高1自殺の原因は“いじめ”ではなく“母”だった 〈学校を破壊するモンスターマザーの傾向と対策〉(2)

引き続き(リンク)より引用します。
********************************
■裕太君の家出

「担任交代、いや退職しろ! 裕太だって先生が原因だって言っている。なんで校長、教頭が謝罪に来ないのか。もう二度と家に来るな!」

 息子の家出の原因は学校にある。そう言い張る母親は、自宅を訪ねてきた教師たちに耳を疑うような怒鳴り声を浴びせた。

 裕太君の行方がわからなくなったのは、05年8月30日だった。前日、担任の立花実(仮名)は、裕太君が夏休みの製図の課題を提出していないことを知って心配し、「2学期の評定が1になってしまうけど、どうして間に合わなかったのかね。お母さん、悲しむね」と声をかけていた。

 2日経っても3日経っても裕太君は家に帰らない。

 さおりは、この言葉が家出の原因だとして立花を激しく糾弾、学校や県教委にすさまじい抗議を始める。

 最寄りの駅の防犯ビデオの解析から、裕太君が東京方面に向かったことがわかった。するとさおりは、立花に対し、東京でビラを配るから、裕太君の写真を持って来いと要求。立花は連日、捜索に駆けずり回っていたが、急遽、あちこちから写真を集めて自宅に届けた。ところが、さおりに激しく罵倒される。

「(写真を)早く持ってきてくれなかったので列車に間に合わなかった。どうしてくれる。担任は学校を辞めてもらいたい。許さない。東京へ行って捜しなさい。のうのうと寝ていないで外に見つかるまでいろ。子供が家出以来、私は何も食べていないのに、なんであなたはブクブクしていられるんだ! 子供を早く返して! 裕太が死んだら責任取りなさいよ!」

■「お前は馬鹿だ、人殺しだ!」

 立花とともに捜索を行っていたバレー部部長の教師も、電話でさおりに怒鳴られている。

「東京で配るのにビラ4000枚が必要だ。子供の青春をつぶした学校は責任を取れ! 東京へいっしょに来い!」

 裕太君は9月5日、ようやく上野で無事保護される。だが、さおりの攻撃は収まるどころか、謝罪のため自宅に訪れた立花らに、前述のように「担任退職」「校長謝罪」を強要したのである。

 以後、裕太君は不登校になる。

 するとさおりは、県教委やPTA会長、教頭などに何本も電話を入れ、「立花担任は学校を辞めろ!」「学校は謝罪文を持って来い!」などと強硬に主張した。校長は謝罪文を渡そうとしたが拒絶し、「学校が子供を死にたいと思うまで追いつめた」という一文を入れた新たな謝罪文を要求する始末。

 これを断られると、

「お前は馬鹿だ、人殺しだ!」

 と、電話で校長に何度も怒鳴った。

 そして再び学校を非難し謝罪を求める電話やメール、ファックスを、あらゆる関係先に大量に送り付け始めた。

 また、裕太君に精神科を受診させ、「うつ病」と書かれた診断書を県教委にファックス送信した。

 しかし、家出の原因は本当に担任のせいだったのか。

 9月26日、登校を再開した裕太君は、教師たちにこう打ち明けていた。

「お母さんが怖くて家に帰りたくなかった。遠いところへ行けば、お母さんに見つからないと思った」
(以上、引用終わり)

 

 

佐藤晴彦
 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 16:11 |コメントする    Print This Post


高1自殺の原因は“いじめ”ではなく“母”だった 〈学校を破壊するモンスターマザーの傾向と対策〉(1)

一時期モンスターペアレンツという言葉をよく耳にしたが、自分の子供に対しても余りにストレスを与えすぎるモンスターマザーがいるようです。
育児放棄で乳幼児を死に追いやってしまう親も、同じかもしれません。

リンク)より引用します。
*******************************
「モンスターペアレント」の存在が顕在化して久しいが、以下はその極限の事例と言えるだろう。長野の高校で起きた「いじめ自殺」事件の真相を描いた『モンスターマザー』(新潮社刊)。その著者、福田ますみさんが、学校を破壊する怪物の「傾向と対策」を伝授する。

 ***

 長野県の東部に位置する北佐久郡御代田(みよた)町は、人口1万5000人ほど。高原野菜の栽培と精密部品の製造が盛んな町である。

 軽井沢に隣接しながら、その喧噪とは無縁の静かな高原地域。そこで世間を大いに騒がせることになる“事件”が起きたのは、2005年のことだった。

「出ていけ! お前たちが裕太を殺した。お前だけは許さない!」

「人殺し!」

「死んでから来ても遅い!」

「謝罪する気がないなら帰れ!」

 12月6日、浅間山を望む丘陵地にある家の自室で、丸子実業高校(現・丸子修学館高校)1年生でバレー部員の高山裕太君(16)が首を吊り、搬送先の病院で死亡が確認された。

 知らせを受け、急ぎ自宅に駆け付けた学校の関係者に、母・高山さおり(仮名)は、半狂乱で前述のように絶叫し、衆目の中で謝罪や土下座を強いた。

「学校が悪かったんです。きちんと対処してくれていたら、子どもは死ななかったんです」

 彼女は、一方で、押しかけたマスコミに対しては、息子が「いじめ」の被害者であることを涙ながらにアピールした。

 マスコミにとって、「いじめ自殺」は視聴者の注目度の高い“格好のネタ”だ。これを受け、新聞各紙には、〈高1いじめ自殺〉の文字が並び、テレビも彼女のインタビューを流して追随。1カ月後、さおりが校長を「殺人罪」で刑事告訴すると、各紙にはより刺激的な見出しが躍った。

 ところが、だ。

 それから3年――。

 校長が不起訴になったのはもちろんのこと、さおりが起こした損害賠償請求訴訟でも、長野地裁は自殺における学校側の責任を完全否定した。それどころか、逆に〈原告の態度、意向などが裕太に相当なストレスを与えていた可能性を否定できない〉と、さおりの責任をも示唆する判決を出したのである。

 言わば、彼女は息子を死へ導き、その責任をすべて学校になすりつけようとしていたことになる。

 学校の教師に過大な要求や無理難題を突きつける、いわゆるモンスターペアレントの呆れた行状はつとに有名だ。

 子供の遠足に弁当を作れないので、先生が作って持ってきて。子供が朝起きられないので、先生が毎朝モーニングコールをしてほしい。会社を休んで授業参観に行くのだから、その分の給料を担任が支払え。

 だが、冒頭の母親のモンスターぶりは、こんな例をはるかに凌ぐすさまじさである。現代において学校現場が格闘しているのは、どのようなレベルの“怪物”なのか。それに対し、どう立ち向かうべきなのか。以下、このケースを紹介しながら、詳らかにしていきたい。
(続く)

 

佐藤晴彦

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 16:39 |コメントする    Print This Post


プーチン人気を支える驚異的な「記憶力」…そのワケはロシアの伝統教育

>ロシアン人は、プーチンのみならず国民も驚異的な記憶力を持っているようです。記憶力といってもの日本の暗記教育で培われる意味記憶(*1)とは違い、エピソード記憶(*2)だと思われます。

>ロシア人の驚異的な記憶力の源泉は【子供の頃からの詩の暗記】にあるようです。

>(*1)意味記憶
言語の知識や情報の記憶などは言葉で表現することはできますが、情緒は伴いません。このような感情と論理整合性が連動しない記憶
  
>(*2)エピソード記憶
情緒の伴う記憶のことで、いわゆる「思い出」と表現されるものです。感情と論理整合性が連動する記憶。

ロシアの教育事情・・・「詞」についてネットで探ってみると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○【ピアノのあるカフェ~St.Petersburg 】
リンク
ロシアでは、高校生になると「罪と罰」を国語の授業で読み、小学生の時に必ずプーシキンの詩を朗読したり暗唱したりする、とガイドさんから聞きました。

○詩の暗唱の授業 (storymiki) 
リンク
ロシアの小学校ではプーシキンの長詩の暗唱が国語の授業には必ず入ります。

○ロシア式教育:詩の暗読
リンク

前回書いた詩の暗読のことですけど、ロシアでは、子供に詩を暗記させることが多いです。子供が言葉をしゃべれるようになったら、まず4行ぐらいの子供向けの詩を覚えさせるようになります。保育園では、子供たちは、お正月や「春の到来」や8月3日(日本の母の日のようなもの)などの季節や年中行事にちなんだ詩を暗記して、みんなの前で披露します。

 小学校に入ってからも、「読解」の授業のときに「詩の暗記」という宿題がしょっちゅう出ます。家で覚えてきて、授業のとき一人ずつ暗読します。保育園とは違って、小学校からはただ単に詩を暗記するだけでは不十分で、「気持ちをこめて上手に読む」ことも求められます。

○プーシキン『ルスランとリュドミーラ』 
リンク

詩、と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか。
詩やポエムと聞くと、なんだか非常にロマンチックで、高尚で、なかなか一般人の手に届かないところにあるもの、というイメージがあります。

しかしロシアでは詩は、少なくとも日本と比べれば、非常に身近な存在です。まだ小学校にも入っていない子供が、プーシキンの詩を暗唱したりするぐらいです。

私のロシア人の友人にも、詩を作るのが好きな人がいます。そして、ロシアでは詩を書く人というのは大変尊敬されています。 私のロシア人のツレは言いました。

ロシアで詩人は詩人以上の意味を持っている。

ロシア文学といえば、外国ではトルストイやドストエフスキーが有名ですが、ロシア国内で一番偉いのは、詩人のプーシキンという人なのです。
外国で詩人があまり有名にならないのは、ロシア語が持っている詩のリズムや面白さが、翻訳ではなかなか伝えられないためです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼少期をから、ロシアの詩のリズミを親しみ、意味を理解するために、詩を単に暗記するのではなく、「気持ちを込めて読む」ことを求められ、みんなの前で発表する。これによって驚異的な記憶力を生み出しているのではないかと考えられます。

ポイントは
・幼少期・・・・・・・・・・・・・・意味記憶能力が秀でている年代
・詩・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本の俳諧に近い広がり
・リズム・・・・・・・・・・・・・・・運動機能
・気持ちを込めて読む・・・同化(・・・→褒められる)
・発表・・・・・・・・・・・・・・・・評価(・・・→褒められる)

 

 

 

加藤俊治

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 16:43 |コメントする    Print This Post


LINEで子どもがバカになる!?(2)

yahooニュース リンク より、以下転載 続きです
---------------------------------
■絵文字がすべてをダメにする
 そんなことを考えていると、子どもたちの日本語に異変が起きているその原因が見る見るうちに浮かび上がってきた。LINEをはじめとしたSNSの隆盛、家族形態や住環境の変化、英語教育の早期化など……。

 そして、それらを調べていくうちに、現代は子どもたちの使用する日本語を崩壊させる危険に満ちていることが判明したのだ。

 それらを一つひとつ紹介しつつ、いまの子どもたちに失われつつある日本語運用能力、及び、それを取り戻すための解決策を提示していきたい。

 LINEの画面を呼び出せる人はいますぐ開いてほしい。

 画面下部の入力欄に「嬉しい」と入力してみよう。すると、嬉しさを表すスタンプが約八〇個出てくる。ほかにも「悲しい」「楽しい」「可愛い」「怪しい」「寂しい」「怖い」「ヤバい」「つまらない」「怒る」「焦る」「安心」「幸せ」「むかつく」「照れる」「驚く」「困る」などのことばを入力すると、数の違いはあれどやはりその心情に対応したスタンプが自動的にあらわれる。

 しかし、次のような心情表現を文字入力するとそうはいかなくなる。

 たとえば、「疑わしい」「みっともない」「いまいましい」「愛おしい」「心地よい」「不甲斐ない」「懐かしい」「誇らしい」「切ない」「惨め」「哀れ」「不快」「滑稽」「羨む」「憤る」「感心(感嘆)する」「決心する」「動揺する」など……。どれも、日常会話で用いる基本的な心情表現と言えるだろう。だが、LINEのスタンプがあらわれることはない。

 よって、LINEのトーク機能でスタンプ、絵文字を多用している人は極めて限られたことばしか入力しないようになる。これから教養を培うはずの子どもたちがLINE漬けになっていたら、使用する心情表現が限られたことばのみになってしまうのだ。

 聞くところによると、最近の中高生の中には課題作文の中で堂々と「顔文字」「絵文字」を書き込む子どもがいるとか……。

■スタンプ依存
 当たり前の話だが、人間はことばで思考する動物だ。ことばを用いずに深く物事を考えることはできない。ことばが豊かな人は複層的な思考回路をもって物事に処することができる。逆に手持ちの語彙が貧困であれば、物事を浅いレベルでしかとらえることができなくなってしまう。

 それでも、子どもたちはスタンプの使用をやめられない。高校生の女子に聞くと、相手の問いかけに対し、否定的なことばを発しそうになる自分を制御するとき、あるいは即答できなくて、その場を取り繕おうとするとき、スタンプについ依存してしまうという。

 「だって、ことばにしてはいけない、ことばにならないときってあるじゃないですか。それで苦肉の策としてスタンプを使うんです。そう考えると、『間を持たす』働きのあるスタンプって優れていますよね」

 彼女のLINE上は、自身の、また相手のスタンプで溢れかえっている。

 古来、原始人は洞窟の中に絵を描いて、他者と意思疎通を図ろうと試みた。その後、気の遠くなるような長い時間を経て、人は文字を生み出した。

 そのように考えると、いまの子どもたちが「スタンプ漬け」になっているのは、文字以前の世界、原始人のコミュニケーションへと退行しているのではないか。このままいくと、原始人以前、つまり、子どもたちは「サル化」していくのかもしれない……。

 わたしはLINEの使用を即刻中止せよなどとののしるつもりはない。LINEとの付き合い方を誤り、それに「依存」しきってしまうと心の内までLINEに浸食されてしまうことを強く申し上げたいのである。

———-
(1ページ目の問いの解答)①2→1→3②3→1→2③1→3→2④2→3→1
———-
---------------------------------

 

 

 

山上勝義

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 16:54 |コメントする    Print This Post


人間関係に悩まないための「魔法の言葉」とは?

『THE 21 ONLINE』~人間関係に悩まないための「魔法の言葉」とは?~(リンク)より引用します。

*********************************
人間関係で悩みやすい人には、明確な特徴があります。それは一言で言うと「真面目」だということです。いわゆる「いい人」、と言い換えてもいいでしょう。いい人であることは、本人にとって息苦しいものです。

相手に悪く思われないために、言いたいことを押し殺すことも増えるでしょう。「どう言えば好意を持たれるか」「嫌われないか」を常に計算し続けなくてはならないことも、人間関係の悩みを増大させる要因となります。

★ここまでして、いい人だと思われたいのはいったいなぜでしょうか。

それは取りも直さず、本人が自分をいい人だと思っていないからです。このタイプの人は総じて、自分に対してネガティブな評価を下しています。自分はずるくて、意地悪で、卑怯で……などと思い、そうした内面が周囲に露見しないよう、必死で仮面をかぶっています。

このネガティブ感情は、「罪悪感」と言い変えることもできます。いったい何に対しての罪悪感なのでしょうか。それを紐解くと、意外な事実が浮かび上がってきます。

それは「母親」に対する見方です。「子供のころ母親を不幸だと思っていた」「母親が幸せそうに見えない、人生を楽しんでいないように見える」――という感覚です。

これは、「実際に本人が幸せと感じていたかどうか」とは関係がありません。 母親を不幸だと見なした子供は、自分を責めるようになります。自分が悪い子だから、母親を笑顔にしてあげられないから、自分の世話で大変な思いをさせているから……という罪悪感を抱くようなのです。

両親の仲が悪かったり、父親が母親に暴力をふるっていたりした場合も、「そこから助けてあげられない自分」に非がある、ととらえます。そして、これ以上母親に悲しい顔をさせてはいけないと考えるようになります。

そこから子供の「頑張り」が始まります。真面目に勉強し、良い学校に進もうとするなど、母親の喜ぶことをひたすら行なおうとするようになります。こういう子供は、「かわいそうなお母さん」に逆らうことなどもってのほかだと考えているので、反抗期がほとんどなく、結果として長く拗ねているような状態が続くのも特徴です。

母親の顔色をうかがって生きてきた子供は、行動や価値観の中心軸を自分に置かず、他者に置く習慣ができています。ですから大人になっても、周囲の顔色をうかがい続けます。こうしてあらゆる他者に気を遣いながら生きるとき、その人は個々の相手の向こうに、知らずに母親を見ています。

★この思考・行動パターンを変えていくにはどうすればいいでしょうか。

それは言うまでもなく、問題の根源にある「母親への気持ち」を変えることに尽きます。そこから解放される方法は、ある言葉を発することです。

その魔法の言葉とは、「私はお母さんを悲しませてもいい」「お母さんを捨てたっていい」。そう、親不孝なことを口にすることが本来の自分を取り戻す手段なのです。罪悪感が強ければ強いほど、「そんなこと怖くて口にできない!」と感じるでしょう。しかし呪縛を解くには、このプロセスを通ることが不可欠です。

少しずつ、繰り返しこの言葉を発していくと、あるとき「自分がどうであれ、母は大丈夫だ」という認識が芽生えてきます。それは、自分の罪悪感が単なる思いこみに過ぎなかった、という気づきでもあります。 自分の行動と母親の幸不幸は必ずしも直結しないこと、彼女の意に沿う義務はないということ、自分の自由に生きていいのだということ。

これが分かったときに、人は「自分軸」を取り戻すことができるのです。

 

 

柏木悠斗
 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 16:59 |コメントする    Print This Post


6歳までの親業って?自主性とやる気の子育て心理学

「いい大学」→「いい会社」→「いい生活」という路線が何の意味を為さなくなった今、何のために生きるのか、人生で何を為すのか、といった人類本来の本源的な生きる目的、主体性がより社会で求められるようになってきた。では、その主体性の元となるのもはどこで形成されるのか。

——————————————-
リンク

●「3ナイ状態」に見られる共通点とは?

お子さんの年齢が6歳過ぎたあたりから急に増えるのが、
 「自主性がない」
 「やる気に欠ける」
 「すぐにくじけてしまう」
というお悩み。その年頃になって急に目立ってくるのは、小学生になって”勉強”という新たなタスクが加わることで、自主性ややる気が露呈されやすいという理由もあるでしょう。

 しかし、これらは、6歳過ぎて突如現れる現象ではなく、その根っこは幼少期にあるケースが多いようです。「集中力」や「粘り強さ」などの強弱は、ある程度生まれつきということが心理学の研究で分かっていますが、「自主性」や「やる気」は、生まれてからの経験を通し、育てることができるタイプの気質部分。つまり、幼稚園くらいまでの親子の関わり合い方が土台になっているのです。

カウンセリングなどで、お母さま方から自主性ややる気のお悩みを聞いていると、ある共通点があることが分かります。それは、 
・耐える経験
・乗り越える経験
・自ら決断する経験
これらの経験が全般的に少ない傾向があるということ。

●子供が成長するには不快な思いが必要

 子育て心理学では、子供が感じるべき不安感やフラストレーションを、親が取り除いてはいけないとしています。アメリカ心理学会の会長をつとめたセリグマン博士も、「子供はいつもいつもご機嫌でいる必要はない。成長のためには、悲しみや不安、怒りを感じることも非常に大切」と言っています。

 小さいうちは、思うように手先も器用に動かないし、何をやるのにも時間がかかります。でも、それは子供が乗り越えるべきチャレンジであって、癇癪を起こしたりしながらマスターし、どんどん手際や要領を覚えていきます。
・積み木を上に積み上げていくこと
・ボタンをはめること
・靴下を履くこと
こんなことも、はじめはものすごく時間がかかります。途中で、キーッと泣き出してしまうかもしれません。

 でも、こうやってイヤだな、大変だなという思いをして、自分でやる力、耐えながら頑張る力は身についていきます。これを「イヤな気分にさせまい」と、先回りしてやってあげたり、道を平たんに整えてあげると、子供は「物事は自分の思うようにスイスイ進むものだ」と感じるようになり、小学校に上がって、急に机に向かわなくてはいけない、自分でやらなくてはいけない、というときに、その子の耐性の低さが露呈されてしまうのです。

●「親」という字が教えてくれる「可愛い子には旅をさせよ」の意

 子供が新たなことをやり遂げるためには、失敗をし、悔しい思いをし、成功するまで繰り返す必要があります。親が取って代われるものではありません。正しくは、取って代わってはいけないものです。

 不快な気分やフラストレーションは、その子が強くなるための必要なエッセンスです。それを親が「かわいそうだ」と回避させてしまっては、せっかくの強くなるチャンスを逸してしまっていることになります。そう、イヤな気分にさせるのがかわいそうなのではなく、チャンスをつぶしてしまっていることの方がずっとかわいそうなのです。まさに、「可愛い子には旅をさせよ」というわけです。

 カウンセリングでこのようにお伝えすると、「やってあげた方が簡単なんですよね。待ってあげる方がずっと大変……」とおっしゃるママもいます。確かに、ママが手を出した方が早いし、簡単だし、完璧なんですよね。子供の動作を見守るということは、親にとっては大きなチャレンジなんです。

 

 

天野 弘

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 13:28 |コメントする    Print This Post


保育所増やせと言う前に、愛着障害について考える。

真の国益を実現するブログ
リンク

自治体の保育士上乗せ配置等を削ることには、子どもの安全と発達を守る立場から反対します。子どもたちの命を脅かし、ホスピタリズム(施設病)による愛着障害(※)を引き起こす危険性を含んでいます。

WHOの委託を受けて調査を行ったアメリカの小児精神科医ボウルビーは、ホスピタリズムの原因を保育者が子どもに十分にかかわらないことによる「母性的養育の喪失」(愛着障害)であるとし、子どもは栄養と衛生だけでは育たないことを明らかにしました。これは一時、「3歳児神話」の根拠ともなりましたが、その後の研究で、子どもは母親以外の複数の養育者との間で愛着関係を結ぶことができるとことが明らかになっています。また、現在では、孤立した家庭養育における愛着障害も懸念されるようになっています。

入れればいい、という親が激増しているが、入ってからの方が本当の問題。ただ眺めているだけの保育士に4、5人の子どもを一日十時間、年に260日預ければ、その子たちの一生に何らかのかたちで「愛着障害」という負の影響を及ぼすことは、厚労省も、国連も、ユネスコも繰り返し過去に言ったこと。それがはっきり見えないからといって、見えるようになってからではもう遅い。だから北欧では、子どもと親が一緒に過ごす時間を取り戻す方向へと施策が進められている。(手遅れだと思いますが。)。
国によって、ここまで保育の価値を下げられると、良い保育士はますます辞めてゆく。呆れるばかり。以前、経済財政諮問会議の座長の経済学者が、0才児は寝たきりなんだから、と言ったことを憶い出す。人間たちをいい人にしてくれる三歳未満児の存在意義をまったく理解していない。この幼児を蔑ろにして、この国の将来は輝かない。

引用終わり

改めて、子どもは目線でものを考えたいものだ。

 

 

桜木花道

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 13:39 |コメントする    Print This Post