子どもに「自分はダメ」と思わせる親の言葉

リンクより引用します。
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うっかり「誤った声かけ」をしていませんか?

(中略)

 小学生のお子さんが、テストで90点を取って帰ってきました。こんな時あなたなら、どのような声かけをしますか?

「頑張ったね。もうちょっとで100点だったね」

 もしこのような「はげまし」が、お子さんの自己肯定感を下げていると言ったら、驚かれるでしょうか。ではどこが悪いのでしょうか。

 この声かけの問題点は「もうちょっとで」という部分。正解した90点の部分ではなく、できなかった「10点の部分」に注目しています。

 小学校に入学したばかりの1年生にとって、この変化は衝撃です。なぜなら、幼稚園や保育園までは、他人と比べて評価されることはなかったからです。上手に絵が描けた、元気に体操ができた、太鼓をリズムよくたたけた……。基本的に何をしても「マルの世界」でした。

 それが小学生になったとたんに「100点満点の世界」で、マイナス面を指摘されるようになるのです。つまり100点でないかぎり、毎回「できなかったこと」に着目されてしまいます。

(中略)

自己肯定感を育むには、絶対評価が必要です。

 なぜなら、他者とは関係なく「自分が日々成長している」と知ることで私たちは自分を認めることができるからです。

 しかし、学校は相対評価の世界です。「平均点より上、下」「あの学校に入れる、入れない」など、周りとの比較の中での自分の順位によって、一喜一憂せざるをえません。

 なかなか成績が上がらない子どもは「ここを直すように」と言われ、ダメな面に目を向けてばかりいますから、自己肯定感は下がっていきます。いい成績を取ったら取ったで「もっと上を目指そう」と志望校を上げるように促され、「もうちょっと頑張りなさい」と言われます。上には上がいますので、これでは終わりがありません。

●子ども自身も「ダメな部分」に注目するようになる

 このような勉強に関わる大人の発言によって、子どもは自分の欠点ばかりに目がいくようになるのです。

 九九が少し覚えられないだけで、「私、算数不得意だから」と言い出す。テストでできないところがあると「それ習っていないもん」と言い訳をする。実はこのような後ろ向きな言葉によって、自己評価やセルフイメージは下がっていきます。

 そしてこれらの言葉は、親の「マイナス評価」から逃れて傷つかないようにするための、必死の抵抗です。「×がついているのは、不得意だから、習っていないからしょうがないでしょ。私が悪くはないよね……」。子どもが伝えたいのは、そういうことなのです。

 ところが親は子どものためと叱咤激励します。その激励に応える子どもを見て、「素直に頑張っている」と安心はできません。その叱咤激励が、自己肯定感を下げている可能性があるからです。

 いちばんの問題は、私たち親世代が偏差値教育の中で育ってきている点。自分自身、マイナス面を見ることが当たり前、弱点を克服していくことを当然と受け止めているからです。まず、大人である私たち自身が「できなかったこと」に目を向ける癖があることを認識する必要があります。

 そしてその癖を直すために、まずは子どもの「できたこと」に目を向けるように意識をすることから始めてみましょう。

子どもが90点のテストを持って帰ってきたら、

「すごいね。宿題頑張ってたもんね」

 と、結果ではなく勉強した「プロセス」を褒めてみる。30点でも、「30点取れたね」と言いつつ、点数のほかにもいいところはないかを探してみる。字をていねいに書いている、文章問題にマルがある、一生懸命計算した跡が残っている、などであれば、

「何回も頑張って計算したんだね」

 と「できたこと」に注目して伝える。

 そうすることで、子どもはプラス思考に変わっていきます。「できたこと」を見ることで、「ないない思考」から「あるある思考」へ転換します。それが子どもの自己肯定感を上げる第一歩になるのです。
の一言なのです。
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野崎章

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「自分で考える子」を育てた親のある共通点①

これまでの経験から、いわゆる「できる子」にはある特徴が備わっているように思います。それは、自ら進んで学んでいく能動的姿勢と、基本や本質から物事を考える姿勢が身に付いているということです。

●「右とは何か?」と問われて、なんと答える?
突然ですが、「右とは何か」と問われたら、皆さんはどのようにお答えになりますか。

一見、簡単なようですが、急に聞かれたら多くの人が答えに窮してしまうはずです。「一般に人が食事の時にはしを持つ側」とか「一般に心臓がない側」という回答をされる方がいます。もちろんこれは、悪い答えではありません。しかし、この答えには普遍性がありません。左利きの人や心臓が右側にある人もおられるからです。

こうした問題を自らの視点で本質から考える子どもがいます。言い換えれば、根底から物事の本質をとらえることができる子どもです。もちろん生まれながらにその種の能力を備えている子どももいるでしょう。けれども、皆が皆そういうわけではありません。親が子育てを工夫し、粘り強く接していると、そういう子どもに成長していくというのが私の実感であり、仮説です。

一例をご紹介しますと、以前こんな子どもがいました。「右とは何か」という問いに、多くの子どもがとまどいを見せる中で、「時計の文字盤で12を上にして、3時の方向」「数学の座標平面で、x軸の値が大きくなる方向」と答えたのです。もちろん、この答えも、時計の文字盤の並びや数学の座標の概念が衆知であるということが前提となりますが、なかなか良い視点です。この子どもをつぶさに観察すると、いつも何を考えるのにも、オリジナルな発想を持つ傾向がありました。家庭において“考える習慣”を身に付けさせたのだろうな、と思いました。

医学部受験の指導の現場で多くの子どもと接していると、これは、と思う子どもに出会うことがあります。以前、こんな出来事がありました。

●3人の子をスタンフォードに入れた母の子育てとは?
「オペロン説」という分子生物学の分野の話をしていた時のことです。「大腸菌は、普段はグルコース(ブドウ糖)をエネルギー源として用いている。そのため、ラクトース(乳糖のこと。乳糖分解酵素でグルコースとガラクトースに分解される)を与えても、すぐには利用できない。しかし、栄養源をラクトースだけにして十数時間もすると、大腸菌はなぜかラクトースを分解する酵素を作るようになり、ラクトースを利用するようになる。グルコースがないのだから、必要に迫られてラクトースを使うわけだ。この事実は、環境の変化に対応して大腸菌の体の中で発現する遺伝子が調節されているということを示している。つまり、周囲の変化に適合するように大腸菌は生きているのだ。生物というものは実に効率の良いメカニズムで生きている。つまり目的に合った『合目的的行動』をとるのだ」と説明したのです。

すると私のこの説明に対して、ある生徒はこう言いました。「ああ、つまり生物はムダなことをしないということですか。生物の行動は、基本的に理由に裏付けられた行動なわけですね。生きる方向や生きる目的と整合して行動するのですね。ということは、今話された『合目的的行動』という観点で生物現象、生命現象を観察し、それにそぐわないおかしな現象を排除していけば、生物入試の考察問題の解答はおのずと絞られ、正解が導けますね」、と。なかなか、的を射た指摘だと思います。

                          ②へ続く・・・
リンクより

井垣義稀

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「自分で考える子」を育てた親のある共通点②

①の続き・・・

●仕事で行く先々に子どもを連れていく
では、子どもにどのように接すれば、このような基本的・本質的姿勢が身に付くのでしょうか。3人の息子をアメリカのスタンフォード大学に入れたことで話題となったある歌手の母親は、海外も含めて自分が仕事で行く先々に子どもを連れて行き、さまざまなものに触れさせたそうです。

おカネのかかる話で、私たち一般人には同様のことをまねすることはできませんが、何も遠征でなくても、星空を見せたり、浜辺や野原で一緒に生き物を観察したり、コンサートや美術館、映画鑑賞に出かける、作家のサイン会に連れて行くなどはできそうです。

そして、家の中でのやりとりでも、子どもに刺激を与えることは可能です。私の知人の話です。ある日、彼に「自然科学系の科目が群を抜いてできるけれど、子どもの頃、家庭での教育はどうだったの?」と、質問を投げかけたことがありました。彼は少し考え込んでいましたが、その問いに幼少期の1つのエピソードを披露してくれました。

●目を覚ましたら、部屋が宇宙空間に!
彼が2歳のころの話です。月や星に興味を示していた彼は、夕方、暗くなりかけたころ、家の縁側で目を輝かせて月や夕星(ゆうづつ)を見つめていたそうです。母親はその行動を不思議に思いました。と同時に、庭に転げ落ちないかと心配し、彼が寝ている間に思いもよらない行動に出ました。母親は深夜、彼の眠る部屋の壁中に金色と銀色の折り紙を使い月と星をかたどり、手作りの宇宙空間を演出したのです。

朝目覚めたときの彼の驚きは大変なもので、その衝撃は今でも忘れられず心に刻まれているそうです。彼はその後も親とのかかわりの中で、自然科学への思いを加速させていったようです。

●祖母がたたきこんだ、語学を学ぶべき“物騒な”理由
親子のかかわりの中で育まれるものは、何も自然科学の力だけではありません。知り合いで、語学に堪能な医師から伺った話です。この方の場合、小学生の頃、親ではなく祖母から、語学の大切さをたたき込まれたといいます。

ある日、祖母が語学がなぜ大切であるかを次のように話したというのです。「語学は大切だ。これから中学に上がったら、語学を真剣に勉強しなさい。もし、お前のもとに、『I will kill you.(お前を殺す)』という手紙が届き、お前がそれを訳せなかったらどうする。だから語学の勉強は大切なんだ」。

少々極端な逸話ですが、この出来事を契機に、彼は英語と真剣に向き合うようになったと回顧されます。また、祖母のこの話が英語力増強の原動力になったというのです。

自らが能動的に自分の力で動けるように子どもの心を刺激すること。子どもが前に進めるように動機づけをしてあげること。「できる子」誕生の秘密は、少なからずここに潜んでいそうです。

リンクより

井垣義稀

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「I(アイ)メッセージ」は本当の気持ちを伝える魔法

「私はうれしいよ」、「助かったよ」など、主語が「私は~」となる言い方を「Iメッセージ」といい、主語が「あなたは~」となる言い方を「Youメッセージ」という。Iメッセージには、Youメッセージで言われるよりも、受けとりやすい効果がある。リンク

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

高校時代、「Iメッセージ」について調べたことがあります。
きっかけは両親との不仲で、もし自分が親だとしたらどんな言葉がけをしたら子どもと良好な関係を築けるかと考える事で現実逃避していました。
その時に見つけ、心を救われたのが「Iメッセージ」です。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

「も~(あなたは)なんで危ないことをするの!?」
 「(あなたは)何回言ったらわかるのよ!!」

 子供がしてはいけないことを繰り返す時などは、イライラがつのりやすいもの。どんなママも一回はこのセリフを言ったことがあるのではないでしょうか。つい口に出てしまいがちだからこそ、ちょっと立ち止まって考えてみたいこの声掛け。これによって子供に伝わるのは何だと思いますか? 答えは「自分は責められている」という感覚だけです。この言い方は”ユーメッセージ”と言われ、主語が「あなた(=子供)」になっています。目の前のことに対して、「あなたのせいで私は不快だ!」と感情的に伝えているにすぎません。その結果、子供は自分は責められていると感じ、怒る、反抗的な態度をとる、すねる、いじける等、自分を守るための行動を取るようになります。結果として問題がこじれ、解決が遅くなる上、お互いに嫌な思いをすることになります。

このセリフを言っている時、本当にあなたが子供に伝えたかったことは何でしょうか? 子供のことを心配する気持ち、同じことを何度も言っても伝わらない悲しさだったりしますよね。これを「私」を主語にした“アイメッセージ”で伝えると下記のようになります。

 「危ないことをすると(ママは)とっても心配だわ」
 「何度伝えても伝わらないと(ママは)悲しい気持ちがする」

アイメッセージは、あなたが感じていることを、「私」を主語にして伝える手法です。主語を「私」にすることで、子供も自分が責められたとは感じにくく、ママの気持ちに焦点が当たり受け取りやすくなります。

「どうしても子供と向き合えない……」そんな気持ちになった時は、イライラが爆発する前に、あなたの状態を伝えてみましょう。

 「ママは今疲れてしまったから、ちょっと休憩。
あなたが悪いわけではないのよ。でもそっとしておいて」

もしこんな風に声をかけられたとしたらどうでしょうか? 子供としては、突然理由もわからずに無視されたり、イライラ爆発をぶつけられたりするより何倍も良いですし、ママの状態を理解するきっかけにもなります。そしてママとしてのあなたも、無理やり笑顔で過ごしてツライ思いをしたり、感情をぶつけて後で後悔したりするよりも、気持ちが楽なはずです。
リンク

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
私は「Iメッセージ」を見つけた時、こんなに素敵な気持ちの伝え方があるのだということを知り、嬉しい半分、悲しい気持ちでした。
今でも忘れられないし言葉に起こすのも辛くなるような言葉の数々…その裏にちゃんと意味があったなら、伝え方が少しでも違ったなら、もう少し家族が良好な関係を築けたかもしれないし、自分の心の鉛もなかったかもしれないと感じました。

身体的な暴力よりも、精神的な暴力は子どもに大きなダメージを与えています。虐待が原因で人と関わる事が苦手な子ども、それを分かってもらえない辛さを抱える子どもは沢山います。

愛情を知らずに育った子どもは、その関わり方しか知らないため、いざ親になると暴力を躾だと思い、結果的に虐待を繰り返してしまうという負の連鎖が現実にあります。

この負の連鎖を断ち切るには、たくさんの人が「Iメッセージ」を知ることがひとつの方法なのではないかと思っています。
言われる子どもはもちろん深く傷つきますが、言ってしまう親も後悔していたり辛い気持ちだろうと思います。

私は、悪気はまったくないのに、ふとした発言で人を傷つけてしまうことがあります。過去の影響かどうか定かではありませんが、あの頃の心の闇は少なからず関係していると思っています。何故今の発言がだめだったのだろう…と分からないこともあり、その度に自分の心が怖くなります。
この心の傷は癒えることはありませんが、向き合うことはできます。

私が前向きに生きていく上で、同じように悩む人に希望を与えられるように、これからも人間関係を考えていきたいと思います。

匿名希望

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家庭内の会話で、国語力を上げる2つの方法-国語ができない子に試してほしい-

(以下引用)―――――――――――――――――――――――――――
(リンク

〈読解力の前に、日常会話で国語力を高める基盤を〉
国語ができない子、そういう子はたくさんいます。そのため、これまでも私は国語の読解力を高めるための方法についても記事を書いてきました。読解力を伸ばしたいということであれば、こちらの過去記事(一生モノになる、「本質をとらえる頭」の作り方)をご覧いただければいいかもしれませんが、大竹さんの息子さんは、活字に関してかなりの抵抗感を持っているようなので、読解力の前に、日常の会話を使って、国語力を高める基盤をつくることをお勧めします。
日常がただの脈絡のないおしゃべりだけであると、国語への応用はそれほど利かないでしょう。それよりも、日常会話で、自然と、この2つの話し方を習慣化してしまい、国語の問題に対しても抵抗なく読めるようにするというステップをとっていきます。

1.ストーリー展開型の話し方
ストーリー展開とは、ちょうど昔話のような感じで展開するものです。基本的に物語や小説は次のような流れの繰り返しになっています。
「状況 → 出来事 → 心情の変化」の繰り返し
たとえば、桃太郎の最初の場面であれば、次のようになります。
「状況」→ 昔々、おじいさんとおばあさんがいて、おじいさんは山にしば刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました
「出来事」→ 川上から桃が流れてきました
「心情」→ 不思議に思って、拾い上げて家に持ち帰りたいと思いました
この3つの流れが時系列に沿って何度も繰り返されていくのです(ちなみに国語の問題では、心情の部分とそのきっかけが問われることが多い)。
さて、これを子どもとの会話で進めていくには、次のようにしていきます。するとストーリー展開のある話ができるようになります。
■状況:「始めはどういう状況なのか(4W)」
※4W=いつ(when)、どこで(where)、誰が(who)、何を(what)
■出来事:「どういう出来事があったのか(1W)」
※1W=時間(when)の流れに沿って
■心情:「なぜなのか?(1w)、どのように思ったのか?(1H)」
※1w=why、1H=how
ここでは、俗にいう5W1Hが含まれています。この5W1Hが、「状況(どんな状況か?)→ 出来事(何が起こった?)→ 心情(そのときどう思った?)」に配分されています。すると、非常にわかりやすいものになるのです。話が上手な人は、おおかたこのような感じで話を展開しています。

子どもの話を聞いていて、この5W1Hが欠けているという場合が少なくありません。そのため、何を言っているかわからないという事態が起こります。
そこで、親御さんは、不足している部分があれば、質問して聞いてあげるのです。そして、そのような問いかけによって、だんだんと子どもは、不足なく話をするようになります。実は、このような簡単で当たり前と思われることが、現実の場面ではまったくできていないということがあります。それが原因となり、会話がちぐはぐになったり、誤解が生まれたりするのですね。

2.論理展開型の話し方
2つ目の話し方は、論理展開型の話し方です。ストーリー展開型の時系列や心情という視点が入った話し方とは異なり、言いたいことをわかりやすく伝えることに力点を置く話し方です。国語や英語でいえば論説文、説明文の構造であり、一般社会では、プレゼンテーションでよく使われる形式です。

「序論→本論→結論」
序論は、「だいたいこんな感じの話をしますね」という概要説明の部分
本論は、「もう少し詳しくお話するとですね、こうなります」という部分
結論は、「私が言いたいことはこれなんですよ」という部分 

これが論文構成でも使われます。はじめに全体像を言ってもらうとわかりやすいですよね。しかし、それだけだと詳しくわからないので、次にわかりやすく例を出しながら述べます。そして、具体例など詳しく伝えているうちに、何が結局言いたいのか、聞き手が、わからなくなってくるので、最後に、言いたいことをまとめるのです。この形式であると非常にわかりやすいですね。
そこで、これを親子の日常会話でやってしまいます。すると次のような流れになります。

■ 言いたいことをまとめて先に言ってしまう
■ もう少し説明してもらう(たとえば3つぐらい)
■「どうすればいいと思う?(How)」または「結局何を言いたいのか、言いたいことのまとめ(要するに)」を話してもらう

〈簡単な促し言葉を発するだけで〉
この会話は実際にあった会話ですが、親が質問していることは「どういうところが?(具体的には?)」「ほかには?」「今後どうしたらいいの?(HOW?)」だけです。このように親御さんが上手に、簡単な促し言葉を発するだけで、子どもは、それにしたがって会話が進んでいき、結果として、「序論 → 本論 → 結論」の流れができていってしまうのです。
もし具体的に話をするよう促すときは、「3つぐらいある?」と数字を入れるとわかりやすくなることがあります。「3つ」と言われると、人は3つ探して考えますから思考をトレーニングすることにもなります。ビジネスの世界では、3つにまとめるといいという場面に出くわすことが少なくありません。3つは据わりが良いためか、記憶しやすいためか、わかりませんが、3つというのは本当によく使われますね。
以上のように、息子さんとの日常会話で、ストーリー展開型、論理展開型の2つの話の型の習慣をつけていってあげるといいでしょう。場合によっては国語はただの文字の羅列ではないということから説明してあげなくてはなりませんが、型がわかってくると、頭もそのような構造を当たり前に受け入れるので、これまでとは違った認識ができるようになることでしょう。

穴瀬博一

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「褒める」ことの盲点、「勇気づける」利点

子どもにとって本当に必要なのは、褒め言葉という甘いご褒美でも、怒りを向けられる恐怖でもなく、親が自分のことを本当に見ていて、認めてくれると感じさせる言葉がけです。
リンク
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■「褒める」ことの盲点、「勇気づける」利点
私は熱心に褒めることから始めました。例えば、ごみを拾った子に対して「えらいね、いい子ね、またやってね」と褒めます。するとその子は喜んで次もごみを拾います。褒めれば褒めるほど、クラスはピカピカになりました。褒めた効果が出たと思って、私もうれしかったんですよ。

しかしあるとき、私が出張で授業ができなかったことがありました。子ども達が帰った後の教室に行ってみると、たくさんのごみが落ちているんです。

そのときに私は気づきました。「ああ、子ども達は、褒めてくれる私がいなければごみを拾わないんだ」と。

子ども達がごみを拾っていたのは、褒め言葉というご褒美が欲しいからだったんですね。それは決して自主的なごみ拾いではなく、受け身的な行動です。

私は、褒めることの限界について考え始めました。褒めるとは、言い換えれば「できたときには褒める」「できなければダメ」と子ども達を評価するということ。「できるまで頑張れ」と叱咤激励を続けるということでもあります。これは子どもにとっても大人にとっても、本当は息苦しいことです。

私は「褒める」ことの裏にある評価の概念を捨てなければと思いました。そしてたどり着いたのが「勇気づけ」なのです。

■自分の行為が人の役に立ち、自分の喜びになる
―勇気づけとは具体的にどのようなものなのでしょう?
勇気づけとは、子どもを評価するのではなく、共感し寄り添うことです。ごみを拾った子に対して「えらいね、おりこうさんね」と褒めると、それは評価になります。

そこで、「ありがとう、うれしいわ」と言い換えてみてください。親しい友達に言うように。「ありがとう」は感謝の気持ちです。子どもと同じ目線で立っているからこそ出てくる言葉でもあります。これが「勇気づけの言葉」です。

勇気づけの言葉をかけられると、子どもは積極性を増していきます。「うれしい、ありがとう、助かったわ」といった言葉から、自分の行為が人の役に立ち、自分の喜びにもなっているからです。勇気づけを繰り返すうち、子ども達は人に見られていなくても、褒められなくても、自主的に行動を起こすようになっていきます。

勇気づけの効力は、大人である自分に置き換えてみてもよく分かります。例えば、料理や掃除をしたとき、パートナーから「えらいね~」と言われたらどう感じますか?違和感がありませんか?

これは、「えらいね」という言葉が「上から目線」だからです。「おいしい料理をありがとう。うれしい」とか「掃除をしてくれたんだね。助かるよ。ありがとう」と言われたほうが、よほど気持ちがいいですよね。勇気づけの言葉は、言うほうも言われるほうも、気分が良いものなのです。

―なるほど。確かに褒められるよりも勇気づけられるほうが、気持ちいいです。

そうなんです。大人も子どもも、それは同じなんですよ。子どもにとって本当に必要なのは、褒め言葉という甘いご褒美でも、怒りを向けられる恐怖でもなく、親が自分のことを本当に見ていて、認めてくれると感じさせる言葉がけです。それが勇気づけです。

■親子の関係は「上下関係」ではなく「横の関係」で
―勇気づけの最大のコツは何ですか?

まず、評価という概念を取り払うことです。通知表をはじめ、順位を付ける様々な物差しによって子ども達を評価することも大切ですが、結果だけではなく、過程や姿勢に対する勇気づけも重要です。

子どもは一人ひとりが一番星。何かが特別にできたときだけ褒めるのではなく、「毎日元気に学校へ行っていて、お母さんうれしいわ」「おいしそうに食べてくれてありがとう」などと当たり前のような行動に注目し、勇気づけることが大切です。そのとき、ポジティブな視点を持つこともコツです。

どうしても短所ばかりが目についてしまう、ということもあると思います。そうしたら見方を変えましょう。

「片付けが苦手でだらしない」と考えるのではなく「細かいことは気にしないおおらかな子」

「なかなか物事が決められなくて、優柔不断」と捉えずに「じっくり考えられる力の持ち主」

「わがまま」ではなく「自己主張のできる子」

そんなふうに短所を長所に置き換えていくのです。

また、子どもに対する「上から目線」を捨てましょう。子どもと上下関係ではなく横の関係をつくりましょう。上下関係の中で怒られたり評価されたりして抑圧されている子どもは、大人の顔色をうかがうことに長けてはきますが、安心して大人を信頼することが難しくなります。

相手が子どもであっても、一人の人間として尊敬すれば、子どもとの信頼関係は深まっていきます。

■原因の追求ではなく、未来のために現在を変えていく
アドラー心理学では「何のためにその人は今その行為をしたのか(あるいは症状が出たのか、状況が起きたのか)」と、現在を起点に未来に向かって考えます。原因を追究する犯人捜しとは逆に、アドラー心理学は「何のために」と目的に重点を置いて分析するのです。過去よりも、未来を重視した考え方です。

アドラー心理学では、よりよい未来に向かって現在を変えていくために、「勇気づけ」を行うのです。

心理学では、人は注目された行動の頻度を増やすと考えられており、これを「強化」と言いますが、勇気づけを繰り返すことで子ども達のやる気と自信が引き出され、それぞれの持ち味もどんどん生かされるようになってきます。

―アドラー心理学は前向きなものなのですね。

問題行動も含め、子ども達を突き動かす動機は「両親や教師など、周りの大人達に注目されたい、大人に認められたい」というものに尽きます。困った行動を取るのも、周囲の気を引きたいがため。しかしそのときに感情的に怒ったり、ご褒美という交換条件で彼らの気持ちを抑え込んだりするのは良くありません。

そんなときこそ、勇気づけが必要なのです。

文太

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スウェーデンの幼児教育はどのように進んでいるか

スウェーデンの幼児教育はどのように進んでいるか

以下、引用です。
リンク
先の公立プレスクールのレポートでも触れたように、スウェーデンでは、1998年に幼児教育における大きな改革があり、幼稚園と保育園をプレスクールとして一体化した流れがある。この背景には、専業主婦の減少と、働く母親の増加がある。今では、スウェーデンのほとんどの母親は働いているため、保育時間の短い幼稚園のニーズはほとんどなくなり、保育園の需要が増えた。そこで、幼稚園の教育的役割を持たせた保育園として、プレスクールが誕生した。プレスクールは、幼児教育と子どもをケアする役割の両方を担うということで「Educare」(Education + Care)というテーマを掲げる。
スウェーデンのプレスクールの特徴は、指針となる大まかなカリキュラムは定められているが、基本的な運営や教育内容、保育内容は、各自治体と園にゆだねられている点だ。そのため、園(プレスクール)によって、方針や内容がすべて違う。1クラス36人の大人数クラスで運営する園もあれば、6人の少人数クラスの園もあり、イタリアの教育方レッジョ・エミリアを導入する園があれば、スウェーデンの自然教育ムッレを導入する園もある。スウェーデンが目指すのは、すべての園で、質の高い幼児教育と保育を実現することだ。
しかし現状では、多くの親は、家や会社から近いとか、通勤の途中にあるといった利便性で園を選ぶ。一方、園の教育方針や保育体制を見極めて選ぶ親もいる。ここに、幼児教育の二極化が起こるのである。つまり、「選ぶ目を持つ親」と「持たない親」によって、子どもが受ける教育や保育の質に差がでてしまうのである。これについては、エングダール教授も問題視していた。すべての園の質が上がれば、この二極化は解消でき、スウェーデンの教育レベルを底上げすることが出来る。そのためには、質の高いティーチャー(保育士の先生)を育成する必要があると結論付ける。
ここからは私見であるが、スウェーデンのようにカリキュラムに自由度が高い国では、親が園を選ぶ基準が利便性である限り、園の質は上がりにくいのではないだろうか?園の教育・保育の質を常に上げる努力をしない園は、園児が集まらない状況にならなければ、質の低い園は、質を上げる努力や試みをする必要はないのである。つまり、変化は起きないのである。では、どうすればよいか?そのひとつの答えが、私は「親教育」だと考える。
子どもにとって、どんな教育、どんな保育が良いかは、子どもの個性によって違う。だからこそ、親がそれを見極めることが出来るだけの目を持つ必要がある。そして、親たちの園を選ぶ基準が、利便性から教育と保育の質に変われば、園もそれに答えざるを得ない。そうすることで、園の質も向上するし、ティーチャーもスキルアップを要求され、質が向上する。そんな好循環を生むことが出来るのではないだろうか。

濱田健

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勉強の仕方もアイディア次第。子ども心をくすぐる勉強方法

勉強の仕方も工夫次第。こういうアイディアで教育をしていくことが大人にとっても子どもにとってもいい方向に繋がると思います。

これなら、子どもがすぐに「ひらがな」を覚えられそうです。
Yonechan
米谷真人
TABI LABO ライター
HOT
2017/03/07

僕自身も痛感していることなのだけれど、いくら座学したところで、“生きた英語”の習得には結びつきづらい。日常で使い続けてはじめて、本物の英語力が手に入るというものでしょう。
でも、よく考えると、大の大人がそうなのだから子どもだって同じですよね。普通の「あいうえお表」だけでなく、日々のくらしに落とし込んだこんな学び方なら、ひらがなの理解が早くなるかも?
くらしの中で
ひらがなを覚えよう!
Medium c1e20753a2f35c29d59c026d900e577db0f5deaa
これまでの「あいうえお表」を、家の中の空間や現象に展開した「くらしのひらがな」。窓から差し込む光や影、風呂、鏡など、日常生活の中にひらがなを配置して、楽しみながら自然と覚えてもらう「空間あいうえお表」です。
たとえば、朝起きると最初に目に入る「おはよう」の文字。
Medium d4e562be7223cf8f2cc26cc62dfcd6362a7789b5
「でんき」を引っ張ると灯りがつきます。
Medium 43ab7f13e1538d3e9b79a4cecfccad8565a699e6
窓をふさいで作る光る文字。
Medium 9d1bec9ccb64aa1a26be660cff5302ebade6d5f8
晴れると部屋に「かげ」が出現。
Medium fe754f245c3bd829ed2d7c5aba910b1b24f1e9d0
頭のうえの風船には「ゆ」「め」。
Medium da5bbf77ab36833153d21d12b5446c0bec14f4d4
りんごを置けば文字の完成。
Medium e6db70dd2838ba5ec3b5cae5760603fabad1e418
楽しみながら自然に文字を学べるこの「くらしのひらがな」は、Blue Puddle Inc.が発表したインスタレーション。新しい教育となるとデジタルの方向に進みがちですが、いやいやアナログの可能性はやっぱり侮れません。

大川剛史

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不登校から再び学校へ 「11歳の哲学者・中島芭旺くん」に母が贈った言葉

不登校から再び学校へ 「11歳の哲学者・中島芭旺くん」に母が贈った言葉
プレジデントオンライン
リンク
より、引用・紹介させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●不登校になった直後、母が息子にかけた言葉

『プレジデントFamily2017春号』より(市来朋久=写真)。文章はすべてパソコンやiPadで書いている。パソコンを使い始めたのは3歳。疑問が湧いてきたときも、まずはインターネットで検索。「グーグル先生にいろいろ教えてもらっています」(弥生さん)

どのような子育てをすれば、芭旺くんのように才能の芽を伸ばしてやれるのか。母の弥生さんに聞いてみた。

「常に言ってきたのは、感情を言葉にする大切さです。『私たちは超能力者じゃないんだから、わかってもらえると思わないで伝え合おうね』って。日常のささいなことでも、お互いに『ありがとう』と言い合っています」
その言葉のやりとりで、弥生さんが心がけたのは、「生まれてきてくれありがとう」という気持ちを怠らずに伝えることだ。

「親が子供にしてやれるのは、そのままの存在を認めて、そのままでいいと伝えることしかないと思うんです。それがきちんと伝われば、子供は自信を持ち、自分という存在を認められるようになる。その後は子供の判断に任せればいいと思っています。むしろ、子供の邪魔をしないのが親の役割だと思いますね」

もし、子供が世の中の常識や親の価値観から外れた選択をしても、子供を信じてそっくりそのまま受け入れる。人と違うことを恐れるのでなく、人と違うことを楽しみ、尊重する。それは誰に教えられたわけでもなく、弥生さん自身が当たり前に身につけていた感覚なのだという。
そもそもこの本を書いたとき、芭旺くんはいわゆる不登校児だった。

両親の離婚によって、福岡から東京の小学校に転校。前の学校と違い、そこは居心地のいい場所ではなかった。芭旺くん曰く、「自分が空気を読めないせいで」友達からいじめを受け、子供は大人の言うことをきいて当たり前と強制する先生への不信感も募った。そして、小3の2学期を前に「学校に行きたくない」と弥生さんに伝えたのである。
子供が学校を拒絶したら、大抵の親はうろたえて、学校に行かせる方策を考えるだろう。しかし、弥生さんの行動は違った。

「まず、伝えたのは、『よく言えたね』という言葉でした。我慢して学校に行っていることはわかっていたので、自分の思いを言えたことを褒めてあげたいと思ったんです。そして、その気持ちを受け入れて、すぐに自宅学習にできないかと学校へ相談に行きました。不登校というとマイナスイメージがありますが、学校に行かないのは選択肢のひとつ。学校では学べないことはたくさんあると思います」

自宅学習に切り替えてから、芭旺くんは「好きな人から学ぶ」という方式をとるようになった。先生になったのは、無数の本。幼児期から辞書を持ってきて「読んで」とせがむ子だった彼は、科学漫画のサバイバルシリーズやコロコロコミックに熱中する一方で、『嫌われる勇気』『神さまとのおしゃべり』『夢をかなえるゾウ』といった大人向けの本も読みこなすまでになっていた。

取材時に、今、一番のお気に入りの本として持ってきたのは、『藤原先生、これからの働き方について教えてください』だった。この本にある著者の藤原和博さん(教育改革実践家・杉並区立和田中学校元校長)の「レアカードになれ」(自分の「希少性」を高めて、世の中で「レアな存在」になること)という言葉が、自分の考えていたことそのものだったのだとか。

(中略)

●昨年末、不登校解消!「僕が学校へ戻った理由」

冒頭でも書いた通り、その本は多くの人に感動と勇気を与えた。しかし、一方で、学校できちんと勉強をさせるべきではないかといった批判があるのも事実だ。
そこで、芭旺くんに聞いてみた。「勉強ってなんだと思う?」。すると、彼はこともなげに即答した。

「勉強はやりたくてするもの。やりたいことをするためにするもの。やりたいことをするための勉強ならその勉強は楽しくなる」

学校で習うような正解のある勉強は、やる気になればいつでもできる。学校は行っても行かなくてもいい場所。芭旺くんはそう考えている。
その「行っても行かなくてもいい場所」に対して、行かない選択をしてきた芭旺くんだが、昨年末、ある決断をした。選択を「行く」に変えて、幼稚園時代からの友達がいる、かつて通っていた福岡の小学校に戻ろうと決めたのだ。なぜ、学校に通う気持ちになったのだろう。芭旺くんはこう言う。

「僕は今、とても自由だけれど、その自由によって逆に不自由になっている部分がある気がしてきたんです。学校という場所で、それを確かめてみようと思いました」

東京から福岡に戻ったら、お父さんとの2人暮し。それは2度目の経験だ。以前はお母さんに会いたいと泣いていた芭旺くんだが、今回は違う。ブログにはこんな逞しい言葉が綴られていた。

<僕達の「家族」っていう定義は辞書に載ってるのとは違う。僕は、地球に住んでて僕の家はとっても広い家でママの部屋に行くのには飛行機に乗るっていうだけのこと(中略)定義をちょっとだけ変えると世界は広がる>

一方、弥生さんは、芭旺くんの姉である高校生の娘との2人暮らしになった。
「福岡にたった翌朝、芭旺くんがいないことに涙が止まりませんでした。でも、そのときに考えたことをショートメールで伝えたら吹っ切れました。返ってきたのは、『はーい』の一言だけでしたけれど(笑)」
学校には戻っても「好きな人から学ぶ」というスタイルは続けていく。生活のベースは福岡でも、東京にもちょくちょく行く計画だ。どちらも「あり」な、芭旺くんの新しい世界が始まった。

変化のスピードが速い不確実なこれからの時代を生き抜くには、人と違うことを創造できる力や正解のない問いを考え答えをみつけようとする力が必要だと言われている。
そのために行われる教育改革では、従来の知識偏重型から思考力・判断力・表現力を伸ばす教育へとシフトチェンジがされる。日本の教育のあり方が大きく変わろうとしている今、子を持つ親が芭旺くんや彼の家族から学ぶことは少なくないだろう。

時田 弘

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混沌とした将来に対して、親が子供に出来るこ

(リンク

 2年ほど前に参加したダボス会議で、世界各国の教育政策に携わったある著名な方とお話しをしていた時に、「40年ギャップ」という概念を教えてもらいました。

 教育現場でカリキュラムを作成している専門家は、20年後の世界がどうなるか考えて作ります。一方で、その教育を受ける子どもの親はとかく、20年前に自分が受けた教育を良しとして子どもの進路を考える。そこに40年の隔たりがある。それが「40年ギャップ」です。特に日本では今もその傾向が強いと思います。

 ISAKの7割の生徒は海外からやってきます。その中には、出身国で有数の財閥の御子女も複数いらっしゃいます。恐らくその気になれば世界中に選択肢が広がっているであろうご両親でも、「子どもが日本の新設校に行きたいと言った時は、本当にびっくりしました。でも環境とカリキュラムをみて、自分が受けた教育とは違うけれど、これからはISAKのような教育が必要と思うから入学させた」とはっきりおっしゃるんです。

 現代は、親が教育を受けた20年前より拍車をかけて、親は子どもが生きる社会を想像できなくなっています。私自身、自分の子どもが20年後にどんな社会を生きるか全くわかりません。

 いまは必要と言われている英語ですら、技術が進んで自動翻訳の精度が高まればいらなくなるかもしれないんです。

 唯一わかるのは、もの凄く混沌とした社会になるだろうということ。その中で、いろいろな人とぶつかり合いながら、そして時代の大きな変化の荒波の中、自ら答えを見つけていかなくてはいけないということです。

 

 親世代は、子どもの将来に対する答えを持っていないし、尋ねるべき問すらもわかっていないということを強烈に自覚する必要があると思います。これからの時代を生きる人たちは、今までのように降りかかってきた問題に対処するだけではなく「何が問なのか」を自分で見出さないといけない。自分がこれだと思ったことを、信念を持って突き進んでいくことでしか、道は切り開かれない時代になっていくんです。

 だからこそ私は、「多様性を活かす力」「問を立てる力」「困難に挑む力」の3つの力が今まで以上に大事になってくると思っています。

 2014年にISAKを開校した時に、私はAI(人工知能)の発達がこれほど早いとは思いませんでしたが、2017年のダボス会議でも第4次産業革命における「人間とは何か」が大きなトピックになっているように、今後はすべての産業で人とAIがどう共存するかに関心が高まっています。

 そんな時代に生きる子どもたちのための、教育のあり方も、根本的に問い直されています。

 ISAKは今年、初めての卒業生を出しますが、私たちは彼らが何名、著名大学に行ったかといったことに一喜一憂するつもりはありません。大切なのは、彼らが本当にやりたいことに即した進路を選べたか。そして真価が問われるのは、10年、20年後に卒業生たちがどんなことをやっているかなんです。様々な分野で変革を起こすチェンジメーカーを輩出できるよう、ISAKのカリキュラムをブラッシュアップすることが中長期的に考える一番の課題です。

 

 2020年に大学入試センター試験が廃止され、新しい大学入試になろうとしています。

 当然のことながら大学入試が変わると、初等中等教育も変わらざるを得ない。画一的だった大学入試が変わることで、偏差値で横並びだった高校や中学にも個性が出て行くと期待しています。逆に急速な少子化の中、個性を出せない学校は生き残れなくなるかもしれません。

 教育再生実行会議のメンバーを拝命していた時に、特別支援学校のことが話題になりました。日本はADHD(注意欠陥・多動性障害)やアスペルガー症候群、ディスレクシア(難読症)などの生徒をみんな特別支援の対象にして1人の先生が見ていることが多いですが、どうアシストすればその子が伸びるかはその子の特長によって全然違います。

 海外では、チャーチルやマドンナやトム・クルーズなど、発達障害と呼ばれる症状があっても抜群の才能を発揮して活躍する人は沢山います。異能異才の宝庫ともいえる集団を活躍させられないのは、大げさな表現をすれば国家の損失とも言えるのではないでしょうか。

 少子高齢化を突き進む日本において、画一的な日本人が集まって問題を解決しようとしても、なかなか解決策は見つけられません。日本は異質なものを排除する力が本当に強い国ですが、親だからこそ、みんなと同じことを強制するのではなく、子供の個性や特長と向き合い、子どもがのびのびと輝ける環境を見つけてあげて欲しいと思います。

 子どもはいきいきとしていることが何より大事です。私自身、子育ては試行錯誤の連続ですが、親は子どもの個性や家庭環境に照らして、ベストな選択肢を考えてあげることしか出来ないと思います。

鎌田華菜

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