上流階級のお嬢様が教えてくれたこと

週間代々木忠より転載
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 「バイ菌がいっぱいだから、プールはダメですよ」「喫茶店みたいなところはヘンな人がいるし、(テレビドラマで拳銃を撃つシーンが出てくると)ほら、こんなことになるのよ。入るのならフルーツパーラーにしなさい」

 喫茶店で銃をブッ放すのは確かにヘン、というかアブナイやつだが、そう言っているこの会話の主も相当にヘンだ。これは元総理大臣を伯父に持つ、さる上流階級のお嬢様が話してくれたことである。彼女は親から「プールはダメ」「喫茶店はダメ」と言われて育った。一事が万事この調子なのだそうだ。

 ある日、彼女は親への反抗から茶髪に染めてみる。親が激怒したのは言うまでもないが、ちょうどそのとき伯父である元総理とも家の前でばったり出くわす。彼女の頭を一瞥(いちべつ)した元総理、口から出たのはこんな言葉だったという。「きょうは仮装大会かい?」。冗談でも皮肉でもなく、彼は本当にそう思ったのだろう。

 今から18年前、彼女は「ザ・面接」に出演した。親が知ったら卒倒しそうだが、もちろん内緒で、彼女にとってはそれも親への反抗なのである。彼女に限らず、この年からお嬢様たちの出演が一気に増える。彼女たちに共通しているのは、家庭がとても厳しく、親が過干渉であることだ。しかもその内容たるや、「バイ菌だらけのプール」や「銃弾が飛ぶ喫茶店」に象徴されるように無茶苦茶なマインド・コントロールである。

 当時、僕の上の娘が15歳、下が12歳だった。ビデオに出たお嬢様たちの話を聞いて、僕は思春期の娘2人に対して決して干渉はするまいと思った。彼女たちの自由にさせよう。そして「もしも何かあったときには、お父さんが必ず守るから」とだけ伝えておいた。そして実際そのとおりにした。

 これを読んだ人のなかには「そんな手放しで自由にしてしまって、本当に大丈夫なのか?」「子どもは判断力も未熟なのに、親として無責任ではないのか?」と言う人がいるかもしれない。あるいは「過干渉というけれど、それも子どものことを心配し、子どもの幸せを願うからこその愛情なのだ」と。

 だが、僕はこう思うのだ。どんな子どもも親の後ろ姿を見ている。親の生きざまが子どもへの規範となる。だから親がブレなければいいのだ。未熟な子どもは失敗もたくさんするだろう。でも未熟だからこそ、失敗も含めていろいろな経験を積ませてやりたい。親子のパイプがつながってさえいれば、本当に困ったときには必ず親に助けを求めてくる。アドバイスするのは、そのときでいい。いざというときには、たとえ何を犠牲にしてでも子どもを助ける、その覚悟さえ親が持っていればいいのである。

 行動を起こす前から「あれはダメ」「これはダメ」「ああしなさい」「こうしなさい」と言いつづけていれば、いつしか子どもは自分で判断ができなくなってしまう。何事にも他力依存となり、ペナルティを背負うことを極度に恐れるようになる。失敗もなければ、それを克服した経験もないのだから。

 18年前といえば、今のように単なる好奇心やノリで出ちゃうという時代ではなかった。親への隷属という透明の檻に閉じ込められた彼女たちにとって、ビデオ出演は自暴自棄のすえに辿り着いたひとつの結論であったかもしれない。たとえそうであったとしても、その一歩は彼女たち自身の意思だったのだ。

 作品の中には、彼女たちのSOSと再生が記録されている。しかし、当時、自由を奪う親に反抗して自らの意思で何らかの行動を起こせたのが、ほんの一握りの子どもたちであったというのもまた事実である。

匿名希望

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