思い込みの影に隠された「共生」のニーズ

>真ん中に共同の中庭やテラスを設けて、建物で囲むとか、めちゃ大きな共同の居間、リビングを作るとか、外出や食事をしようと思うと、自然にみんなが顔を合わせると、いう感じですね。(26462 阪本さん)

僕が学生だった頃、山本理顕と言う建築家が共同の庭を囲う集合住宅を設計しました
この住宅は、中心に中庭を囲む形でそれぞれの住戸が配置されていて、中庭には、住戸を介してのみアプローチできる仕掛けになっています
つまりこの中庭は、集合住宅に住む人々の共用の場であり、外部の人は一切入ることのできない「外部に閉ざされた共用空間」なのです

この「外部に閉ざされた共用空間」と言う考えは決して新しいものではなく、古くは中国の伝統家屋「客屋」に見ることが出来ます
(客屋は、中にはを円形に囲む形で住戸が配置され、血の繋がりのある親族がくらしています。外部に対しては強固な壁面によって閉じられています)

この、山本氏設計の住宅は、建築雑誌で取り上げられる一方で、様々な方面から批判を浴びました

「個人主義が進む現代日本の生活体系に合っていない」
「設計者がコミュニケーションを強要している」

ところが、実際にこの集合住宅に住んでいる人の見解は、全く予想外のものでした
住民は積極的に中庭をコミュニティスペースとして利用し、誰が言い出したわけでもないのに、その場でパーティや催しが開かれたりしたのです

それまで、全く面識のなかった家族同士が、住民達だけのパブリックスペースを介して、繋がっていきました

この住宅の”みそ”は、「住民」だけの共用空間を作ったことでしょう
この空間は、外部からの視線や進入をカットすることで、住民の「一体感」を生み出すことに成功しているのです

結局、核家族化や個人主義が浸透している現代日本に、「共生」は合っていない、好まれないと言う考えは、単なる思い込みに過ぎないことが実証されたことになります

この山本氏の住宅に限らず、「共生」を意識する形態の住戸は増えており、また高齢者におけるグループホームの広がりを見ても、人々の意識は、「繋がり」を求めて積極的にこのような住戸を求める傾向にあるようです

一部の専門家の思い込みなどよりも、人々の意識ははるかに進んでおり、自分自身設計に身を置くものとして、このような「思い込み」の影に隠されてしまった意識を汲み取り、鮮明に形にしていくことが必要不可欠だと感じます

西谷文宏

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家族ユニットの実態的結合を目指す

一足飛びに家族関係や制度を変えるのは、抵抗が多いんで、まず実態として、大家族を成立させてしまえばいい、と思うんです。

 近所や友人の夫婦同士で仲良くつきあっている関係を自然に拡大していく、というような方法論が考えられると思います。

 カップル同士、核家族同士を寄せ集めた結合体を作るわけです。

 まあ、これに住宅的なインフラを整備すれば、結構おもしろいことができるかもしれません。

 今の住宅は核家族を基本ユニットとしていますから、子育ての面や近所づきあいの面で、どうも不具合が大きい。お隣さんどうしが自然に隔離されている。マンションは完全にコンクリートの箱ですからね。
 これを、物理的に誰かと顔を合わせないと生きていけないという環境に作り直すんです。

 真ん中に共同の中庭やテラスを設けて、建物で囲むとか、めちゃ大きな共同の居間、リビングを作るとか、外出や食事をしようと思うと、自然にみんなが顔を合わせると、いう感じですね。

 私の家の子供も、誰かの家に遊びに行こうと思うと、友達どうし事前に電話でアポを取ったりして、結構たいへんです。
 遊び場を確保しようと思うと、結局どなたかのお宅におじゃますることになるんですが、やっぱり子供が大勢くるとなれば、おやつの準備もいりますし、大きな声を出して走り回ったりする。どう考えても、親御さん同士、遠慮しちゃいます。

 その辺の気苦労がなく遊ばせることができたら理想的ですね。

阪本剛

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新しい関係。

「共同生活、いっしょに子育て」のお話、とても興味深かったです。

>ちなみに私は結婚したら、親友の家族(3家族)で共同生活をしようと約束しています。(みんなで子育て&生活)←同年代にこの話をすると「それいいかも!」という子結構いるんです。

わたしも、それいいかも!って思います。
子どもにとっては、一組の男女から学ぶことよりも、たくさんの人の中で育まれていくものは、たぶん大きいんだろうなぁと思います。
大人だって、たくさん人がいた方が、きっといろんなことからくる心の負担も軽くなるのだろうと思うし、とにかく楽しいと思います。

狭い関係内(核家族)で生活することが普通で、良い妻、良い夫、良い子どもになることが暗黙のうちに理想化されて、(うまくいく人ももちろんいるんでしょうけど)息が詰まってしまう人が多い現代だけど、そこに留まらず、新しい突破口を自然に導き出して実行している人がいるんだなー、と思いました。

綾木順子

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共同体では、子供はみんなで育てる。

大家族制度で知られる飛騨白川郷からの江馬三枝子氏の考察もおもしろいです。

飛騨白川郷の大家族の家々では、一軒の家の縁側に、エズコ、エズメなどと呼ばれる藁でつくった入れ物が六つも七つも並べてあり、その容器に赤んぼうたちを入れて、母親たちは田畑に出かけた。赤んぼのほうは母親の帰りを待っている。

仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤んぼに乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤んぼ満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。

この話は真の共同生活を確保するためには、女たちの育児の共同性にまで及ばないとならぬことを示唆している。子供が生まれた場合、母と子の強固な紐帯が生まれて、他者との連帯を脅かすようになる。白川郷の場合、それがたくみに抑止されている。
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上記の事例は、生産集団である共同体を基盤とし、その共同体を維持するための規範に基づく行動が残存していたといえます。共同体を構築し、維持するには生産・闘争過程だけを共同にするだけでは不十分で、子を育てるといった生殖過程も包括しなければいけないことをあらわしています。また、誰の子というこだわりなく育てていくことで女性の自我も自然と抑制される、または自我が萌芽しないといったほうがいいかもしれません。

意識が個人に分割された現代でのお互いの助け合いといった母親たちの動機に比べると、集団に立脚している分、女性の強さを感じます。

槇原賢二
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子供の社会性を育てる①

「子供の社会力」 門脇厚司著書 冒険遊びについて記されています。

冒険遊びの場は1943年に、デンマークのコペンハーゲンに造園家ソーレンセンが建築現場で遊ぶ子供の姿を見て、子供の遊び場は本来、子供たちが自由に形を変えることが出来る変幻自在な空間でなければいけないと考え造られた遊び場であった。
日本では、1979年国際児童年世田谷区に羽根木プレイパークを開設その後世田谷プレイパーク駒沢はらっぱプレイパーク烏山プレイパークと広がっている。
遊び場は、見た目には汚いし廃材が散らかり雑然としている、危険もある火を炊く、木に登る。(サポート、悩み相談にのるなどのプレイリーダーが居る。)
子供は床の間に飾るように大事に育てると考える人からは敬遠される場所です。
それでも、何故世田谷の人たちが場を造り維持するのか「我が子をよく育てたい。」「地域の子は地域で。」の熱い真剣な姿勢、コミニュティ意識が強くあり地域をよくし盛り立て志向があれがこそで、そうした大人たちの輪の中に子供たちが取り込まれることこそ子供たちの社会力は育つのだ。

子供の社会力はしつけや教育によって植え付けられるのではなく、地域における大人と子供の共同体験を通して多者との相互行為の過程で育まれるということで、プライバシーの侵害や個人の権利や主義と叫んで協調性を欠いていては、いつまでたっても子供の社会性は育たないと思いす。

浦野てる代
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育児から見た農

私は企業内保育施設、いいと思うな。
お母さん一人で育てるよりよっぽどいいし。
通勤問題は確かに残るけど、可能性は感じる。
ところで、ふと思ったんですが・・・

今『環境・農業』の会議室で、屋上農園の話が出てるんですよ。
で、企業内保育と屋上農園、どっちも併設なら、より一層有効だと思いません?
ここでは農業といっても儲けが第一目的ではないし、農作業は教育にもいいし、お母さんたちも子育てだけに視野が狭まるより成果が見える仕事があった方がいいし。

産休取るにしても、一旦職場を離れると中々戻りにくかったりするじゃない?
なら、産休だけど一人で育てるんじゃなくてみんなで育てる場が職場にあって、育児しながらでも出来る仕事(農業)があって、成果物を会社の人が買ってくれるのなら(←これも、『環境・農業』会議室での、これからの顔の見える取引関係っていう議論と繋がる)、産休中も何らかの信認関係を持ち続けられる。

元々の問題が違っても、協働できる(した方がいい)ことはいっぱいあるって思います。

 
西知子
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Re:誰も囲い込みなんかしたくない

まだまだ,子どもとは少し遠い存在の自分ですが,単純明快(すいません…)で「なるほど、そうか~」って納得してしまいました。

女性の方は自分で大変な痛い思いをして産んだからこそ「自分の」ってつけちゃうのかな?って気もします
子どもだけじゃなく,モノにしたって辛い思いをして手に入れたら「自分だけのモノ」にしたくなって,囲い込んでいくのかと思います。

>「のびのびと大らかに育てたい。自分の子供は。」
じゃなく
>「のびのびと大らかに育って欲しい。子供はみんな」

と,たった一単語の違いが夫婦間でも出てくるようになると,家庭が子どもを育ててくのではなく,地域が子どもを育てていく意識が芽生えていくのかなと思いました。

田中修
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