父親の特定と育児

一夫一婦制が過剰に進行し、子育てが女性に負担になってしまう一つの原因として父親を特定することがあるような気がします。

そもそも人間の女性は排卵日を隠蔽し、父親を特定しないのが自然の姿なんだそうです。

もし、父親が特定されないならば、母親と性交した男性たちは、その女性が生んだ子どもを、ひょっとしたら自分の子どもかもしれない、と考え、育児に協力するようになるでしょう。

奈良時代以前には、父親のわからない子どもを育てる育児施設も存在した、という話も聞きました。

私有財産を確実に子どもに受け継がせるために、一夫一婦制の結婚制度が作られたそうですが、結果的にこれが育児を困難にしているのではないでしょうか。

 

 

淀川拓郎

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発達障害児の数が20年余りで7倍増加したワケ 診断概念の拡大が影響か

はたして発達障害児は本当に増加しているのか、増えているならそれはなぜか。

ライブドアニュースより以下引用です 
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全国の公立小中学校における発達障害児の数が、初めて9万人を超えたという
20年余りで7倍以上増えた裏には、統計のからくりがあるはずだと識者は指摘
発達障害の診断概念が広がり、診断名が付く子の人数も増えたという

全国の公立小中学校で、発達障害により「通級指導」を受けている児童・生徒が初めて9万人を越えていることが初めてわかった。この20年あまり間で7倍以上増えた。その対策をコラムニストのオバタカズユキ氏が考える。

 * * *
 18年前より「キレイ事は一切抜き」の精神で『大学図鑑!』という大学案内本を毎春出している。このところは、自著だけでなく、進学や教育分野のプロを著者とする書籍の企画・編集にも勤しんでいるのだが、そのからみで出会った教育関係者たちから頻繁に聞かされる件がある。「発達障害の増加」についてだ。

 例を挙げればキリがないのだけれども、中学生になっても授業中の立ち歩きが治まらないばかりか、「ちょっと目を離した途端、教室の床の上を赤ちゃんハイハイしているんですよ!」といったエピソードが続出する。そのハイハイ君はADHD(注意欠陥多動性障害)と診断された子だそうだが、他にも読み書きなどに困難を抱えるLD(学習障害)、自閉症などいくつかの診断名がある。そうした発達障害児に振り回されて、先生方が実に大変な思いをしているようなのだ。

 この問題は近年急速に拡大している感があり、先日も、全国の公立小中学校で「通級指導」を受けている児童と生徒が、初めて9万人を超えたという文部科学省の調査結果が報じられた。

 通級指導は、〈比較的軽い障害がある児童・生徒が、特別支援学校や特別支援学級ではなく通常学級に在籍しながら、各教科の補充指導などを別室で受ける制度〉(毎日新聞の記事より)のこと。重い障害児についてはあまり話題にならず、もっぱら〈比較的軽い障害〉の増加が注目されている。

 文科省の同調査では、昨年5月1日の時点で通級指導を受けている子が、前年度比6520人増であった。調査を始めた1993年度との比較では、なんと7.4倍増。潜在的には、通級指導が必要な子はプラス数万人いるとの説もある。なにやらオオゴトだ。

中略
 けれども、1993年度から2015年度の僅か20年余りの間に、通級指導の子が7.4倍にもなったという事実は、上記のような理由からだけではとても説明しきれない気がする。そこには統計のからくりがあるはずだ。と、ずっと思っていたのだが、今回、文科省自ら〈学校現場での理解が広がり、把握が進んだ結果とみている〉という説明をしていた。ならば、腑に落ちる。

 発達障害の診断概念がどんどん広がり、診断名が付く子の人数がそれに伴い急増したわけだ。もっと平たく言うと、かつてだったら「ちょっと変わった子」や「落ち着きのない子」「カンの強い子」と言われていた層が、すぐ「発達障害児」にされてしまう時代となったのである。

 つまり、そう診断される子は増えたが、そういうタイプの子が増えたわけではない。20年前にはスルーされていた子が、医学の進歩の結果か、社会が神経質になったせいか、背景はさておき、今はチェックの対象になった。結果、統計上の数字でも、現場の実感値でも発達障害児が増えた。たぶん、そういうお話なのである。

 実際、中学生以下の子を持つ親の多くが感じているはずだが、この問題に対して最近の学校はとても敏感だ。ちょっと変わった拘りを持っていたり、落ち着きがなかったり、癇癪を起こしたり、なんらか平均値から大き目に外れた傾向の子を見つけると、けっこう簡単に「いちど診てもらうことをお勧めします」と言ってくる。学校だけでなく、保育園や幼稚園でもそうだ。

 さらに、親側の態度もだいぶ変わった。昔は、「うちの子が発達障害だなんて!」と受診を拒む親の方が多かったが、今は逆だと聞く。育児に手を焼いている親が自ら進んで検査や診察を受けに子供を連れてくる。「発達障害」の診断名をもらって、ほっとした表情になる親も少なくないそうだ。
中略
  あとは、周囲がその子の障害を理解してあげましょう、ありのままのその子を受け入れてあげましょう、と通級指導を受けるだけ。ザッツオールだ。

 私はこうした「発達障害ブーム」に首をひねるが、だからと言ってスルーしていた昔のほうがおおらかで良かったとは考えない。「ちょっと変わった子」「落ち着きのない子」「カンの強い子」を、それはそれとして認めていたのなら別だが、自分の子供時代を振り返るに、そんな牧歌的なものではなかった。彼や彼女の社会性の欠如は、揶揄や嘲笑のネタにすぎなかった。

 昔は、「斬り捨てる」という意味でスルーしていたと言ったほうが適確だろう。それに比べて、今は社会が彼や彼女を受け入れようとしている。そのことは進歩と評価していいはずだ。

 だが、問題は山積している。受け入れ先が、すでに悲鳴をあげている。その代表が、学校の現場、クラスの担任だ。

 通級指導を受けている児童と生徒がふだん通っている通常学級の先生方は、それでなくても大量の業務に忙殺されている。自分のクラスの子が発達障害と診断されたら、その子専用の教育体制をとる必要が生じる。でも、現場にそんな人的資源も対応ノウハウも存在しない。だから、結果、ちょっと目を離した途端、教室の床で赤ちゃんハイハイが始まってしまうのである。

 昔だったら、怒鳴りつけて教室の後ろに立たせるなりしていたのだろうが、障害児と診断されたからにはそうもいかない。出来る限り、その子に寄り添わねばならない。しかし、その子に時間を使えば、教室の他の子供たちが「えこひいきだ!」と文句を言い出す。みんなで発達障害を理解しましょうね、わかりましたクラスメイトで力を合わせて寄り添います、だなんて話にはならない。そんな絵空事より、学級崩壊への道のほうがずっとリアルだ。
引用終わり

 

 

 

志水満

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