人材育成 「江戸時代の養育法」 1/2

「叱って育てる方が良い」と「褒めて育てるほうが良い」

少し前までは「褒めて育てる方が良い」が流行っていましたが、最近は「褒めて育てる の弊害」が色々と取りざたされているようです。

「叱る、褒める」のどちらに対しても、しっくり来ないので江戸時代はどのようにしていたのかを調べてみると、年齢に応じて習得すべき中身を定めていたようです。 

【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

「年齢に応じた」は、明らかに脳の発達段階に応じた方法。
脳の科学的知識もさほど蓄積されていない江戸時代において、体験を持って習得していた「子供の養育法」。
現在社会でも見習うべきという思いを強くしました。

同時に、「厳しく叱るとやる気を失う」、「褒めて育てると自主性を失う」等、即、「二元論に陥ってしまう」があまりにも表層的であることに改めて気がつきました。


リンクより

・・・・・・・・・・

【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】


現在は子育てのことを教育といいますが、江戸では子どもは養い育むものと考えて、「養育」と表現しました。教育と呼ばれるようになったのは明治になって学制が敷かれてからだそうです。

世にでてから、しっかりと世のために働ける人材となるよう、また艱難辛苦(かんなんしんく)(困難に遭ってつらく苦しい思いをすること)にも耐えられるからだと心を養ってもらいたいと願う親心で、時には厳しいしつけも行いました。

ですから鍛え育てる「鍛育」とも、からだを育てる「体育」ともいい、決して知識だけを与える教育ではありませんでした。

江戸のおとなたちは、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」と言って、稚児(おさなご)の段階的養育法を考えて、今でいう全人教育を実践していました。


○心の糸をしっかりと張る時期 【三つ心】
人間は成育段階に、それにふさわしい育て方をしなければ、責任ある社会人にはなれません。
人より偉くなってもらいたいからと、三歳の子に天才教育で理を詰め込んだり、六歳までにしつけなければいけないことを十二歳になって始めても身につかないものです。
 「鉄は熱いうちに打て」といいます。人間も相手の状況を見極めながら、段階を踏んで打っていくことが大事だと、江戸の人は考えました。江戸のおとなたちは自分の子にも、よその子にも、その心で接していたといいます。

町衆たちは、人間は頭(脳)とからだと心のみつからなっていると考え、心を、頭と体を結びつけるマリオネットの操り糸のようなものと考え、数え年の三歳までに、この見えない糸をしっかり張らねばならないと考えました。糸は一日一本として、三年で約千本を張るつもりで、親ならだれもが心がけよ、というわけです。

糸で頭と体を操る、これが心の役割です。目つき、表情、ものの言い方、身のこなしなど、わが身からしぐさになって出るものすべて、この心がコントロールするのだということを子どもに悟らせました。
心がなければ木偶(でく)の坊(ぼう)と同じで、人間ではないと思われていました。「三つ子の魂百まで」のたとえが生まれたのも、こうした背景があったからでしょう。

心は目には見えませんが、しぐさになるとだれの目にも明らかです。しぐさには、その人の心のありようが表れます。それほど江戸の人は心の育ちを第一に考え、親やおとなのしぐさを見習わせました。

三歳児は海面が水を吸うようにさまざまなことを理解していきます。誰に教えられなくとも、良知良心をもっています。この時期にこそタイムリーに人間性を養い育むことが重要なのです。これが「三つ心」ということです。


○トレーニングで身につける時期 【六つ躾】
数え年の六歳までには、からだと頭(脳)を結ぶ糸の上手な動かし方を、手トリ足取りまね(学び)させます。教えるのではありません。お母さんやお父さんがすることを、ひたすらまねさせるのです。人とのあいさつや対応、迷惑をかけないしぐさや親切、ごはんの食べ方、箸の使い方、履物の脱ぎ方など、日常茶飯事のしぐさを、身につけてくせになるまで、繰り返し繰り返し行わせて、自然にそのしぐさがでるようにします。

-略-

・・・・・・・・・・
続く


加藤俊治
「叱って育てる方が良い」と「褒めて育てるほうが良い」

少し前までは「褒めて育てる方が良い」が流行っていましたが、最近は「褒めて育てる の弊害」が色々と取りざたされているようです。

「叱る、褒める」のどちらに対しても、しっくり来ないので江戸時代はどのようにしていたのかを調べてみると、年齢に応じて習得すべき中身を定めていたようです。 

【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

「年齢に応じた」は、明らかに脳の発達段階に応じた方法。
脳の科学的知識もさほど蓄積されていない江戸時代において、体験を持って習得していた「子供の養育法」。
現在社会でも見習うべきという思いを強くしました。

同時に、「厳しく叱るとやる気を失う」、「褒めて育てると自主性を失う」等、即、「二元論に陥ってしまう」があまりにも表層的であることに改めて気がつきました。

リンクより

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【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

現在は子育てのことを教育といいますが、江戸では子どもは養い育むものと考えて、「養育」と表現しました。教育と呼ばれるようになったのは明治になって学制が敷かれてからだそうです。

世にでてから、しっかりと世のために働ける人材となるよう、また艱難辛苦(かんなんしんく)(困難に遭ってつらく苦しい思いをすること)にも耐えられるからだと心を養ってもらいたいと願う親心で、時には厳しいしつけも行いました。

ですから鍛え育てる「鍛育」とも、からだを育てる「体育」ともいい、決して知識だけを与える教育ではありませんでした。

江戸のおとなたちは、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」と言って、稚児(おさなご)の段階的養育法を考えて、今でいう全人教育を実践していました。

○心の糸をしっかりと張る時期 【三つ心】
人間は成育段階に、それにふさわしい育て方をしなければ、責任ある社会人にはなれません。
人より偉くなってもらいたいからと、三歳の子に天才教育で理を詰め込んだり、六歳までにしつけなければいけないことを十二歳になって始めても身につかないものです。
 「鉄は熱いうちに打て」といいます。人間も相手の状況を見極めながら、段階を踏んで打っていくことが大事だと、江戸の人は考えました。江戸のおとなたちは自分の子にも、よその子にも、その心で接していたといいます。

町衆たちは、人間は頭(脳)とからだと心のみつからなっていると考え、心を、頭と体を結びつけるマリオネットの操り糸のようなものと考え、数え年の三歳までに、この見えない糸をしっかり張らねばならないと考えました。糸は一日一本として、三年で約千本を張るつもりで、親ならだれもが心がけよ、というわけです。

糸で頭と体を操る、これが心の役割です。目つき、表情、ものの言い方、身のこなしなど、わが身からしぐさになって出るものすべて、この心がコントロールするのだということを子どもに悟らせました。
心がなければ木偶(でく)の坊(ぼう)と同じで、人間ではないと思われていました。「三つ子の魂百まで」のたとえが生まれたのも、こうした背景があったからでしょう。

心は目には見えませんが、しぐさになるとだれの目にも明らかです。しぐさには、その人の心のありようが表れます。それほど江戸の人は心の育ちを第一に考え、親やおとなのしぐさを見習わせました。

三歳児は海面が水を吸うようにさまざまなことを理解していきます。誰に教えられなくとも、良知良心をもっています。この時期にこそタイムリーに人間性を養い育むことが重要なのです。これが「三つ心」ということです。

○トレーニングで身につける時期 【六つ躾】
数え年の六歳までには、からだと頭(脳)を結ぶ糸の上手な動かし方を、手トリ足取りまね(学び)させます。教えるのではありません。お母さんやお父さんがすることを、ひたすらまねさせるのです。人とのあいさつや対応、迷惑をかけないしぐさや親切、ごはんの食べ方、箸の使い方、履物の脱ぎ方など、日常茶飯事のしぐさを、身につけてくせになるまで、繰り返し繰り返し行わせて、自然にそのしぐさがでるようにします。

-略-

・・・・・・・・・・
続く

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人材育成 「江戸時代の養育法」 2/2

「叱って育てる方が良い」と「褒めて育てるほうが良い」

少し前までは「褒めて育てる方が良い」が流行っていましたが、最近は「褒めて育てる の弊害」が色々と取りざたされているようです。

「叱る、褒める」のどちらに対しても、しっくり来ないので江戸時代はどのようにしていたのかを調べてみると、年齢に応じて習得すべき中身を定めていたようです。 

【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

「年齢に応じた」は、明らかに脳の発達段階に応じた方法。
脳の科学的知識もさほど蓄積されていない江戸時代において、体験を持って習得していた「子供の養育法」。
現在社会でも見習うべきという思いを強くしました。

同時に、「厳しく叱るとやる気を失う」、「褒めて育てると自主性を失う」等、即、「二元論に陥ってしまう」があまりにも表層的であることに改めて気がつきました。

リンクより

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【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】

○才覚が見える時期 【九つ言葉】
数え年の九歳までに、どんな人にも失礼でないあいさつができるようにします。商家の子であれば九歳になったら「さようでございます」などと、おとなの言葉や世辞が言えるように育てます。江戸商人の才覚や将来性はほとんどこの時期に決まります。このころになるともう判断力もありますから、悪いしぐさも出てきます。

あいづちしぐさは相手の話をよく聞き、理解してうなづくものですが、本当にわかっていたいのに「うんうん」とあいづちを打つのはよくありません。あまりにもお母さんがうるさく小言を言うと、子どもはイヤになって、返事をしなかったり、空あいづちをうったりします。

-略-

○一人前のことができる時期 【文十二】
数え年で十二歳になったら、主の代書ができるようにします。注文書や請求書、苦情処理書まで書かせたそうです。商家には、万一、主が亡くなっても跡取りがすぐに代行できるよという用意周到さが求められました。

数え十二歳は、満十一歳。今なら小学校5,6年生です。今の子は学校でも知識、塾でも知識、知識を詰め込まされている毎日でしょう。人間として最も必要な常識や知恵は、置き去りにされているのではないでしょうか。

○末を志す時期 【理十五で末決まる】
数え年で十五歳にもなると、ものごとの道理が理解できるようになります。
道理とは、ものごとがそうなっている理由のことで、理ともいいます。

理を追求すると心理、原理、条理、物理、論理などの難しい言葉が出てきますが、身近なところではおいしい調理や料理も板前さんの修業があって極められたものですし、義理や無理は人の道の上にあることです。経済、物理、化学、心理学など森羅万象が、実感として理解できるのはこの時期で、孔子がいう「十有五にして学を志す」というのも、この年齢になると人に言われなくても、自分の行く末がわかって「志」をもつようになる、ということです。

この年齢までには、完全に躾はくせになって身についていて、いっぱしのおとなです。武士の子ならば、おとなへの仲間入りを示す元服式を行って祝います。

著書「子どもが育つ 江戸しぐさ」越川禮子より抜粋

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加藤俊治

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人材育成 長期的・全体事象を踏まえた養育基準

325673 人材育成 「江戸時代の養育法」 の続きです。


叱る場合であれ、褒める場合であれ「なぜか?」が不可欠。かつ、対象に対する短期的・部分事象だけでなく、長期的・全体事象を踏まえて人材育成を行う必要がある。

当然のことながら「長期的・全体事象」を踏まえる必要があると判断するなら、長期的で、かつ、全体事象を貫く「なぜか?」が必要となり、当然のことながら短期的・部分事象を捉えた時よりも普遍性の高い「なぜか?」が求められる。

上記から江戸時代における養育
【三つ心 六つ躾 九つ言葉 文十二 理十五で末決まる】
は理に適っていると思います。

この江戸時代の養育基準をうち、現在社会においても最重要で、かつ、最も欠けているものは「三つ心」。

「三つ心」とは
新生児の状態で、何も施さなければ(こんなことはありえないですが)潜在思念の蓄積度合いの違い(「本能:約35億年、共認:約3500万年」)により、狼に育てられた少女の例のごとく、本能が突出し共認動物の態をなさなくなります
 
潜在思念の本能・共認の共認部分を生起させるためには、母親のみならず新生児を取り巻く人々の言動が非常に重要で、新生児とこれらの人々との期待応合関係が成立するかどうかで「心」は決まると推察されます。

幕末から明治にかけて多くの外国人が来日し、「日本は子供天国、大人が子供になって子供と遊ぶ、全ての人が喜んでもらう言動を示し、喜ぶ姿を見て自らも喜ぶ」等の記録から考えて

江戸時代の人々が、3歳までに習得して欲しいと思っていた「心」とは「あまねく人々の期待に応える情動」ではないかと思います。

加藤俊治

 

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