若い女性が子育てを担っていく

僕が北海道の大学に通っていたとき、近くの農場に住み込みバイトをしたことがあります。その農場はとにかくどデカく、北海道でも1、2を争うくらいの広さで、毎年人手が足りなくなる時期に、道内の大学生を対象に住み込みバイトの募集をしていたので、同じ大学の友人達(男女共)と一緒に参加したのです。

 そこでは、男と女で明確に役割分担がなされていて、男は農家のおじさんの指導のもと畑を耕したり、工具の手入れをしたりして、女は働く男達に食事作りや農家の子供の世話という役割が与えられていました。

 その体験を通じて、農業の楽しさや共に生活するということの重要性など多くのことを学んだのですが、その中でも大きな驚きが、子供をあやす女性がとてもいきいきしている姿でした。
 子供たちに見せる顔が、普段学校では見せることがない優しく柔らかな表情で、何かプチお母さん(?)といった感じで農業を後方から支えてくれました。

 決して派手な役割ではなかったと思います。でも、こんなにも充足した彼女らの表情をみて、育児や食事作りなど女性としての役割を担うことが、とても大きな充足体験となることをしみじみと感じると共に、彼女らの女性として強さを感じました。

>構造認識をまだ知らず個人主義でしか子育てを捉えられない多くの人たちが共同保育に向かっていけるためには、「みんなと一緒に実現に向けて行動したら、そっちの方がずっと楽しい」という経験をまず体験してもらえたら、早いのではないだろうか?(97826)

 僕もそう思います。
 都会の核家族で育った今の若者達にとって、生産の場と生殖の場が包括された場を体験することはほとんどありません。

 特に子育てとなると、十分な充足体験を積むことなく突然一人で担うことになります。

 若い女性達が、子育て(共同保育)の一役を担う体験を積むことで、子育て=女性の充足源という本来の役割充足を生み出し、充足できる子育てさらには共同保育への道を切り開くのではないかと思います。

 

deck

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巷でやってる子育てサークルって

当事者同士(子供を持つ母親)が集まってやっているようだけど…
それだけでは何か統合感がないようにも感じるし、確かに子育ての悩み相談は出来るのだろうけど、課題共認ってあるのかな?

 

 

匿名希望

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幼稚園、保育園…

昔の人(おじさんたち)は幼稚園とかに行ってなかったのですか?みんな行ってるものだと思ってました。(義務教育じゃないのは知ってましたが…)

 

匿名希望

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みんなの子という意識

「自分の子」という意識から「みんなの子」という意識への転換と言われても、直にはピンと来なかった。

 自分だけよければという自我が消滅した若い世代において、自分の子だけを特段可愛がり、人の子を蹴落としてでもなんて思う人は居ない。人の子も正直可愛いし、本当に可愛がれる。

 ただ「怒れない」「しかれない」「規範を示せない」

>その中身は当然、学科教育もあるが、実はかなりの部分を、(本来は、家族集団の中で培われていたはずの)規範教育が占めている。(話の聞き方、時間管理、集団生活の仕方など)
>つまり、塾自体が、共同保育の場だと言っても過言ではない。
107708

 子育てとは「規範教育」なんだと思うと、「自分の子」と「みんなの子」という意識の違いは、「みんなで規範を作っていく」という気持ちが持てるかどうかではないかと思った。

 そうなると、共同保育とは、みんなでみんなの子を可愛がる事だけではなく、みんなで子供達に教えていく「規範」を構築していく事であり、確かな規範構築に必要な人々の意識潮流を捉えた構造認識の習得に繋がってくる。

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「開かれた共同体」としての類塾

> a.社会を再生したい(少子化をどうにかしたい等)→共同体企業の再生→企業内保育(105049 企業内保育の在り方) 
106511 「共同保育を事業化するためになにが必要なのか?」 門奈津子 さん)
 
 類塾では、小学生から中学生(6才~15才、コースによっては高校生も)までの生徒を預かって、教育事業を展開している。
 その中身は当然、学科教育もあるが、実はかなりの部分を、(本来は、家族集団の中で培われていたはずの)規範教育が占めている。(話の聞き方、時間管理、集団生活の仕方など)

 つまり、塾自体が、共同保育の場だと言っても過言ではない。

 生徒たちは、様々な学校から、閉鎖的な学級空間を越えて集まり、教室は、ひとつの社会空間だとも言える。

 さらに卒業生は、高校生活を経て大学生になると、アルバイトなどの形で、今度は、教育の需要ではなく、供給者となって、たずさわるようになる。

 大学などを卒業すると、今度は正社員として、より主体的な組織活動にかかわる人材が出てくる。
 あるいは、母親になっている生徒もいるだろう。

 かくして、学習塾という形態を取りながらも、生徒の生涯に、多大な影響を与えつづけている。物心がついて数年後以降、短くない人格形成上重要な期間を、類塾で過ごし、学び、働く。

 このような塾のあり方は、生殖と闘争を包摂した共同体的側面を持っていると同時に、社会に開かれているという点で閉鎖的な共同体の固定的イメージを突破しているような気がする。また、次代の共認社会のひながたそのもの、と言えるかもしれない。
(実際、類塾では、社会問題を真正面に追究していく「本格コース」や、インターネット上での認識形成の場である「類塾ネット」リンクの構築へと進んできた。)

 卒塾生たちは、新しい社会を作っていく人材となる。次代の人的インフラ、いわば統業の担い手を育む共同体―そんな役割が塾には期待されているのではないか、と思う。

 

 

阪本剛

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親の共同体化

共同保育以前の問題として、そもそも親が共同生活できるほど私権意識を捨てられるのか?という問題があるのではないでしょうか。自分たち(=親)は私権を守ったまま子供だけ共同というのはどうなんだろう?

親たち自身が共同生活を模索する2方向からのアプローチについて考えてみました。(他にも別視点のアプローチがあるかもしれませんが)

ひとつは、生殖の場(=家庭)を共同化する視点。コレクティブハウスがこれにあたるようです。共同で食事をする日を設けるなどの運営やルールは、入居者全員で決めるというもの。セキスイハイムのHPリンク
が実施したアンケートによると、住んでみたいと答えた人は70%。期待することの上位は安全性や人間関係、心配なことの上位はプライバシーや人間関係。
人間関係がうまくいけばいいけど、うまくいくかどうかが心配、っていうのは、みんなで共有できる課題がなければうまくいく気がしないということがなんとなくみんな分かってるということだと思います。いいかも、と思う一方で自分たちの自我私権意識を抑制するだけの闘争圧力は存在しないから、ちょっとしたことで人間関係が崩れてしまうような予感がある。

もうひとつは、生産の場(=企業)における共同生活。
すぐに思い浮かぶのは寮や社宅ですが、既存の企業では寮離れがすすんでいるようです。
そもそも若者は序列原理で動く上司のことは仲間とは思えない。
だから生産の場からの共同生活を考えるならば、その会社組織自体を共同体化⇒末端まで闘争圧力を貫徹することが不可欠。そこまでいかないと堅苦しい共同生活のイメージから脱却できない。

家庭(=生殖の場)は闘争圧力をどう形成するか。
企業(=闘争の場)は序列原理をどう突破するか。

っていう課題と向き合うことを抜きにしてはそれぞれ前には進めないということだと思います。

長谷川文

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企業内保育の在り方

少子化対策などの政策レベルで「安心して子育てができる環境」を考えると、直ぐに経済的な支援といった目先の方針に短絡してしまう。企業でも、フランスの真似をして子供一人出産60万円支給などを打ち出している会社もある。

このような一時金支給制度ではなく期待されているのが「企業内保育施設」であるが、あくまで福利厚生の一環として実施されており対外的(広報的)な制度整備が優先され母親たちの実感がなかなか伝わってこない。肝心の運営も、例えばピジョンハーツ(株)などへ委託して形だけ整えているのが実態だと思う。特に大企業ではこのような傾向が強いのではないか。

(参考)ピジョンハーツ
リンク

>女性の多い企業は保育制度を備えるなど、子育ての場づくりを実践してきましたが、女性が安心して働きつづけ、男女関係を再生していくには、その中身を根本的に変えていく必要があると思います。
 例えば、女性社員の子どもの面倒を同じ社内の女性が順番に見ていくというような社内共同保育です。これなら、現業を終えた女性の役割として最適なだけでなく、子どもを預ける側にも「自分の子」というような私有意識も徐々に解消されていくのがイメージできます。(100352

このように、当事者として安心できる具体的な中身が提示されると男も一緒に考えていける。そこで、上記の事例に近そうな事例を探してみました。

~株式会社ビジュアルの「託児室」の事例~
リンク
栃木県の社員34名の広告制作会社(男女比は半々)

>「託児室を設けようと思ったきっかけは?」
まず当社は広告制作会社ですので、仕事柄どうしても夜遅くなりがちです。またワーキングマザー全員が管理職という立場である為、通常の就業時間後にミーティングや打ち合わせ・会議などが入る事が多いのです。そういう時は6時に子供を保育園に迎えに行き、再度子供を連れて会社に戻り、事務の方や他の社員の方に子供を頼んで会議などに出席する、という方法をとっていました。しかし、私も含め2名のワーキングマザーがいて、現在育児休暇中の2名が復帰した後、そしてその後それぞれに2人目・3人目が産まれたら…と考えると、会社の中は子供でいっぱいになってしまう(笑)。それならば、二次保育としてもっと安心できる環境を今のうちに整えてしまうのが得策ではないかという事になったのです。本来業務上は会社に子供がいない方がスムーズですし、子供もゆったり過ごせる環境があるのがベストではないかと思いまして設置を決めました。

>「託児室をどのように利用していますか?」
まだ試行錯誤なのですが、基本的には保育士などはお願いしていません。保育士を置くことによって、必ず毎日利用しなければならないというプレッシャーを社員に与えるのは、良くないと思っています。託児室を利用することがわかった時点で、社員のお母様や身内で保育士の資格を持っている方や、育児経験のある社員が、託児室で子供の面倒を見るというシステムにしています。もともと家族的な雰囲気の会社なので、託児室利用が発生した場合だけ、おばあちゃん感覚で皆さんが協力をしてくれているのです。また実際に母親である社員同士が合鍵を持っており、お互いの子供の世話をするということもあります。家で”おばあちゃん、ちょっとお願いね”と言って仕事をする感覚なのですが、それを会社ぐるみでやっているという感じです。

上記の事例からは、現実を直視しながら、みんなが安心できる子育て環境を自分たちで創っていく姿勢(=実現の意思)を感じます。

橋口健一

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「みんなで育てる」を供給側からの視点で考える

> みんなから出てくるのは、子育て不安と役割不安。つまり、精神破壊が進み社会不安が増大する中で子供を育てることの不安、そして子育てをすることで社会と分断されることの不安。<(98313

女の人と子育てについて話をすると、切実な不安を感じているのが伝わってくる。
そこで「みんなで育てる」という話が出ると「それ、いい!」とすごく反応がいい。

しかし、実際のところ「みんなで育てる」はなかなか現実味を帯びてこない。

>「みんなで育てる」には「みんなの子」という意識が不可欠。昔、それが可能だったのは、生産も婚姻も「みんな課題」で、出産⇒子育ては、その延長にあったから。
現在のように、生産は個人課題(私権課題)に矮小化され、結婚は個人の自由に基づいて行われている状態では、目先の合同保育しかできない。<(同上)

「みんなの子」という意識をもつには、何が必要なのか?何が妨げとなっているのか?
そこをはっきり自覚しなければ、いつまでたっても「みんなで育てる」は実現しない。

ところで、「みんなで育てる」ということを考える場合、多くの人(とりわけこれから自分が子供を産もうとしている女性)は、『自分の子をみんなで育ててもらう』こと、つまり自分は需要側の立場にいることを想定しているように思う。

その場合、最大のポイントは「周りがどこまで協力してくれるか」になる。
別に悪いことではないのだが、みんなで育てる基盤がない現在では、見通しがつけられないのが実際のところで、現実にはなかなか難しそう・・・で止まってしまうだろう。

では、発想を変えてみてはどうだろうか。
『自分の子をみんなで育ててもらう』を『他人の子”を“(自分を含む)みんなで育てる』に変えてみるのだ。

そうすると、自分(=育てる側=供給側)がどこに躊躇するのかが鮮明になり、その躊躇こそが「みんなで育てる」の実現を阻むものなのだ。
そして、おそらく最大の躊躇は“家庭に他人が踏み込むべきではない(=自分の家庭へ他人に踏み込まれたくない)”という個的な自由空間への拘りだろう。

子育てにおいて、「みんなで育てる」の重要性は、もはやほとんどの人が顕在意識で自覚している。
そこから実現への歩を進めるには、供給側の視点に立ち、課題を鮮明にして対峙することが不可欠であると思う。

西村秀彦

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