親子愛☆男女愛

ここで最近の親子関係にちょっと視点を移します。
先日、姉と弟の二人の子供を持つ友人宅へ遊びに 行った時の事。

母親曰く、長女も次男も可愛くて仕方が無いのだが、次男に対する愛情の入り方が全然違う、という話を聞きました。

すんなり理解できなかったので何日かこの言葉が頭を駆け巡っていたのですが、親子関係にも男女差が出るものなのか、と一旦理解していました。

長女は自分と同じ女であり、自分と同じ。逆に父親は娘に溺愛、という話も良く聞きますよね。
対して次男は異性であり、女の愛情を降り注ぐ余地がたっぷりと用意されている(この時点で既に勘違い)。可愛い我が子にたっぷりと愛情を注ぎ、丹念に自分向けの良い男に育てよう、とでも思うのだろうか?これは、父親+娘にも当て嵌まるかもしれない。

やはり、ここでも“愛”という言葉が何か場の認識を濁らせているように感じた。
子供は、親の餓えた“押し付け愛”の受入皿では無いのだ。

ここでも議論に挙がっている様に、親の囲い込み空間を、愛という言葉をもって正統化されてしまっているのではないだろうか。

自分の生んだ子供が可愛くて仕方が無い事は、何も否定しない。しかし、その子供へ伝えなければならないのは、人間としての感触であり、愛という言葉の使い方では無い。

人間の感触、と言うのは実現論で言う共認機能そのものだと思う。
親とその回りで自分達を支えてくれている仲間達が自分の存在の全てであり、いずれは社会を支えていく存在へと自然に成長できる環境を、「親が」では無く「仲間」と共に作り上げていく事、考えていく事だと思う。

多くの子育てサークルが発生している事は確かだが、現状は母親だけの集まり、各個人の愛情自慢の場にしかなっていない為に、簡単に空中分解してしまう例も多い。

結局は自分の家庭が、我が子温存の場として定着しており、むしろ深入りを避ける傾向さえ感じてしまう。
大人と子供の断絶は、親子・家庭の問題として放置していては何も改善されない。

実はちょっと面白い傾向を見つけた。
たまたまシングルマザーのHPを見たのだが、NET上でシングルマザー同士のネットワークがかなり活発に機能しているのだ。

シングルになった理由はどうであれ、皆働きながら子育てをして行かなければならない者同士。初めからシングルを望んで子供を作る女性も居るようだ。

ここで注目できるのは、この母親達のネットワークでは本当に支え合い・助け合いが目的となっている点である。子育てを(仮想空間を経由して)皆で進めているのである。不安ばかり抱え込んでいる母親が多いなか、このネットワーク上のお母さん達は、文章から「生きている実感」が伝わってくる。

結婚に囚われずに、しかしむしろ健全な子育て環境を自分達の手で作り上げていく新しい形態の芽生えではないかと思える。今後しばらく、注目してみる事にします。

 

 

 

川井孝浩
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 (ありがとうございます

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