これでやる気倍増!子供が自発的に勉強する魔法の声かけ

「これでやる気倍増!子供が自発的に勉強する魔法の声かけ」という記事を見つけました。ポイントは、4つとのこと。

・自己重要感を高める
・子供の「行動」ではなく「存在」を認める
・「結果」よりも「過程」を褒める
・「お母さん嬉しい!」は魔法のことば

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リンクより引用

|自己重要感を高める

そもそも、子供に対してどの様に接すれば自発性を育むことが出来るのでしょうか?そのポイントは、「自己重要感」を高めることにあります。(中略)
しかし、あと一言、大切な一語を加えることで、より正確な意味に近づきます。それは、「ありのままの(自分)」。そう、「ありのままの自分は、価値があって、重要な存在だ」と思えることこそが、本当の自己重要感なのです。

たとえば、子供を褒めるタイミング。どんな時に褒めていますか?テストでいい点が取れた時、勉強した時、いい子にしていた時…、それも確かに良いでしょう。しかし、本当の意味での自己重要感を高めるには、この様な「条件付き」の褒め言葉よりも、「ありのままの子供の姿」を認め、承認してあげる声かけが非常に有効なのです。

いつも「条件付き」の褒め言葉ばかりを子供に投げかけていると、子供は息苦しくなります。たとえば勉強を例に取ってみましょう。子供が勉強した時や、良い成績を取った時にばかり褒めていると、子供の頭の中ではこのようなルールが敷かれてしまいます。

「勉強を頑張れば、お母さんは褒めてくれる。でも、勉強が出来なかったら、お母さんは自分を認めてくれない…」 

確かに、勉強は出来た方が良いでしょう。でも、誰だって、無条件に愛された方が嬉しいに決まっています。特に、世界にたった一人しかいない自分のお母さんくらい、無条件に自分を受け入れてくれる存在であってほしいと思うのは、とても自然な欲求ではないでしょうか。

「お母さんは、ありのままの自分を受け入れてくれる」という安心感に包まれた時、初めて子供は自ら考え、自発的に動き始めます。親の顔色を伺いながら、言われたことだけをただこなすのではなく、「自分は何をすべきか?」を自分自身の為に考え、行動できる様になるのです。

|子供の「行動」ではなく「存在」を認める

では、具体的にはどの様にすれば子供の自己重要感を高めることが出来るのでしょうか?ポイントは、「ありのままの子供の姿」を受け入れてあげることです。つまり、勉強したとかテストで良い点数を取ったとか、子供の「行動」に目を向けるのではなく、子供の存在、在り方そのものを褒めたり、認めるように努めましょう。具体的には、次の様な接し方がおすすめです。
子供が何か話し始めたら、さえぎったり頭ごなしに否定せず、最後まで聞く
「何やってるの!」と叱る前に、「どうしたの?」と子供の言い分を聞く
子供の言葉を繰り返す(「ケーキ、好き!」に対し「そう、ケーキが好きなの」等)
会話のペースに合わせて、相槌をうつ
会話の要所要所で子供の名前を呼ぶ(「良かったね、○○」等)

「え?こんなことで良いの?」と思いませんでしたか?そう、自己重要感を高める為には、無理にあれこれ褒めたり、ヨイショする必要はないのです。お母さんが自分に目を向けてくれている、その実感があるだけで、子供の自己重要感は十分高まっていきます。

|「結果」よりも「過程」を褒める

もう一つ、子供のやる気を引き出すポイントをお伝えしましょう。子供のモチベーションが上がるのは、何と言っても褒められた時です。ただし、条件付きの褒め言葉ばかりでは逆効果、ということは既に伝えました。

でも、テストで良い点が取れた時、勉強を頑張ってくれた時は、やっぱりお褒めてあげたい…どう褒めたら良いの?と思いますよね。こういう時は、結果よりも過程に着目して褒めてあげましょう。つまり、「100点取れてすごいね!」ではなく、「100点取れるくらい頑張ったんだね!」と、点数よりも努力に価値を置くのがポイントです。

他にも、難しい問題が解けた時は、「正解してすごいね!」ではなく、「こんなに難しい問題にチャレンジしたの、すごいね!」と、正解したことそのものよりも、難しい問題に挑戦した姿勢を褒めてあげましょう。あるいは、正解できなかったとしても、「自力でここまで頑張ったのね」と、本人の粘りを認めてあげるのも、とても効果的です。

これには大きな理由があります。点数や正解ばかりを褒めていると、「点数が高いこと」や「正解すること」が正しいことだと思い込んでしまい、点数を取る為、正解する為なら手段を選ばなくなってしまうのです。最終的にはカンニングをしたり、こっそり解答を写してあたかも自力で正解したかのように振る舞ったり…あるいは、間違えることを極端に恐れ、自力で正解できる簡単な問題にしか挑戦しない、勝てる勝負しかしない子になってしまいます。

これに対し、頑張った姿勢を褒めてあげると、子供は自力で頑張れる子になります。たとえ難しい問題でも、間違えても良いから出来るところまでやってみようというチャレンジ精神が身につきます。大人の世界では結果が全てですが、子供の教育やしつけの場面では、動機づけとして努力の過程を褒めてあげることがとても大切なのです。

|「お母さん嬉しい!」は魔法のことば

さて、最後に、子供のやる気を引き出すとっておきの言葉をご紹介しましょう。それは、「お母さん、嬉しい!」。どんな子供でも、お母さんが喜んでくれるのが一番嬉しいものです。

これは、子供を褒める時にももちろん使えますし、日々子供が元気に学校へ行ったり、ごはんをモリモリ食べたりといった、子供の様子に対してもどんどん使ってあげてください。

「学校が楽しいのね、お母さん嬉しいわ」「大好きなハンバーグ、いっぱい食べてくれてお母さん嬉しいな」などなど、子供が喜んでやっていることに対しても、「お母さん嬉しい」と付け加えることで、子供の自己重要感はますます高まっていくのです。

 

 

 

匿名希望

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「恥ずかしい」は言葉で教えてもらう感情

バイト先のふざけた写真をツイッターにアップロードしたり
成人式で悪ふざけをして、その様子がテレビで報道されたり。

最近の若い者たちは、自らの醜態が世間に晒されているにもかかわらず
それを喜び、楽しんでいる。

これらの出来事を、どうせ若い者たちがやっていることだからと軽く見逃すこともできるが、
一方で、彼らの中にはきちんとした羞恥心が培われていないのではないかと心配になる。

下の記事では、赤ちゃんにどのようにして羞恥心を身に付けさせるかが説明されている。
驚くことに、まず言葉をかけることで羞恥心を覚えさせるらしい。

「漏らしちゃって恥ずかしいね」
「泣いちゃって恥ずかしいね」
という風に、一般的に恥ずかしいとされる局面で「恥ずかしいね」とインプットしていく。

「楽しい」や「悲しい」は自然と感じ、自ずと芽生えるが
「恥ずかしい」という感情は、外から教えられて育まれるものらしい。

それはつまり、大人になってもなお「それは恥ずべきこと」ということが更新されていくということでもある。

以下引用
リンク

「しつけは赤ちゃんの時から始まっています」
 
そうと聞くと、きっと多くの方が驚かれることと思います。
ですが、これは本当のこと。
 
今回は、赤ちゃんの頃から教えられる“恥じらい”について、教えたほうがいい理由と、その教え方をご紹介します。
 
■人生において“恥じらい”が大切な理由
子どもの真っ白な設計図に、善良で美しい人生を描く、その描き方を教えるのは、大人の責任です。
 
子どもの頃は、好奇心の塊。
それはそれはたくさんの、そしてあらゆる種類のいたずらや間違いをしでかすことでしょう。

小さな頃は大人が注意したり、時には叱ったり怒ったりして、それを止めることができます。
 
ですが、最終的に、子どもは自らを律する心を学ばなければなりません。
小さな頃は止められなかった自分を引き戻す心、それが“恥じらい”です。

“恥じらい”の心は、何もしなければ、育つことはありません。
 
子どもがいずれ「こんなことをするのは恥ずかしい」と自分を律することが出来るようになるには、彼らが小さな頃から、大人が“恥じらいの心”を育ててあげる必要があります。

■赤ちゃんに“恥じらい”を教える方法
オムツ替え、着替えのときに
オムツを外してお尻をキレイにしてから、新しいオムツに替えるまでの短い間ですが、「あー、恥ずかし、恥ずかし」と歌うようにはやしながら替えてください。

お風呂のあと、裸が嬉しくて逃げ出す子にも、同じようにはやしてください。
怒ったりと、罪悪感を抱かせる事は、する必要はありません。
 
そうすることで、「服を着ないことや、お尻を隠さないことは恥ずかしいことだ」という感覚が、だんだんと育ちます。

■泣くことは恥ずかしい
悲しかったり、痛かったりしたときに泣くのは、再び元気を取り戻すために必要なことです。

ですが、何か悪いことをして怒られたときに流す涙は、恥ずかしいこと。
そういった状況のときは、親は子どもに対して「あ、なっくなっく」「泣いてる、泣いてる」などとはやしてください。
 
どんなに小さな子でも、悔しそうに泣きやむか、余計に泣き出すか、親にしがみついてくるか、何らかの感情が出てくると思います。

■昔の日本人が教えてきた、「お天道様が見てるよ」という心
海外に住んでいると、街中にあるゴミ箱の多さに驚かされます。
ゴミ箱が多いと、ゴミをすぐに捨てる事が出来てとても便利です。

何故日本にはゴミ箱が無いのでしょう。

それは、ゴミ箱が少ないのに、人々がポイ捨てしない意識が高いのだと思います。
 
そこにあるのは、まさしく「恥じらいの心」。
ですから、誰が見ているわけでもない、褒められるためでもない、それでも正しい行いを選ぶことが出来るのです。
 
それを育てたのは「お天道様が見てる」と言って叱られた、幼少期の経験があるからではないでしょうか。

 

 

 

す太郎
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立って勉強すると認知能力がアップするらしい

根拠は無いが、感覚的には理解できる。
最近は、ランニングをしながらビジネスミーティングをする人もいるらしいが、脳が活性化し前向きに思考できるのだそうだ。

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米国の小学校で「スタンディング・デスク」を導入〜運動促進や肥満防止だけでなく学力もUP!リンク

さまざまな学術的研究から「座る時間が長いと健康に良くない」という認識が浸透し、立って作業することが見直されてきた昨今。立ったままで仕事ができる「スタンディング・デスク」が注目され、企業でも導入するところが増えてきているようだ。
アメリカでは今、その流れが教育現場にも及んでいる。多くの学校でスタンディング・デスク導入の動きが広がり、健康や学習能力の向上、さらには問題行動の改善にも繋がるかもしれないという。

■立って勉強するだけで運動不足解消
先月「Pediatrics」オンライン版に掲載された米・イェール大学看護学科の研究では、学校でスタンディング・デスクを使うことにより、子どもたちがより活動的になると報告された。
研究者らは、5〜18歳の就学児童を対象とした8件の国際研究をレビューした。デスクには必要に応じて椅子も使えるよう調整できるものと、椅子を使えないものの両方があったが、8件のうち半数の研究では、スタンディング・デスクの使用で子どもの座る時間が1日約1時間も減少。2件の研究では、立って過ごす時間が最大31%近く長くなっていた。また従来の机を使う子どもに比べ、テレビやPCの前にいる時間が1日1時間以上少なくなり、歩き回る時間がはるかに多くなった。
研究者は「スタンディング・デスクを使うと、1時間あたり32kcal以上のエネルギーが消費されるとする研究も。これは1日225kcalとなり、放課後にローラースケートやスケートボードで遊ぶことに匹敵する」と分析。学校でのスタンディング・デスク使用が、子どもの運動不足解消に役立つ可能性があると結論づけている。

■12歳で頭打ちの認知能力もアップ!
運動促進や肥満防止だけではない。テキサスA&M大学・公衆衛生学部が行った予備研究では、学校でスタンディング・デスクを使った子どもたちの注意力と集中力が向上し、頭が良くなることを示唆するデータが得られたという。
研究チームは、高い机が設置され、立つことが推奨されている高校の新入生27人を1年間にわたり追跡。秋と春の両学期に「迅速な意思決定」「推論能力」「作業記憶」「認知戦略の修正能力」「認知の柔軟性」を評価する5つのテストを行ったところ、認知スコアが全体で7~14%も向上した。
また、NIRS脳計測装置という脳を画像化する機器を使い、生徒のテスト中の脳の活動を評価すると、生徒の左の前頭前皮質(一般に作業記憶と実行機能に関係する部分といわれる)の活動が増加していることが確認された。
この研究は予備的なものであり、座って学ぶ対照群との比較はされていない。しかし論文は、生徒に確認された認知スコアの向上は、1年間の成長や教育による可能性は低いと主張している。これらのテストのスコアは通常12歳くらいで固定されるため、今回のような短期間の教育がスコアに大きく影響する可能性は低いのだという。

■子どもは椅子に縛り付けない方がいい
子どもの問題行動が減るという報告も多い。ニュージャージー州の公立小学校では、授業中に行く必要もないのにトイレに立ったり、鉛筆を投げたりといった行動に対応しようと、スタンディング・デスクを段階的に導入。その結果「私語をしたり、教室内を歩き回ったりする問題行動が驚くほど減った」(同校教員)という効果が表れた。
さらに2〜4年生の児童約300人を対象に1年にわたって実施した調査によると、スタンディング・デスクを導入した教室では、授業への集中度が12%向上するという結果が出た。児童が教師の話を聞いているかどうか、挙手したり発言したりするかどうかで測ったもので、これでいくと児童が学業に集中できる時間が1時間当たり7分も伸びることになる。
そもそも子どもはエネルギッシュな存在だ。机と椅子に縛り付けられ、動くと叱られてストレスを感じるより、立って身体を動かせる状態で学ぶほうがやる気と集中力が続くようだ。その意味で、スタンディング・デスクによる恩恵は大人よりもずっと大きいのかもしれない。
スタンディング・デスクが子どもたちの健康や学業成績に与える影響についてはさらに研究を進める必要がある。子どもの身体にもメンタルにも良い影響があるとすれば、ぜひ日本でも積極的に取り入れてほしいものだ。
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匿名希望

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子どもの成長をストップさせる言葉

生きがいを感じない、無気力な学生を生み出しているのはお母さんの言葉による影響が多いのかもしれません。物事の判断がつかない子供のころから繰り返し、こうしなさい、ああしなさいと言われ、その通りにしないと怒られるという経験をすると、お母さんの言うとおりにしておけば大丈夫だと思ってしまう。その結果、自分で状況をとらえ、判断し、結論を導くための思考をストップさせてしまう。
(1)自分で考える必要はない
(2)自分で行動する必要はない
(3)何か手違いがあっても「自分は悪くない」と言い切れる
「自分で考えたり行動したりする必要はない、だってママがやってくれるから!」という恐ろしい思考に。
子どもは大人よりも判断に時間がかかって当たり前。自ら考える時間を妨げず、ゆっくり待ってあげることが大事。

リンクより引用

21年間に及ぶ長い教員生活の中で、頑張りすぎのお母さんを何回も見かけました。

完璧をめざして子育てをしているため、心配になるほど疲れをため込んでいます。
ご自分が楽しむべき場面でも、いつも子どもへの不安に追われてしまっているのです。

その意に反して、お子さんはいろいろな場面で失敗を繰り返してしまいます。

そんなお気の毒なお母さんたちは、ふだんから共通の「禁句」を口にしていました…。

■ だからあなたはダメなのよ
この言葉は、禁句の中でも特に禁句というべき言葉です。

子どもの人格を急いで守らなければならない、とても危険な状態です。
この言葉を数学的に表現すると、こうなりますね。

「あなた=ダメ」

まったく身もふたもない完全な人格否定になっています。
これを続けていると、子どもは自己不信のカタマリとして成長します。
「努力してもムダ」という虚無感を積み上げてしまい、すべてにやる気を失うのです。

中学校を卒業するころには無気力人間に育ってしまい、もう取り返しがつきません。
親への恨みを募らせ、会話どころか目も合わせてもらえなくなってしまいます。
また、学業に向き合うことがなくなり、悪くすると不登校にもなりかねません。
私の生徒には、人と会話さえできない高校生に成長した子も複数いたのです。

「親に見放された」と感じ続けていると、自己否定しやすい性格になってしまいます。
「もし自分が、自分の親から同じ発言を繰り返されていたら?」と考えてください。
子どもの人格を否定し続けていないか、時々はふり返りたいものですね。
■ 早くしてよ!
駅や電車・バスの中、レストランなどでよく耳に入ってくる言葉ですね。
この言葉を聞くと、私はその子どもがとてもかわいそうになります。

「早くしてよ!」という親の言葉は、子どもから学習の機会を奪うからです。
自分で状況をとらえ、判断し、結論を導くための思考をストップさせるのです。
これを繰り返していると、自分で物事の判断がつけられない優柔不断な人物となります。
「早くしてよ!」と言われた瞬間の子どもの気持ちを考えてみましょう。
おそらく、こんな思考で頭がいっぱいになってしまっているはずです。

「何だかわからないけど、早くしないとママに嫌われる……」

常にお母さんの顔色をうかがって、嫌われないように動こうとする努力。
自分の「人格」を殻(から)の中に閉じ込めて、「思い」を捨ててしまいます。
お子さんにそんなことを望んでいるママさんはいませんよね。…子どもは大人よりも判断に時間がかかって当たり前。
自分のペースに合わないから、と叱るのは、成長をストップさせる行為です。
どうしても急がせる時には、納得できるように、急ぐ理由をきちんと伝えましょう。
■ ママがやっておくから!
高校教師だった頃、この言葉を何度も耳にする機会がありました。
そのたびに心配が私を襲いました。
先読みのできない、物事を判断しない人物に成長すると思ったからです。

明白な危険や問題点がない限り、「ママがやっておくから!」は成長を抑制します。
この言葉は、次の3点をお子さんに保証することになります。

(1)自分で考える必要はない
(2)自分で行動する必要はない
(3)何か手違いがあっても「自分は悪くない」と言い切れる

ここでちょっと想像してみてください。
お子さんがもし、こんなことを考えているとしたならば?

「自分で考えたり行動したりする必要はない、だってママがやってくれるから!」

この思考のまま成長すると、もっと恐ろしい結末が待っています。
それは、次のような思考回路ができ上がることです。

「悪いのは私じゃない、準備したのは私じゃないから…」

このタイプの思考回路を、世間では、「責任転嫁」と呼んでいますね。
自分が当事者であっても、責任を回避する方法を探すようになってしまうのです。
関わる周囲の人たちから嫌われる原因になってしまうかもしれません。

理想的な結果を求めてしまうママさんの気持ちも、わからなくはありません。
自分が身代わりになって動くのではなく、望ましいゴールをイメージさせることが大切。
あくまでもお子さんが自分で望ましいゴールへの道筋を考えられるようにしましょう。

 

 

今村達哉

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なんで子供をつくれない社会になってしまったのか

少子高齢化って大きな社会問題ですが、こんなにも様々に原因が及んでいるとは思っておりませんでした。

子供をつくるのが怖いと思わせてしまうような社会って一体なんなのでしょう。

自己中心的な考え方が要因であることは、人間に自由を与え甘やかしてしまった末路でもあります。

中でも、「子供は結局他人だから」という考えには、ひどく心が痛みました。

以下、部分抜粋

リンク

■アンケートでは未婚者の85%が「不安」

 まずは週刊SPA!が行った未婚者へのアンケートを紹介しよう(20~40代の未婚男女、各100人にネットで調査)。なんと男性の75%、女性の87%、合計で85%が「子供を持つことに不安がある」と回答したのだ。

■お金の不安

「子供を産むと、今の自分の収入では趣味にまで手が回らなくなるが、趣味をやめるつもりはない」(26歳・男性)

■育児環境についての不安など

「主婦なのに夜遅くまで働かなくてはならず、そんななかで子育ては厳しい。仕事をしながらの子育ては、保育所などの定員の問題上難しい」(23歳・女性)

「どんなにまっすぐ、やさしい子に育てたいと思っても、周りの馬鹿親と躾のされていない子供のせいで、いじめやその他のトラブルに巻き込まれ、親子して疲弊してしまいそう」(45歳・女性)

■パイプカットを考える男性まで…

「まず、子供が障害を持って生まれてくるリスク。金銭的にも精神的にも育てられるのか不安です。次に、子供に嫌われたり、グレてしまうリスク。子供が学校でいじめられないかも心配です。さらに大学までいったのに就職できないリスクもありますよね……」

 この程度の不安ならかわいいものだが、市役所の窓口で働く岡部美咲さん(仮名・26歳)は、実際に待機児童の問題を目の当たりにしたことで危機感が増幅したという。

「子供を持つことに夢が持てなくなりました。毎日のように保育園の入園申込書類を受け取っていますが、そのたびに『入れないと思ってください』と伝えなきゃいけない。実は働く必要もないのに、子供と家に2人きりでいるのが苦痛で、保育園に預けるお母さんも多いんです。そのせいで、本当に保育園を必要としている子供が入れなかったりする。今の社会の子育ては矛盾だらけです」

 保育所入所待機児童数は、4万6620人(平成23年10月)にのぼる。「窓口で『ウチはこんなに大変なの!』と泣いて訴えられることもあるけど、どうにもできないんです」と岡部さんは言う。

 子供をつくる恐怖が高じて、なんとパイプカット手術にまで踏み切ろうとしている猛者もいる。大学生の近藤準さん(仮名・22歳)だ。

「子供より自分の時間やお金が大切です。子供に時間とお金を費やすくらいなら、登山やゲームといった趣味に有意義に使いたい。パイプカットの話をしたら周囲に反対されましたが、なぜ子供が必要なのか理解できません。子供をつくらざるをえない状況が来るかも、と考えるだけで恐怖ですね」

■妻が育児休暇を取ると生活できない

子供の悩みでセックスレスになった時期もあるという岸さん。彼以外にも、司法試験を取り巻く制度的問題に苦しむ人は多い。

「多額の費用がかかるロースクール制度、新司法試験の三振制度、再来年以降はまたどうなるかわからない司法修習の給費制廃止、すべてにおいてリスクが大きすぎます。弁護士になっても、すでに奨学金で何百万と借金を抱えているうえ、このご時世では就職できるかどうかさえわからない。とても子づくりに踏み切ることはできません」

 一方で、秋元舞さん(仮名・28歳・編集者)の夫妻のように「子供は結局他人だから、付き合っていくのが面倒」と考える人もいる。

「もともと、結婚する人も友達も自分で決めればいいと思っていて、血縁関係や仕事上の付き合いに興味がないんです。でも子供って、自分で決められないじゃないですか? 子供は依存性が高いから、生活をコントロールできなくなってしまう。だったら、夫婦で気ままに暮らしたほうがいい」

■「産めばどうにかなる」という上の世代はわかってない

「27歳から36歳のときに結婚していた妻とは、当時流行っていたDINKSの感覚でした。収入も同じくらいで、家事も平等に分担して、互いの生活を楽しもう、という感じ。でも今は楽観的にはなれません。10年前の夫婦2人暮らしと今のそれでは、まったく状況が違います。上の世代の人は『産んじゃえばどうにかなる』と言うけど、経済成長があった時代と今を比べられないですよね」

 子供がいないぶん、愛犬を中心とした生活を送る渡部さんは「犬コミュニティで会う人たちも、子供がいないケースが多いですよ」と言う。

 

 

す太郎

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米国を脅かす「アフルエンザ」、裕福な若者に蔓延

標題の「アフルエンザ」に興味を引かれ、記事を読みました。
一言で言うと「金持ちのろくでなしの子供たち」のことのようです。

リンク

以下引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

米テキサス州の裕福な家庭で育ち、4人を死亡させた飲酒事故を起こしたイーサン・カウチ(当時16)が、裁判で「金持ち病(アフルエンザ:富裕を意味するaffluenceとインフルエンザを掛け合わせた言葉)」のせいだと弁護されたことに、世間は冷ややかな反応を示した。

そうした弁護の大半が正当化されたからだ。

だが、恐ろしい悲劇を起こしたティーンエージャーの責任を最小限にするというばかげた努力のせいで、米国社会が内包する重大な危機についての積み重なる証拠を覆い隠すほど愚かなことはないだろう。裕福な家庭に育った子供による無謀な、時に自己破壊的な問題行動は増加の一途をたどっている。

過剰な薬物乱用や見境のない性交渉といった高いリスクを伴う行動は、ホワイトカラーで高学歴の家庭で占められたコミュニティーに育つ若者の間で急速に増えている。彼らは進学校に通い、課外活動でも多くの機会に恵まれている。親の年収は15万ドル(約1800万円)以上で、全国平均の2倍をはるかに上回る。それなのに、思春期になると問題行動を見せ始め、大学生になるにつれ、それは悪化していく。

具体的にはどのような問題なのか。

第一に、マリフアナやアルコール中毒が挙げられる。都市部の貧困地区で暮らす10代の子供たちより、裕福な家庭の10代の方が、薬物とアルコールの使用頻度が高いことが研究で明らかになっている。大学生は一般的な人よりも、薬物の乱用や依存を経験する可能性が2.5倍という調査結果も出ている。また大学生の半数が、パーティーなどで飲み過ぎたり、非合法もしくは処方された薬を乱用したと報告している。

第二に、犯罪は貧困家庭で育つ若者の問題だと広く考えられているが、郊外の裕福な学生においても同程度の非行が存在することがデータによって示されている。だが、その内容には違いが見られる。裕福な家庭の子供たちの場合は、親や友人から盗みをはたらくといった非行などだが、貧困地区の子供たちは武器の携帯など自衛に関連する行動となっている。

最後に、精神的な問題が挙げられる。深刻なうつ病を発症する割合は、裕福な家庭の若者は全国平均より2─3倍高く、摂食障害や自傷行為も全国平均をはるかに上回っている。

つまり、薬物乱用、非行、心理的障害が、裕福な若者の「代名詞」だと言える。ではなぜそうしたことが起きるのか。

冒頭のイーサン・カウチの場合は、メディアの報道によると、夫婦間の問題で頭がいっぱいな両親によるネグレクト(無視)が大きな原因だったとみられている。

親が制約を設けなかったことが影響していることは間違いない。上位中流層の一部の親は、ひどい不正行為に対してさえ適切な罰を子供に与えていない。富裕層の若者の5人に1人は、もし学校や司法当局から厳重な処罰を警告されても、親が救い出してくれると考えている。

とはいえ、親の甘やかしだけが原因では決してない。

親や仲間以上の原因は、自分は他の人とは違う、トップであらねばならないというプレッシャーにあると考えられる。楽しいだけでサッカーをやるな。一流のプロを目指せ。ただピアノを習うな。リサイタルができるくらいになれ。学校の成績が良いだけで満足するな。同じく恵まれたクラスメートを出し抜き、ハーバード大学やスタンフォード大学に入れ、というようなプレッシャーだ。

引用終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ネグレクトとプレッシャーが子供をダメにするのは、洋の東西を問わず、今も昔も共通のようだ。

 

 

高橋克己

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“共同養育”~赤ちゃんをみんなで育てることは、生物たる人間として自然なこと~

最近の日本のママたちは孤独化しているという。
確かにニュースでも生まれたばかりの幼児でも虐待したり命を奪ったりする事件が多いように感じる。

働き手が社会の歯車と化しているこの社会の中で、本源的な母子の関係性を取り戻すという選択肢を、今のどれだけの若い母親は知っているのだろうか。

リンク
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あるテレビ番組「ママたちが非常事態!?~最新科学で迫るニッポンの子育て~」を見た。

3部構成になっていて、「ママたちはなぜ孤独で不安になるのか」「赤ちゃんはなぜ夜泣きするのか」「ママたちはどうして夫にイライラするのか」をそれぞれ解明する内容だった。

番組では、ママたちがなぜ孤独と不安を抱えてしまうかを、こう説明していた。

カメルーン奥地のバカ族(この名前にツッコミ入れたくなるがスルーしてほしい)はかなり人類の原初的な生活をしている。ものすごく子だくさんで生涯に11人子どもを産んだ女性もいる。人類にもっとも近いチンパンジーの母親は5年に一人しか産んで育てられないが、バカ族は毎年くらいの勢いで出産する。人類はこれを可能にしたので類人猿より繁栄したという。

チンパンジーの母親は、自分が産んだ子どもを単独で育てる。だからたくさん産めない。一方バカ族では、たくさんの子どもたちの育児を母親がひとりで抱え込んだりしない。気軽に部族の他の女性に託す。人の子どもも自分の子どものように育てるのが当たり前な状況だ。「共同養育」と番組では呼んでいた。みんなで面倒を見るから、たくさん産んでも育てられるのだ。

さて女性は妊娠するとエストロゲンというホルモンを分泌して安らかな気持ちになれるが、出産するとこれが急減する。だから不安になりがちになるのだが、共同養育をしていれば不安はなくなる。エストロゲンの減少は、共同養育に母親をうながす仕組みではないか、と番組では推測していた。

一方ニッポンの子育ては核家族で、夫も働きづめで共同養育どころではない。母親一人で子育てを背負い込むので孤独になってしまう。人類はそもそも、共同養育で子育てをするように進化論上できているのに、核家族はその摂理に合っていない。そんな内容だった。

番組のこのメッセージを、ぼくが取材してきたママさんたちの活動と照らし合わせると、なるほどなるほど!と何度もうなずいて納得してしまった。

ぼくが取材した自主保育も、共同保育も、asobi基地も、赤ちゃんプロジェクトも、アズママも、どれもが言わばそれぞれなりの「共同養育」だったのだ。ひとりで抱え込むと大変だし精神衛生もよくないから、みんなで一緒にやりましょうよ。ひとつひとつ形は違うが、要するにそういう活動だった。

それぞれの参加者のママさんたちの顔を思い浮かべると、みんなみんな、輝いて楽しそうな表情をしていた。エストロゲンの減少なんのその。みんなで一緒に子どもたちを育てればこんなに毎日が楽しい。そんな空気に包まれていた。

そこには、育児の不安も孤独もない。悩んだら仲間に話せばいいし、行き詰まったら仲間に少しの時間でも子どもを面倒見てもらえばいい。

番組を見て、それがいかに生物たる人間として自然なことかがわかった。

いまの日本の状況は、核家族が基本になっているので、そこを見直したほうがいいのかもしれない。あるいは、そこを補う仕組みをもっと社会で用意するべきかもしれないのだ。

加えて言うなら、なぜ日本の子育てだけが孤独なのだろう。以下は番組を離れて、ぼくが考えたことだ。

まず男性が子育てに関われていない状況は大きい。これは男性も子育てすべきという社会教育がまったくないのが主因だろう。それを日本の伝統とするのは思い込みだ。江戸時代は侍も含めて男性も子育てに大いに関わったらしい。伝統のせいにするのは大きな誤解だ。

だがそれも含めて大きいのは、そもそも社会が子育てをないがしろにしているせいだと思う。子育ての価値をきちんと認識せず、それより企業社会の経済活動を優先し、それが当然という顔をして、子どもなんて女房どもにまかせておけばいいのだと、社会全体が考えているからだ。そしてどうやら、そんな国は日本だけらしいのだ。

欧米が日本同様少子化に陥りかけたあと、それを克服しつつあるのはなぜだろう。少子化が顕在化した時、これはいかんと社会の仕組みを大きく変えたからだ。これはいかんとパッと思えたのは、子どもが社会にとっていちばん大事なのだという共通認識があったからだろう。

日本では満員電車にベビーカーで乗るべきではないとかいう議論が巻き起こる。それはつまり、人類みんながわかっている「子どもはみんなで育てるもの」ということが日本だけ常識になってないからだ。

人類を繁栄させてきたのは、たくさん子どもを産んでそれをみんなで育てる、というチンパンジーにはない種の文化を持てたからなのに、日本人だけその文化を無くしてしまったのだ。公共の場に赤ちゃんを連れてくるのはいかがなものか。そんなことが大まじめに議論されるのは、日本人が人類としての長所を失ったからなのだ。人口が減るのも当然かもしれない。

子育てを社会の真ん中にすえなければならない。古今東西人類のあらゆる社会は、子育てを中心にすえて物事を考えていたのに日本人だけそうじゃない。そのことをぼくたちは、自覚する時だと思う。

***

 

 

 

二郎板

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