから私も塾に行こう。クラスのほとんどみんなが○○高校に行くから、自分もそこに行こう。みんなが課外活動に入るというから私も何か部活に入ろう。みんな大学に行くから、自分も大学に進学しよう。このように、

他の人のレールに合わせた生き方をすれば、世間では「常識的な人」と評価されるでしょう。
しかし、社会にでる時になってその子は思うのです。

「私は一体何がしたいんだろう?」

これが個性が生まれにくい日本社会の弱点であり、日本では『考えない子どもが育つ』と言われる所以です。みんなに合わせることを徹底的に教え込まれる社会で育つと、自分というものが掴みにくくなってしまうのです。

反対にフランス社会では、みんなと同じ意見ばかり言っていれば周りの人になめられたり、馬鹿にされてしまいます。子どもの時から、自分の考えを、自分の言葉で論理的に説明することを求められるフランス社会で育つ子どもとの差がここに表れるわけです。

もちろんフランスも完璧な国ではないので、日本にはないフランス特有の問題を抱えていますが、日本は「自分で考える力」が育ちにくい社会であることは多くの海外を知る日本人が挙げることです。

小さいころ、クラスの劣等生として疎まれていた女の子がきちんと整列しなかったとき、先生に怒られてこんなことを言っていました。

「だって、みんなおにぎりみたいで面白くないもん。」
今思えば「おにぎりみたいだ」と語ったその子こそ、個性があって自分で考える力があったのかもしれません。

『考えない子どもが育つ』、ニッポンの社会で一番苦しんでいるのは「考えない子ども」そのものなのです。

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橋本正雄

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若者半数SNSで嫌な経験=既読スルー最多-架空請求やストーカーも・消費者庁調査

リンクより

 若者の半数以上がインターネット交流サイト(SNS)で嫌な経験をしていることが、消費者庁が27日までにまとめた調査結果で分かった。相手がメッセージを読んだのに返信しない「既読スルー」が最多で、架空請求やストーカーといった深刻な問題もあった。  SNSの利用機会が増える夏休みを迎え、同庁は「トラブルにつながる可能性もあるので用心を」と呼び掛けている。  調査は、15~25歳の通信アプリ「LINE」利用者3000人を対象に実施。およそ7割が、SNSの利用を1日1時間以上と回答。4人に3人がSNSを「好き」「どちらかといえば好き」と答えるなど、生活の一部となっていることがうかがえる。  SNSで嫌な経験をしたことがあると回答したのは51.8%に上った。「既読スルーされた」が全体の31.2%と断トツで、「自分の写真や動画を勝手にアップされた」(12.2%)、「知らない人から急に誘われた」(11.1%)と続いた。  「身に覚えのない請求が来た」(6.2%)、「ネットストーカーに遭った」(2.3%)など、犯罪被害につながりかねない経験をした人も少なくなかった。  調査では消費者制度についても聞いた。「ネットショップで買った商品はクーリングオフできるか」との質問に、「できない」と正しく答えた人は2割にとどまった。訪問販売や電話勧誘といった場合にのみ適用されるものだが、担当者は「制度内容が正しく理解されるよう、若者への周知を改めて考えたい」と話している。 (了)

森浩平

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親と学校と医者で発達障害児を作り出している?

○親
>育児に手を焼いている親が自ら進んで検査や診察を受けに子供を連れてくる。「発達障害」の診断名をもらって、ほっとした表情になる親も少なくないそうだ。

→「病名をつけてもらう」ことによって、子育て責任から逃れられる。

○学校
>ちょっと変わった拘りを持っていたり、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしたり、なんらか平均値から大き目に外れた傾向の子を見つけると、けっこう簡単に「いちど診てもらうことをお勧めします」と言ってくる。

→「病名をつけてもらう」ことによって、指導責任から逃れられる。

○医者
「発達障害という診断」をすれば、お客さんに出来る。

そして
>あとは、「周囲がその子の障害を理解してあげましょう」で自分達の責任を誤魔化してしまう。

そんな「病名」を付けられた子供の心情を思うと切なくなってきます。

・・・・・・・・・・・

「発達障害児が9万人超え 20年あまりで7倍増の理由」 リンク より

-略-

1993年度から2015年度の僅か20年余りの間に、通級指導の子が7.4倍にもなったという事実は、上記のような理由からだけではとても説明しきれない気がする。そこには統計のからくりがあるはずだ。と、ずっと思っていたのだが、今回、文科省自ら〈学校現場での理解が広がり、把握が進んだ結果とみている〉という説明をしていた。ならば、腑に落ちる。

発達障害の診断概念がどんどん広がり、診断名が付く子の人数がそれに伴い急増したわけだ。もっと平たく言うと、かつてだったら「ちょっと変わった子」や「落ち着きのない子」「カンの強い子」と言われていた層が、すぐ「発達障害児」にされてしまう時代となったのである。

つまり、そう診断される子は増えたが、そういうタイプの子が増えたわけではない。20年前にはスルーされていた子が、医学の進歩の結果か、社会が神経質になったせいか、背景はさておき、今はチェックの対象になった。結果、統計上の数字でも、現場の実感値でも発達障害児が増えた。たぶん、そういうお話なのである。

実際、中学生以下の子を持つ親の多くが感じているはずだが、この問題に対して最近の学校はとても敏感だ。ちょっと変わった拘りを持っていたり、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしたり、なんらか平均値から大き目に外れた傾向の子を見つけると、けっこう簡単に「いちど診てもらうことをお勧めします」と言ってくる。学校だけでなく、保育園や幼稚園でもそうだ。

さらに、親側の態度もだいぶ変わった。昔は、「うちの子が発達障害だなんて!」と受診を拒む親の方が多かったが、今は逆だと聞く。育児に手を焼いている親が自ら進んで検査や診察を受けに子供を連れてくる。「発達障害」の診断名をもらって、ほっとした表情になる親も少なくないそうだ。

口の悪い人は、この状況を「発達障害ブームだ」と苦笑する。たしかに、特効薬があるわけではなく、子供個人ごとにアプローチの異なる心理療法を施せるプロが大勢いるわけでもないから、毎年何千人と増えている発達障害児たちのたいていは、診断名をもらいましたハイ終わり、みたいなことになっている。医療的にはだいたいそうである。

あとは、周囲がその子の障害を理解してあげましょう、ありのままのその子を受け入れてあげましょう、と通級指導を受けるだけ。ザッツオールだ。

-略-

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加藤俊治

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中学生のやる気を引き出すには・・・「ほめる」「叱る」よりも「感心」 する

西村創・著『1分あれば中学生のやる気を引き出せる』(リンク)から引用します。

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最近、「ほめて育てる」ことがもてはやされています。確かにほめることでやる気を出す子どもは多いでしょう。ただ、「ほめる」ことにはリスクがあります。

思春期を迎えた中学生は「ほめる」という行為のウラにある作為を敏感に感じ取るからです。ほめることで、やる気を出させようとしている親の狙いに気づくわけです。すると子どもは、やる気を出すどころか、反発してくることさえあるでしょう。

また、少しでも大人に見られたい年頃の中学生は、ほめられることが子ども扱いされているようで、不快に感じることもあります。ほめることは意外と難しいのです。

一方、「叱る」ことはどうでしょうか。感情的に「怒る」のではなく、冷静に「叱る」「諭す」のが大事だということがよく言われます。本当にそうでしょうか。

本当に怒っているときは冷静に伝えるよりも、とにかく「ダメなものはダメだ」という怒りの感情をぶつけないことには、親の気持ちが子どもに伝わりません。

私は生徒が宿題をやってこなかったり、授業中に集中力を欠いたりしていても、怒りません。それは別に「悪」ではないからです。でも、他人が嫌がることをわざとした生徒には本気で怒ります。怒鳴るわけではありません。

でも、怒りの感情を隠さず、その生徒の目を見据えながら説教します。そうでないとその生徒の言動が本当に悪いことだということが伝わらないからです。
怒ってばかりだと、ただの短気になってしまいます。ただ、ここぞというときに怒ることは必要です。

★さて、それでは子どものやる気を引き出すにはどうすればよいのでしょうか。

それは、「感心する」ことです。感心していることを、子どもに聞こえる独り言として発するのです。私は、今までできなかったことができるようになった生徒を前に、「そういうところすごいよなあ」とか、「思った以上に伸びるのが早いなあ」という独り言をよく言います。独り言なので、生徒は反発のしようがありません。

もちろん、「この先生、そんなこと言ってやる気を出させようとしているな」と勘繰る生徒もいるでしょう。ただ、生徒にとっては面と向かってほめられるよりも、相手が勝手に感心しているだけなので、ほめられるより自然だし、作意を感じません。

「感心する」ことは、子ども扱いする印象も与えません。「一瞬で子どものやる気を引き出す魔法の言葉」と言ったら大げさでしょうか。ただ、感心するには、それに値する美点である必要があります。そうでないと、取ってつけたような表面的な言葉になってしまいます。それでは、子どもに響きません。

目立たないけれど、じつはスゴいこと。他の人は気づかないかもしれない。でも、親である自分だからこそ気づいた点。そんな点に感心して、言葉に出せたときの効果は絶大です。

子どものやる気を引き出すだけでなく、「わかってくれている」という信頼にもつながります。そんな美点を見つけるには日ごろから、「感心」できるところを探せるように、子どもへの「関心」を高めることです。「関心」を高めて「感心」するのです。

監視したり、根掘り葉掘り聞き出したりするのではありません。日常生活のなかで、子どもへのアンテナ感度を少しだけ高めてください。きっと子どもの「感心ポイント」を発見できるはずです。

柏木悠斗

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インド・欧米に学ぶ「考える力」を伸ばす教育とは

この20年で時代は大きく変わったが、今後20年の変化は、その比ではない。思いもよらない変化が次々と起きるこれからの社会では、「たくましさ」、「地頭のよさ」、「社交性」が常に求められるのだ。「世界標準の子育て」では、4000名のグローバル人材を輩出してきた著者が、世界中の子育ての事例や理論をもとに「未来の子育てのスタンダード」を紹介していく。

■「考える力」がなければ、未来を切り開くことができない

これからの子育てに必要な条件は、3つ。「自信」「考える力」「コミュニケーション力」です。今回は、「考える力」について見ていきましょう。
 現代社会では、医療やテクノロジーはもちろん、ダイエットから子育て方法に至るまで日々新しい発見や検証がなされ、それまでの常識をくつがえすような事柄が次々と生まれています。
 一体何を信じたらいいのかわからなくなるかもしれませんが、これはグローバル社会の宿命だと言えます。
 変化の激しい時代では、自分で考えて判断する力が強く求められるのです。
 情報を見極める力、常識を疑う力、未来を予測する力、多面的に考える力、自分の思考を検討する力など、「考える力」が育っていなければ、氾濫する情報や社会の変化にふり回される人生を送ることになってしまうでしょう。
 子どもたちは、これまでの常識や価値観の中で生きるのではなく、自分の人生を自分の力で開拓しなければならないのです。
 自分の強みを知り、どんな人生を歩みたいのか、それを実現するためにどう行動すべきなのか、その答えを得るために「考える力」が必要になります。

■答えのある問題ではなく、答えのない問題が極めて重要

しかしながら、現在の日本の学校教育では十分な「考える力」は育ちません。
いまだに学校教育の主流は知識の詰め込みであり、答えが決まっている問題の解き方指導に終始しています。
 知識ももちろん重要なのですが、スマートフォン一つあれば知識は誰でも手に入れることができる時代です。知識をどう活用するか、答えのない問題をどう解決するか、それらを「考える力」の育成がより重視されるべきなのです。
 日本の学校教育のように数値で評価できる知識や技術を「ハードスキル」と言います。一方で明確に数値化できない技術や能力を「ソフトスキル」と言います。
すなわち、論理的思考力、分析力、批判的思考力、問題発見力、問題解決力など、「◯×式テスト」で評価することが難しいスキルのことです。
 今、世界の学校教育の主流は「ソフトスキル」に移行しつつあります。教科書を読めばわかる知識を教えることよりも、答えのない問題にどう取り組むべきか、考える技術を教えることが、学校の役割だと考えられているのです。
これまで日本の学校教育は「ハードスキル」の育成を行なうことで教育水準は世界でトップクラスにまでなりました。
しかし、「これから」はそれだけではいけないのです。
 時代の変化に対応していくために、人生で自由や快適さを手に入れるために、「考える力」が必要になってきます。

■あいまいな言葉は思考もあいまいにさせる

思考を柔軟にすることともう一つ、「考える力」を伸ばすために重要なことがあります。
それは、「子どもの自分の判断を尊重し、選択をさせる」ということです。
たとえば「和」を大切にする日本では、あいまいな表現が好まれます。これは相手を傷つけまいとする心配りであり、素晴らしい文化なのですが、あいまい表現に慣れてしまうと、思考もあいまいになってしまうのです。
 父親の海外転勤などで子どもが欧米の小学校に通い始めた時、最初にとまどうのが表現方法の違いです。欧米の学校では、イエス・ノーを明確にすること、自分の考えを表現することが常に要求されます。
 「吉田くんと同じ意見です」などと言おうものなら、「吉田くんと君の考えはどこが同じなのか、あなたの言葉で説明してください」と突っ込まれてしまいます。
 多民族、多文化が集まるグローバル社会では、人間は一人ひとりが「違う人格」であるという前提です。無用な誤解やミスコミュニケーションを避けるために、あいまい言葉よりも直接的な意思表現スタイルを取るのです。

■親が決めず、子どもに決めさせる

では欧米の子どもたちは生まれつき直接的な表現が得意かというと、そんなことはありません。
 家族や周囲の人によってトレーニングされるのです。
はっきりしない子どもに“YES or NO!” “It’s up to you!/あなたが決めなさい”と親が選択を迫る場面をあちこちで見かけます。
 何を飲みたいのか、どの靴がほしいのか、おもちゃはどれがほしいのか、プールで遊びたいのかサッカーをしたいのか、子どもは常に選択を迫られて成長します。
 選択することによって、自分のことがよくわかるようになり「好き・嫌い」や「イエス・ノー」をはっきり表現できるように育つわけです。
 一方、日本人の子育てでは、幼い子どもに選択させることはほとんどありません。食べ物も洋服も、靴も、カバンも親が選んで与えるのが一般的です。
 親からすれば、子どものためにより良いものを選んであげているわけですが、その一方で、子どもが選択する機会や「僕はこれが好き!」と意思表現するチャンスを奪っているとも言えます。
 食べ物などを無制限に選ばせるのはダメですが、洋服、靴下、靴、帽子、歯ブラシ、文房具、おもちゃなど身のまわりのモノについては子どもに選ばせてあげましょう。
 子どもは自分で選ぶことによって自分の好き嫌いを認識できます。またモノを大切に扱うようになります。
 私の学校にも左右違った靴をわざと履いてくる子がいます。きっと自分で選んだのでしょう。親も子どもの感性を大切にしますから、ダメと言わずにやらせてあげるのです。
このように決める習慣を積み重ねていくことで、子どもは徐々に「自分は何者であるか」「何が得意なのか」「何をしたいのか」と、個を確立していくことができます。
すると、進学やキャリアといった重大な選択肢をする際に、「何をしたらいいのかわからない」などと悩むこともなくなります(何歳の時に何をすべきかなど、より具体的な「考える力」を伸ばす方法は、世界標準の子育て第5章に収録しています)。
 考える力は、この不透明な世の中を生きるための必須能力なのです。

リンクより

森浩平

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「自分の欠点」と向き合う方法

yahooニュース リンク より、以下転載
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「自分の欠点」と向き合う方法

zen habits:誰にでも他人に見られたくない一面があり、これを「ダークサイド(欠点)」と考えることにします。私の友人は、擬人化して「ゴラム」と呼んでいます。「ゴラム」とは、『ホビットの冒険』や『指輪物語』に出てくる邪悪なキャラクターです。

先延ばし癖がある、特定のサイトやゲームに長時間浪費してしまう、酒やタバコをのみすぎてしまう、性格に嫉妬深く、狭量で、他人に批判的なところがある、気鬱や寂しさに苛まれる、そんな一面があなたにもあるはずです。

誰だって自分のそんなところは、他人に見られたくないと思って当然ですが、自分のダークサイドを愛せるようになったら、どうなるでしょうか?

これは普段のアプローチとは真逆なので、あり得ない感じがします。自分の中の暗黒面を愛せだって? 冗談じゃない。普通なら、そんな性質は隠そうとしたり、直そうとしたり、気づかないふりをするところです。

でも、次のことをしてみてはどうでしょうか。

1.自分にもっと優してみましょう。たとえば、「疲れていたからどうしても休みたかったんだね。」「悲しみから救われたかったんだね。」というふうにです。すると、自分の弱さもそれほど悪いものではなくなり、心労を軽減できるでしょう(ちょっと方向性が間違ってはいますが)。

2.暗黒面に引き込まれそうになったら小休止をして、まずは自分が感じている痛みをしっかり感じましょう。逃避せずに、その痛みを全身全霊で感じるのです。

3.自分の欠点を誰かにおもしろおかしく話して、笑い飛ばしましょう。欠点も自分の一部なので、恥じることはありません。他人に打ち明けると、今までより親しい付き合いになります。まずは欠点をありのままに受け入れましょう。

上記のどれを実践しても、何かが「治る」わけではありませんが、優しさと愛情にあふれたやり方で、自分をとらえ、困難へに対処する方法です。ぜひ、自分のダークサイドに向き合い、愛するようにしてみてください。私自身もやってみているところです。

How to Love Your Dark Side | zen habits

Leo Babauta(訳:春野ユリ)
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山上勝義

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「結果が出ないとすぐ諦める」と「結果が出なくても諦めない」違いは?

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「何でもすぐ諦める「努力しない子ども」は、その親に原因がある」 リンクより

●努力する子としない子の違いは?
Q:長男は努力家で、勉強もコツコツ続けるのでテスト直前に焦ることはありません。
結果が出なくても焦らず、目標を持って続けています。

一方、娘の辞書には努力と言う文字はないようです。
すぐに諦めますし、人任せです。娘はどうやったら努力する子どもになりますか?
(小6女子、中2男子のお母様より)

柳川さんの回答
A:努力は苦手、どうしたら努力できるか、と悩む人からの相談も多々あります。
努力を続ける人たちには、特徴があります。その特徴をご紹介しますので参考にしてみて下さい。

1.努力は「気合い」ではなく「やり方」次第
頑張るぞ、やるぞ、と言う気持ちで続けることも必要ですが、それではテンションが下がったときにしなくなってしまいます。

努力する人は、いかに簡単にできるかという「続けやすくする仕組み」を考えます。
例えば、「朝起きたら、リビングへ下りず、朝食の前に朝学習をする」というような仕組み作りをします。

2.目先の結果を求めず、習慣化する
努力をしている子どもたちは、今度のテストのためではなく、少し先の中学、高校、大学受験に目標を置いてコツコツ勉強しています。数年後の本番に向け、「コツコツ続けること」を「習慣化」しているのです。

3.結果ではなく過程を重視
「努力は必ず報われる」とは、「結果が出る、成功する」と言うことではありません。
「努力をした経験が必ずどこかで生きる」と言うことです。

努力している人たちは、「成功するかわからないけれどやれるだけやってみる」

「結果がどうであれ、そこに至までの過程が大事」「コツコツ続ける姿勢が大切」
というように、結果よりも途中経過を重要視しています。

●家庭教育アドバイス・・・「過程を認めよう」
自分が過去に努力したことで成長したと実感できる子どもは、努力をする習慣が身につきます。

そして、「努力した結果の成長」を周囲の人たちが認めてくれた、と言う経験のある子どもも努力できます。

努力した甲斐がなかった、という思いをしても、その努力の過程を見ていて、認めてくれた人がいれば、その思いを次の努力へのエネルギーに変えることができます。

どんなに、親がお金を出して環境を整えても、親自身が子どもと一緒の目線にいなければ子どもは努力をしません。

親が子どもの努力の過程を見て、成長の度合いを知り、結果がどうであれ、それまでの努力を認めるからこそ、続けられるのです。

努力させたかったら、親が子どもと一緒に伴走し、親自身も努力する姿を見せることが一番の早道です。

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確かに上記のように
・段取り(手順)   ・習慣化   ・「努力をした経験が必ずどこかで生きる」、「過程を認める」を意識する、意識させる(保護者等が)
等は、確かに大切だと思えるのですが、これは前提が子供の成績(勉強)。

勉強ではなく、仕事場面を考えると「成果」が出ないと「評価」が得られない。しかし、「評価」が得られないといって「諦める」のか?
「成果」が出るまで「追求し続ける」。なぜか?
「諦める」=「企業の倒産=集団の消滅」に繋がるから。

仮に、「成果」が出なくても追求の過程=努力や経験が後日、役に立つと思うが、だからといって「諦めない」という論理にはかなり無理があるように思える。

本質は、「勉強=個人課題」、「仕事=集団課題」の違いから来ているのだと思う。
個人課題という意識でいると「諦めても自分だけが我慢すれば」といった意識になれば、簡単に「諦めてしまう」に対して、集団課題という意識でいると「自分が諦めたらみんなの充足が実現できなくなる」といった意識が生起し、簡単には諦められなくなる。

*「結果が出ないとすぐ諦める」と「結果が出なくても諦めない」の違いは、意識の持ちようが「個人課題」と「集団課題」の違いにある。

*そもそも「集団動物=集団で外圧適応してきた動物」である人類に「個人課題」があるという意識が、「近代思想=自我の正当化観念」に毒されている証。

加藤俊治

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フィンランドの子供たちは騒がないって本当? 保育園の騒音問題がない理由

(以下引用)―――――――――――――――――――――――――――
(リンク

教育や福祉に手厚い男女平等の国、フィンランド。この北欧の国は、子育てしやすい国として知られて、待機児童の問題などもない。そんなフィンランドの人たちにとって、日本における保育園の騒音問題はどのように映るのだろうか。
フィンランド人男性と結婚後、現地に移住し2人の子供を育てるフリーライター・靴家さちこさんが、フィンランドの子育てや保育事情をレポートする。
日本では、自宅の近所に保育園が建設されることが決まると反対運動を起こす人達がいるという。子供たちの声や送迎の保護者たちのおしゃべりなどの音が「騒音」とみなされているほか、公共の土地を利用することへの不公平性や、保育園が建つことで閑静な高級住宅街のイメージが損なわれて、地価が下がるといった心配の声があるという。
このような状況下で、どうしたら保育園の増設ができるのか、地域住民との共存が実現できるのか、フィンランドの現状と照らし合わせて考えてみた。日本では、保育園の騒音問題が議論になるが、筆者の自宅の隣にある保育園は――全然うるさくないからだ。

■日本とフィンランドの「あるべき子供像」の違い
長男が2歳を過ぎ、室内遊びもワイルドになってカン高い声をあげるようになると、夫は「叫ぶな」と止めるようになった。長男は静かな子だったので、「たまにはこれくらい良いでしょう」と間に入ると、夫は「この家には大人も住んでいるんだ。大人も子供も快適な音を、この子にも教えるべきだよ」と譲らなかった。
夫のやり方を見ていると、ワイルドな遊びが全てダメという訳ではない。が、遊びが盛り上がって長男が興奮してくると「やりすぎたら寝つきが悪くなるからね」と、静かな遊びに切り替えたり、外遊びやドライブに連れ出している。さらに、夫自身が疲れている時や長男を落ち着かせたいときには、夜寝る前でもないのに、本を持ってきて読み聞かせたり、DVDを観せたりもしている。
やがて長男が3歳になり、一緒にフィンランドの子供番組を観るようになると、日本とフィンランドの「あるべき子供像」の違いがもっと見えてきた。日本の子供番組では若いお兄さんとお姉さんが元気一杯に子供達に挨拶し、子供達はそれに輪をかけて大きな声で挨拶する。一方、フィンランドの番組の司会者は30~60代ぐらいまでとやや年齢が高く、静かで落ち着きがある。中には子供達が出演するコーナーもあって、普通に元気な子供もいるが、聞き取れないぐらい静かな声で話す子供や、うつむいてばかりいる子供達もいる。日本の子供達と比べると確かに「覇気が無い」ようだが、にぎやかで元気いっぱいの“子どもらしさ”を意識せず、実にありのままである。
■「子供はうるさいもの」という既成概念が共生を邪魔する?
防音のみならず防寒の観点からも、分厚い壁や二重窓を日本家屋に取り入れたらいいと考えたことは何度もあるが、日本の場合は、湿気や暑さも考慮に入れなければならない。法律や制度も、同じものをあつらえたところで、適用される国の文化や伝統が違えばそれまでだろう。しかし少子高齢化、女性の社会進出が日本よりも10~20年早かったフィンランドには、これからの社会や子供達を取り巻く環境を考えるうえでヒントになることも多い。
日本で保育園施設の反対運動が起こっていることについて、周囲のフィンランド人の意見を聞いてみたところ、「日本は人口が多いからね」と同情したり「フィンランドだって、自宅の隣が突然保育園になったら歓迎する人はいないだろう」と反対派の意見に同調する人もいた。しかし、多くの人々が「フィンランドでは起こりえない問題」と結論づけた。
なぜなら、フィンランドでは、著名な建築家エリエール・サーリネンやアルヴァ・アアルトを筆頭に、建築家が都市計画の重要な役割を担ってきた国だからだ。「土地利用と建築法(1999年)」という厳しい法律もあり、保育施設も都市計画法の観点から考えられているのだ。
日本の保育園建設の反対運動は、「子供はうるさいもの」という既成概念がベースになっているようだが、この問題を巡って、日本は今改めて子供達を取り巻く周囲の環境や、大人と子供の共存のありかたを考え直すチャンスを得たのではないだろうか。
子供は、その子らしく育っていくのが一番だ。ただ、子供はうるさくなくてはならないのか? うるさくしなくても、子供が楽しくできることは何だろうか? 保育園だけに限らず家庭でも、大人も子供も快適に暮らすために、ライフスタイルの見直してみることも有効かもしれない。日本から8000キロ離れた北国から懸命に考えてみた。

穴瀬博一

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スマホを捨て去った子供たちは元気だった

実際にリンクにある写真を見てもらいたいですが、素晴らしい子供たちの笑顔を見てください

センス・オブ・ワンダー、全力で「夏」を楽しむ都会っ子たち

小学校に上がる前からスマホやタブレットに親しむ時代、都会の子どもたちの環境が目まぐるしく変わっているとしても、もう誰も不思議に思わないでしょう。
だからこそなのか、ここに紹介する写真家であり2児の母でもあるIzabela Urbaniakは、ポーランドの都市部で育った子どもたちを毎年夏休みの間だけ“自然にかえす”目的で、これらの作品を撮りためてきました。
短い夏に訪れる彼らの牧歌的な暮らしを覗いてみると、かけがえのない宝物のような日々が見えてきます。
カラダいっぱいに「夏」を吸いこむ

毎年決まって、11歳の息子と8歳の娘のほかに、いとこや犬たちと過ごす夏休み。子どもたちとの時間は、Izabelaさんにとってもかけがえのない休息。一年のうちの1ヶ月を自然に染まって過ごす。久しぶりに、のどかな田園風景に飛び込んでみたくなりました。

大川剛史

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