『目先ではダメ』だから少子化は進む一方

少子化が止まらない。政治家やマスコミは経済的理由が一番の要因だと主張し、補助金(税免除含)で解決しようとするけど、頭が悪い(固い)としか思えない。

事実、豊かになればなるほど少子化は進んでいるし、経済的理由で子供を産まないという人は、周りにはいない。
みんなから出てくるのは、子育て不安と役割不安。つまり、精神破壊が進み社会不安が増大する中で子供を育てることの不安、そして子育てをすることで社会と分断されることの不安。

「昔はよかった、子供はみんなで育てるべき」主張も、共同保育的実践例もあるが、それでは答えになっていない。
「みんなで育てる」には「みんなの子」という意識が不可欠。昔、それが可能だったのは、生産も婚姻も「みんな課題」で、出産⇒子育ては、その延長にあったから。
現在のように、生産は個人課題(私権課題)に矮小化され、結婚は個人の自由に基づいて行われている状態では、目先の合同保育しかできない。
だからこそ少子化は止まらない。

結婚よりも政治よりも、自分のことでなく子供のことだからこそ、『目先ではダメ』を女は無意識に強く自覚していると思う。

西知子

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共同保育の事例:東京都 認証保育所 にんじん②

以下
リンク
より抜粋
>● 外遊びをたくさんします。

 にんじんの大きな特徴は、なんといっても外遊びをたくさんすることです。毎日午前中は、近くの公園などに出かけます。行き先は、子どもたちの希望をききながら、その日の天候や子どもの体調を考慮して決めます。遠いところでは、東大農場、小金井公園、田無市民公園(タコ公園)などにもいきます。春・夏・秋は、かなりワイルドに遊びます。あまりに暑い日、寒い日は児童館や図書館に行くこともあります。また、「積極的に体を動かす」「たくさん歩く」「どろんこ、水遊び」「草、土、虫などとふれあう」ことなどを心がけています。最近は幼児期からTV、ビデオ、ゲームなどで遊びがちですが、幼児期こそ、体を動かして自然とたくさんふれあってほしいと思うからです。

>● 月に1度は遠足に出かけます。

 月に1度は緑地、川、自然を求めて遠くに出かけます。寒いときは劇場へ、暑いときはプールへ、収穫の秋は芋掘りなど、季節に合わせ、子どもの顔ぶれを見て場所を決めます。遠足のときは全員がお弁当持参です。
 
>● 食事やおやつは、安全な素材で手づくりします。

 食材は、なるべく添加物や農薬を使用していない、安全な素材を使ってつくります。「生活クラブ生協」と「生き生き広場」という共同購入会から購入します。食事当番は保育者が交替で手作りします。食事アレルギーなどで食べ物を制限しなくてはならない子どもに対しては、父母とよく話し合い、その子に応じた食事をつくります。乳児の離乳食は、その日の食事のメニューの中から、食べられる物を選んでつくります。母乳を続けたい方は、冷凍母乳を持参してください。

以下、「親から一言」リンク 
より抜粋

>突然の来訪者私と娘に全く臆することなく自然に仲間に入れてくれた子供たちにすっかり魅了され、今年度から娘もにんじんの一員に。最初の1ヶ月は毎朝涙の別れでしたが、他の子供たちと遊ぶ楽しさに少しずつ目覚め、今では迎えに行くと「帰りたくなーい」と逃げていくほどです。子供たちをゆったり且つしっかりと見ていてくださる保育者の方々、分け隔てなく子供たちと声をかけあう保護者の方々、そしてなにより元気いっぱいの子供たち、みんながそろってにんじんの暖かな雰囲気を作っているんだなあと感謝の毎日です。

>夕方迎えに行くと、「かほのママ、おかえり。」「かほ、ママ迎えに来たよ。」という子ども達の声。子ども達は、どの人が誰の親や祖父母かを知っている。子どもってすごい!
 親も、数ヶ月経つと、子ども達の顔と名前が全員一致する(少人数で助かった)。しかも子ども達と遊べば遊ぶほど、子どもたちみんながますます可愛くなる。「絵本読んで!」と膝の上に乗ってこられたら、少々重い子どもでも我慢できるくらい嬉しいし、楽しい。久しぶりに赤ちゃんを抱っこし、その匂いに出会うと心も和む。我が子の成長も嬉しいが、他の子どもの成長も同じくらいとても嬉しい。
 にんじんは保育参加もお勧め。保育者の子どもへの接し方を見ると、自分の育児の参考にもなる。子どもに怒って教えたり、寄り添ったり、気分を変えてみたり、一緒に考えたり…。個性あふれる保育者が、その場面に応じて接する様子は、学ぶことが多い。

>園庭なんかなくたって田無の公園全部が庭。2歳にして小金井公園まで
歩いたと聞いたときはびっくりしましたが、おかげで少しぐらい歩かせても全然平気。ご飯だってにんじんだとなんでも食べるし、年上の子たちを見ていたおかげでトイレも抵抗なくできました。

>ある日、私が「にんじん」に子供を迎えに行くと、保育園の中から声がする。「しゅーへい、そんなことしちゃだめ!。小さい子がまねしたらどうするの!」。うーん、この声は、こみちゃんでもほりちゃん(二人とも保育者)でもないなあ。そうだ、〇〇の母だ。私が中へ入っていくと、めずらしく神妙な顔でしゅーへいが謝っている。ちなみに、しゅーへいは私子供です。「にんじん」では、自分の子も他所の家の子も、「ちゃん」をつけて呼びません(あ、小さい子は別ですけれど)。それから子供を叱る時も、自分の子も他所の家の子も区別しません。保育者と親が一緒になって「にんじん子」を育てている、そんな感じでしょうか。私が「にんじん」を気に入っている一番の理由は、この連帯感とも言うべき大人どおしの繋がりです。(けっして、飲み会が一番ではありません。念のため)

>毎日よく歩き、思い切り外遊びして子供はとても元気。大きい子も小さい子も1つの家族のように暮らし、現代では希薄になりがちな人間関係というものを、にんじんの子供たちはしっかりと学んでいると思います。また、園の運営に親が主体的にかかわっていけるのも大きなメリットです。

>「ゆきちゃん、待てー!」これは大人が子どもを追いかけてるのではありません。追いかけっこで子ども数人が保育者を追いつめている?声です。ここ、にんじんでは、保育をして下さっている大人のことも 「先生」と呼ばずに名前で呼んでいるのです。
 小さいときの数年を何のくったくもなく、心から、身体の芯から、大人も子どもも一緒になって遊び切れる場として最高に気に入っています。

渡邊かお里

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共同保育の事例:東京都 認証保育所 にんじん 

共同保育の事例:東京都 認証保育所 にんじん

以下
リンク
より抜粋

>●共同保育ってなあに?

 にんじんには「園長」や「経営者」がいません。
 にんじんに子どもを預ける親と保育者とがいっしょになってつくっていく、共同保育所です。もともとにんじんは、いまから20数年前に、障害をもつ子どもの親が、「仕事を続けたい」「わが子を地域の子どもといっしょに育てたい」と考えてつくったものです。
 日常的な保育は専従の保育者がにないますが、父母も保育所を運営する一員なのです。保育や経営についても、保育者と父母が率直に意見交換して決めています。
 全体会では、経営面、行事、子ども1人1人の様子はもちろん、保育者の労働条件、保育者の採用・面接、新入児の予定、保育体制、行政との交渉などについても話し合います。
 
>● 共同保育のよいところ

1)保育について、経営について、子育てについて、率直に意見を言えます。
 みんなで話し合って、よくない点は改善していくことができます。
 多くの認可保育園では、園長や経営者の一存でいろんなことが決定され、保護者や新しい保育者が意見を述べても、すぐに変えていくことは難しいのではないでしょうか。
2)にんじんはみんなで子育てする場である、と考えています。
 「最近の子どもは近所の人に怒られた経験がない」といわれます。核家族化に加え、地域のつながりも薄くなり、「子育ては母親がするもの」という風潮が根強いようです。母親も、自分の子供には多大な期待をかけますが、「よその子供」に対する興味はむしろ薄くなっているのではないでしょうか。
 本来、子どもは母親、父親だけでなく地域の大人みんなで育てていくものです。にんじんでは、わが子だけでなく、よその子とも関わりを深めることができます。たとえば、親は、仕事が休みの平日など、希望するときにはいつでも、保育に参加することができます。「好き嫌いが多いんだけど」「まだおむつがとれない」など、子育てに悩みは尽きませんね。にんじんでは、そういった育児の悩みをもつお母さんお父さんがいたら、保育者はもちろん、まわりの親たちが相談に乗ります。(先輩づらして)にんじんの親たちは、わが子の成長を見守るのと同じように、どの子の成長も見守っていきたいと考えています。また、なかなか難しいことですが、悪いことをしたら、どの子に対してもわが子をしかるように注意したいと考えています。
 
>●認証保育所ってなあに?

 国が決めた保育所の設置最低基準を満たした保育園が「認可保育園」。満たしていないのが無認可保育園です。無認可保育園の中にもいろいろありますが、にんじんは、東京都の「認証保育所」です。「認証保育所」とは、国の基準は満たさないけれど、東京都の定めた基準を満たし、東京都と市区町村(にんじんの場合は西東京市)から一定の補助を受けている保育施設のことです。

●保育時間
月~土曜日  8時~18時30分

 延長保育
7時~8時
18時30分~20時

●保育料
≪入園料≫
20,000円       (入園時のみ) 

≪基本保育料≫
40,000円/毎月   3歳児以上 
50,000円/毎月   3歳児未満

≪延長保育料≫
朝 7時~7時30分 1,500円/30分
   7時30分~8時 250円/30分

夕 18時30分~19時  250円/30分
   19時~20時   1,500円/30分

※ 保育料には食費、おやつ代、ミルク代などが含まれています。
※ 一人親家庭あるいは兄弟などの割引もあり

>● にんじんにはカリキュラムがありません。
 
 「○歳○ヵ月だからこれができなくては…」といった保育観に立った働きかけはしません。ひとりひとりの子どもが自然に成長していく力を大切にしています。また、「いまは、みんなが○○をする時間だから」という理由で画一的な行動を押し付けることもありません。あくまで、そのときの子どもたちの自然発生的な遊びを大切にしています。
 
>● にんじんには年齢別クラスがありません。
 
 年齢によるクラス分けや、どの保育者が何歳児を担当する、といったこともありません。24人未満という小人数で、0歳から6歳までが、みんないっしょに遊びます。大きい子が小さい子の世話をしたり、小さい子が大きい子のすることをまねたりして、大家族のように過ごします。
 昔に比べて兄弟の数が少なく、地域での集団遊びが少なくなっている現在、このように異年齢で遊べることは貴重な体験と考えています。ときには、「大きい子」「小さい子」「乳児」といった大まかな分け方で、それぞれの遊びを楽しむこともあります。
 
>● にんじんでは、保育者を先生と呼びません。
 
 一方的に指示する、されるという縦の主従関係を強調する「先生」という呼び方をしません。子どもも保護者も、保育者に対しては個人名で呼ぶのが習慣になっています。

渡邊かお里

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楽しいという体験から

 仕事を続けていくうちに、「企業内保育の制度があったらいいのに・・・」という思いを持つようになった。実際、会社の先輩とも「うちの会社がそれをやってくれれば、出産するのに・・・」と話したこともある。
 その時私達がイメージしていたのは、自分達の会社の一角に育児所を作り、通常は保育士さんにお任せするが仕事の合間には自分の子供や同僚の子供の様子を見に行ったり交流できるような場だった。

 その時は単純な空想のレベルで、「じゃあ保育士さんの費用はどうするの?」といったところまでは全く考えていなかったのだが、谷光さんの投稿を読んで「企業内保育って実現する可能性があるかも知れない」と思った。

 じゃあ、自分達が希望している制度がなんで実現しないの・・・?その「なんで?」を考え詰めていったとき、最後に残った理由は「自分は自分、人は人だから」。
 「自分が仕事をする時間を第一優先して、育児には時間を取られたくない。」「自分の子供なら自分の責任で面倒を見るけど、他人の子供までは責任持てない。」「自分の時間を他人の子供のために割くのは苦痛。」等々の意識。
 これって、明らかに子育てが自分課題でしか捉えられなくなっている状態。これでは「子供も育てたい、社会にも参加したい」という本当に実現したい課題には一向に近づいていかないことも分かっている。「個人主義」をどう塗り替えていくか・・・・自分自身、そこから先に進めなかった。

 今年の春から仲間数人と娘露店を出している。最近はその活動が益々勢いを増し、以前に比べて娘露店主同士の会議や他露店の会議、グッズ作成や答え版の作成など、目まぐるしく忙しくなっている。娘露店を始めた当初なら、「露店は楽しいけど、その準備や打ち合わせのために休みの日まで会社に来るのは苦痛。」というところだったと思う。けれども、より多くのみんなと共認を図りながらより大きな課題を追求していくことの充足体験を積んでいくうちに、気がつけば平日も休日も日付が変わるまで活動していることが全く自然な毎日のスケジュールになっていた。

 そんな意識状態になっていることに気付いてから、改めて投稿を読んでみたら、
>企業内共同保育を実現するには、プライベート重視の意識も捨てないと無理かも。 (29326)
という一文が、すごく自然に頭に入ってきた。
 今までは、休日って「労働者の権利。だから貰うのが当然。」「会社を一歩出たら後は自分の自由な時間なんだから、自分のために使わないと損。」だと時間を捉えていた。けれども、自分も含めたみんなの課題があり、みんなから期待もかけてもらい、それに応えたら充足が感じられることを体験すると、「自分の時間は自分のために使わないと損」なんていう意識はいつの間にか霞んでしまっていた。
 「個人が尊重されるべき」という観念が剥がれ始めたら、「共同保育だって参加したら楽しそう!」という思いで、この投稿を読むようになっていた。

 構造認識をまだ知らず個人主義でしか子育てを捉えられない多くの人たちが共同保育に向かっていけるためには、「みんなと一緒に実現に向けて行動したら、そっちの方がずっと楽しい」という経験をまず体験してもらえたら、早いのではないだろうか?

宮島明子

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子育ての事業化の事例:企業組合オフィス21

子育ての事業化の事例
●企業組合 オフィス21(ツーワン) リンク 

平成6年、福岡県糟屋郡志免町の女性メンバー6名が共同出資し、任意グループとして子育て支援事業を開始。平成9年「企業組合」として法人化。
“みんなで運営していく”経営を通じて、試行錯誤しながら様々な困難を克服し、地域に根ざした子育て支援事業を軌道に乗せてきた組織。

以下、紹介記事からの引用(※抜粋)
リンク 
――――――――――――――――――――――――――――――――
設立のきっかけとなったのは、平成5年、女性の社会的自立の支援を目的として(財)女性労働協会が主催の「保育サービス講座」。「せっかく色々と勉強をしたのだから何か形にしましょう!」と事業化への提案が行なわれ、メンバー6名が一人25万円計150万円を出資し、平成6年7月に任意グループとして活動を開始。3LDKのマンションの一室からのスタートでした。
「起業した当初は知名度も全く無かったので、子供を預けに来てくれる親はなかなか現れずに、売上から必要経費を差し引き、残りの中から報酬を捻出すると、時給に換算すると100円くらい!という時が半年くらいは続きました」
「わたしたちメンバー全員、ビジネスとしては素人でしたから(笑)。私自身、子どもが1歳と子育て真っ最中で、子育てもしたいし、仕事もしたいという気持ちで参加していましたし、メンバーみんな“出来る範囲で出来ることをやろう”と…」

「方向性や具体的な方法など全てにおいて、参加メンバーで話し合って決めてきました。人はただでさえそれぞれ考え方が違うものですが、メンバーが20代から50代と幅広い年齢層で構成されていたこともあり、働くことに対する考え方や、育児に対しての考え方がバラバラで、話がかみ合わないということも多々ありました」

任意団体として3年間、順調に活動を軌道に乗せたのち、経営基盤をしっかりするため法人化を。事業形態として、経営にみんなが参加できる「企業組合」を選択しました。「確かに、設立当初から “みんなで運営していく”ことの難しさは痛切に感じていました。でも、結果として、みんなで運営してきたからこそ、良くしていこうという雰囲気が生まれ、うちならではの温かい保育というものが出来てきたのだと思っています」

「ビジネスとしては素人ですが、子育ての経験はプロ(笑)。“こうなければならない”という枠にはまることなく、自分たちの子育て経験を活かして、アットホームな託児所を作り上げていくことが出来ました」

「日常のすべてがよかった! 子どもの笑顔。そして、来てくださったママたちが、うちを利用する中で、だんだん元気になっていくということがありますと、あ~、お役に立てて良かったなと心の底から思います。自分たちの手で作り上げていっているという実感、人との出会いの素晴らしさを日々体で感じています」
――――――――――――――――――――――――――――――――

現在、子育ての悩みを抱えている人は多い。子育ての見通しが立たず、将来の不安を覚えている人も多い。また、社会参加・仕事と子育ての狭間で葛藤している人も多いはず。
であれば、素人が集まって子育てを共同で事業化してゆくという方向は、ひとつの突破口になると思う。子育ての閉塞を突破し、同時に仲間と共に自らが働く場をつくってゆくことができる。自ら供給者となることが、活力上昇につながる。

また、これまで国や自治体が行ってきた子育て支援政策も根本的な見直しが必要だと感じた。これまでの政策は、保育サービスの充実、児童手当の給付や減税、育児休暇取得の推進といった、いずれも需要発の発想である。これでは子育て不安、社会参加との綱引きは解消されないし、利用者は都合の良い要求主義に陥りがち。行政に求められるのは供給者の育成・支援ではないか。

今、求められているのはまさに、「需要発から供給発へ(79426)」の発想の転換!

岩井裕介

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世界には安心して子供が生める場がある。

しかし一方、いまだ現在の「婚姻制度」に代わる「安心して子供が生める場」は実現していません。
20512

 核家族という単位が確固たる現在、子育てという大きな課題が狭い枠組みの中で完結しているために、上述の場が実現していないのだと思います。そのため、現在子育てにおいて様々な問題が生じています。幼児を授かったばかりの母親(=子育てに精通していない)は、子育てについて無知であると同時に外に開く事が出来ないため、子供の育成方法についての悩みを抱えてしまい、不全状態に陥ってしまいます。

 しかし世界には、「安心して子供が生める」事例があります。それは大学時代に旅行したモロッコのマラケシュです。マラケシュには世界遺産に指定されたジャマエルフナ広場があり、その広場を中心に大きな商店街が形成されています。その商店街で最も興味深く感じられたのは、1階部分が商業だけなく、日常生活と関わる要素が組み込まれている所です。日本の商店街は、みんなが歩く部分は全て商業施設と対面しているのに対し、マラケシュでは、キッチンや洗濯機といった生活機能が路上に設置されているため、生活機能と仕事が路上に存在することになり、住民のアクティビティの中心はそこになります。つまり、路上がみんなの生活の拠点になっています。
 その街における子育てに関して言えば、誰の子かどうかということは関係なく、目の前に泣いたり困っている子供がいたら、その姿を見つけた人がその子の面倒を見ており、みんなが子育ての当事者でした。後進国の(経済的には)モロッコですが、子育てに携わっている人を見ていると、日本より活力に満ち溢れていると思いました。

奥澤健

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共同保育の実現は一対家庭の解体過程でもある

白川郷の子育て事例(24993)が示すとおり、共同保育とは母親(子育ての当事者)同士の共同性があって初めて実現されるのだと思います。

共同保育においては、“自分の子”という意識の払拭はもちろんのこと、お乳のあげ方から衛生面に関する配慮までみんなの共認が要となります。自分の子だけ可愛がられていないとか、あの人のやり方は不衛生だといった不協和音(私的判断や排他性)が出ては共同保育は成り立ちません。

しかも乳児の保育は24時間まったなしです。従来のように昼は保育所に預け、夜は家庭で面倒を見るというパターンではなく、公私の別なく母親達の連携が求められます。つまり母親達のつながりは、これまでの家族以上に親密なものになるはずで、従来の家庭という枠を超え出た共同体としての姿が浮かび上がってきます。

そして、その母親達の連携・共同性が生産(闘争)課題を担った共同体(白川郷の場合は村落共同体。現在なら共同企業体がもっとも近いイメージです)に包摂されるに至って、育児不安や仕事と育児の分断という問題も根本から解決されるのだと思います。

このように考えを進めると、従来のような一対家庭という概念そのものが無意味になってしまうことに気づきます。むしろ一対家庭は共同保育にとっては邪魔な存在(私的判断や排他性の土壌)となるでしょう。

家庭がなくなるなんて!?現在の一対家庭という常識からみれば意外かもしれませんが、すでに育児の可能性を家庭の外(=共同性)に見出そうとしているのは密室家庭で閉塞している当の母親自身です。家庭(=生殖過程)のみが単独で存在することはできないという事実。家庭(生殖)と仕事(闘争)の断絶が密室一対家庭の閉塞をもたらしているという事実認識に基いて、彼女達の向かう先に“共同保育”実現の道筋を開いてゆくことが必要なのだと思います。

阿部和雄

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