勉強とは限らない、子どもの「得意」を探せ!~子どもが”化ける”瞬間を見逃すな~①

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小学校低学年から高学年、そして中学生へ……。周囲に私学を受験する子も増える中で、わが子の成績や先々の進路がまったく気にならない親はいないだろう。どうすれば少しでもいい点が取れ、より上位の学校に進学できるのか。そもそも子どもにやる気を起こさせるには?
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●子ども時代に、何をなすべきなのか?
小さい頃から、多くのワークショップに参加できるというのは、幸せなお子さんですね。数年や年に数回、大きなイベントがあったときに参加する子はいるかもしれませんが、年間30回ものワークショップに参加するという人はあまり見掛けません。

しかし、ご質問の焦点は、ワークショップの多寡というよりも、お子さんを今後、何でもできる子か、それともある能力を引き出して突出した子に育てていくか、ということですね。

●昔の子どもはただ遊んでいただけ?
この質問を受けて、ふと私自身はどのような幼少期、少年期を過ごしていたのか考えてみました。

約30年前、私の子ども時代は、今のようにワークショップや習い事で満ちあふれていた時代ではなく、学校から帰ってきたら友達と近くの公園や広場で野球などをして遊ぶのが通常でした。

習い事は小学生のときに習字をしていたぐらいです。高学年ではいわゆる塾に行きましたが、それほど勉強したという印象はありません。それよりも休日は家族でドライブをすることや、公園でスポーツなど、家族中心の行動が非常に多かったことを思い出します。

●人間関係を学ぶ機会はあるか?
このように振り返ると、現代っ子のように英語、水泳、体操といった高貴(?)な習い事はいっさいしていませんが、私は多くの人とかかわる中で、生きていくうえで非常に重要なこと、すなわち人間関係のあり方を学んだ気がします。人はどのように感じ、どのように行動するか、人間のよい面も悪い面も学んだように思います。

一方、最近の子どもの遊びといえば、友だち同士集まっているのに、ゲームをオンラインで楽しむといった、私の幼少期には想像もできなかったような光景が見られます。もちろんゲーム自体を否定するわけではありませんが、人間同士の触れ合いやぶつかり合いが減り、さまざまな物事への興味関心が湧きにくいように思われてなりません。

ご質問者様も現在の子どもを取り巻く環境について、こうした危機感を持っているのかもしれません。ですから、「子どもに多くの経験や体験を!」と考えることは極めて自然なことだと思います。今、都内など各地で行われるさまざまなワークショップに子どもを参加させたり、ピアノ、英語、体操、そろばんといった習い事に通わせる家庭が増えてきたのは、そうした背景とも無関係ではないように思います。

しかし、ここで極めて重要なことを知っておく必要があります。それは「教育は、何を教わるかではなく、誰に教わるによって決まる」ということです。

どのような習い事や塾でもかまいませんが、これらはほとんどすべて「人」が教えるものです。その「人」の影響を子どもは大きく受けます。才能が開花しプロの道へ進む子もいますが、それもその「人」との出会いがあったからこそ、ということも非常に多いと思います。

●子どもが化けた瞬間に遭遇
私が見た、子どもが“化ける”瞬間!
人は生まれたときに最低3つの才能を与えられていると言います。しかしその才能が学校での主要教科の英・数・国・理・社に「入っていない」可能性は極めて高いでしょう。もしこれらの教科で才能を与えられていれば、学者などになりそうなものです。英語が得意であれば語学の達人である翻訳者、通訳者になるでしょうし、国語が得意なら作家になるかもしれません。

しかしこのような職業に就く人は、全体から考えるとごくごくまれですね。それよりも、モノを作ることに長けていたり、人とのコミュニケーション能力が優れていたり、はたまた起業して新しいことを生み出す才能を持つなど、学校教科以外での才能を持っていることが多いのです。

現在の高校入試、大学入試では過去に比べ、入試科目に弾力性が出てきましたが、まだまだ英語を必須とした主要教科に焦点が当てられています。それができないと、自分には何かが大きく欠けているような錯覚すら感じて落ち込む子もよく見かけます。

しかし、人間の能力というのは、勉強では推し量れないということは、社会に出ればすぐにわかることです。ですから、それよりも、子どもが何に強い関心を持つか、そして指導者として誰と出会うかという点が重要になってきます。そうすると、何らかの分野で“化ける”瞬間がやって来るものだと感じます。

私が指導した生徒で、次のように“化けた”2人の生徒がいました。

中学2年生に竹内さんという女子がいました。彼女は勉強ができずオール2に近い成績でした。竹内さんは教えてもすぐに忘れてしまうという傾向があり、成績を上げることは非常に困難だと思われていました。しかし、あるとき彼女と話をしていて、絵を描くことが非常に好きだということがわかったのです。そこで美術の成績で最高得点を取ろうということを話し合い、どのようにしたらさらに上手な絵が描けるかということを一緒に勉強しました。

通常、学習塾では美術は教えませんが、美術で5を取るための努力をした結果、半年後についに5が取れました。そしてその後、勉強そのものにも自信をつけていき、日々生き生きとするようになったのです。
                        
                        ②へ続く・・・
            
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井垣義稀

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勉強とは限らない、子どもの「得意」を探せ!~子どもが”化ける”瞬間を見逃すな~②

①の続き・・・

●「できる」という錯覚が、意欲に変わる
その後、彼女は教えたことをすぐ忘れるというハンディキャップを持ちながらも、高校へ無事に進学しました。高校進学後は美術大学に進み、「絵を描く」という才能を生かしながら人生を歩んでいます。

もうひとりは、岡田君という男の子です。中学2年生のとき学校成績がオール3ほどで、私が指導を始めたのですが、1年後の中学3年時にオール5へと劇的に成長しました。このような極端な例はめったにありませんが、結果として多様な教科でバランスよく成績を収めた例としてご紹介します。

彼は非常に素直で、言われたことをすぐに実行するという特徴がありました。私が言うとおりの方法で勉強をこなしていき、比較的短い期間で成績が5へと上がったのです。その要因は、効率的な勉強方法を知ったこともあったのですが、実は、別のところに大きな理由がありました。彼のよい点を見つけ、徹底して褒めていったことで、彼は変わっていったのです。

1問正解したら褒め、できなくてもしからずに教えて、理解できたら褒めていきます。そうするとそのうちに「自分はもしかしてできる人間かもしれない!」という錯覚に陥るのです。

初めは錯覚でも、それが継続していくと、成長意欲が出て、やがて本物の意欲になっていきます。もちろん指導者との信頼関係があることが前提ですが。彼の場合、中学生の段階では、まだこれといった得意分野や専門的な方向性は見えなかったため、複数の教科で満遍なく成績を高め、そして高校進学以降に将来の方向性を見つけていくことにしました。その後、彼は自らの方向性を見いだし、今はエンジニアとして頑張っています。

●親がなすべきこと
バランスよくこなす子か専門的能力を持つ子か、どちらが好ましいかということには、実はあまり意味がありません。人は皆それぞれ才能が違っていますし、生育環境が異なるため、一様に決めることはできません。

幼少期にある才能が開花する子もいますし、大器晩成で後々開花する人もいるでしょう。しかし、次のようなことを親御さんが意識する、しないとでは、才能の開花度合いが大きく異なるということは間違いなく言えます。

才能は通常、「得意なこと」「好きなこと」「(他者からみた)長所」にあります。それを上手にサポートしてあげると、”化ける”子が誕生します。

しかしこれがなかなかに難しいのです。人間は、人の短所を見る傾向があり、長所には目がいきにくいものです。

もちろん親として、子の生活習慣を正すことや、道徳的問題を正すことは必要です。しかし、親という立場になると、本来、そこまで口やかましく言うほどでもない雑多な事柄、短所が目につき、それをいじってしまいます。そうして勉強どころか、家族関係までもが悪化するような事態に陥りがちです。

子どもは本来、好奇心旺盛で、関心事は刻々と変わっていきます。そうした関心の連鎖の中で、親としてはそれらを否定するのではなく、応援していく姿勢が必要です。

親の思い込みや見栄によって、子どもを誘導するのではいけません。親自身が周囲の情報に振り回され、右往左往して子どもを不安がらせることなく、「子どもの人生のために適切な環境をつくる」という決意さえすれば、やがてお子さんは自らの最適な進路を自立的に選択していくはずです。
            
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井垣義稀

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