「つながり」

「新しい男女の充足の場」より「新しい子育ての場」の方が早いかもしれません。その理由は母親にとっての「子育て」は目の前にいる「子供」という「現実」を必ず「対象化」するからだと思います。つまり、子供という存在は決して「無かった事」には出来ない「存在」なのだからですね。

体験談の中でも語られておられるように、「子供」には飯を食べさせなければいけないし、お風呂にもいれてあげなきゃいけない、病気の心配やらなにやらで、専業主婦であってもごまさに「自分」にこだわっていてはとうてい対応出来ないという、正に否定できない「現実」の存在です。

当然、そのように対象化され認識された「現実」に対して、彼女たちはその状況に対応(適応)するために現状の社会システムでは「足りない」ところを補う可能性を求め、既に「行動」し「実現」し始めているのだと思います。

>もうすでに女性達は手探りながらも動いています。私の知りあいのシングルマザーも、実家で姉妹協働で子育てをしています。彼女は「言うほど大変じゃない」と笑います。

>ファミリーサポートの例(21650)や、紹介にあった「育児共同体」の例(12475)が示すように、この先は、たぶん地域を軸にしたお母さん達の「子育て集団」の活動がますます活発化するのではないでしょうか。

そうですね。

全く異論はありません。同感です。おしゃるとおり、これらの事例は現状では足りない「子育て」機能を補うための実現形態であり、可能性のあらわれだと思います。

(その中で、特に注目したいところは「子育て機能」としてのあたらしい「場」の形そのものよりも、姉妹、実家=親、ご近所さん・・・と同じ現実を直視(対象化しえた者同士)の「ネットワーク化」による現実に対する問題解決スタンスですね。
もともと、「核家族」化自体は制度ではありませんから、現実に足りないところの補完を、ギャンブルやアルコール、幼児虐待といった自分や子供を追い込む形ではなく、「自分」の枠を超えて「現実」に取り組み始めているところに「可能性」と「充足」の今後の在り方を観るように思います。)

 
笠原光
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子育て環境と少子化問題

少子化が社会問題となって久しいですが、先日のテレビ番組によれば、1人当り出生数は年々下がっているものの、全国を細かく地域ごとに比較すると、その様子に随分と差があるみたいです。

日本で今もっとも少子化が進んでいるのは、マンションの立ち並ぶ東京都目黒区。1人当り出生数は、1.0以下。逆にもっとも出生数が多いのは、鹿児島県和泊町で、1人当り出生数は3人近い。

なぜそんな差が生まれるのか。仕事を持つお母さんの割合は、ほぼ同じでした。ところが子育てにかかる精神的、経済的な負担が、まったく違っていたのです。

和泊の子は地域ぐるみで育てられています。お母さんが忙しい時など、周り中に子供を預けられる家があるのです。「あなたの子は、私たちの子でもあるんだよ」と近所の人たちが言ってくれるそうです。目黒区のお母さんは、高いお金を払ってベビーシッターを頼んでいました。

子育てに何が必要か、都会で何が失われてしまったのか、改めて教えられた気がしました。

 
矢ヶ崎裕
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Re>成人式

>その中でもある地域の成人式では入り口から式場の中まで子供達が見守っていました(見張ってる?)。さすがにその地域の成人式はどこの地域の式場よりちゃんとしていました。<
>子供の前では大人でいようとするものなんだと思いました。 <

 成人式のニュースには正直うんざりしていました。成人式があんな風に乱れるのは若者だけの問題ではなく、社会全体のあり方の問題だと思うと、悲しくなります。
 その上、親を同伴させるとか、誓約書を書かせるとか、ディズニーランドや豊島園で行うとか、とにかく無事に成人式を行えれば良いという、若者を馬鹿にしているとしか思えないような企画がたくさんありました。

 そんな中で、成人式に地域の子供たちを呼ぶというアイデアは、素敵ですよね。

 人のあり方って、決してその人固有のモノではなく(いい人悪い人がいるわけではなく)、”場”が作ってしまうものだとつくづく思いました。

 地域の子供たちが見守る中で、「成人」を祝って貰った彼らは、きっと社会について、人と人との繋がりについて、色んなことを考えたことでしょう。
 子供たちが成人式を迎える社会は自分たちが作っていかなければならないのですから。

>地域などで、自分達と違う年代の人達と関わる事ができれば、憧れるような大人はあまりいないとは思いますが、今の状況よりは随分違ってくるのではないかと思いました。<

 なかなか手厳しいですね。でも、そんな場があれば、新成人たちが子供たちの目を意識して変わったように、大人の方も変わっていくのでは無いでしょうか。

玉川泰行
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生まれてから、すでに離れていくもの

>親が子ども手を放すタイミングは、学生→社会人になったから
 でもなく、ある程度の年齢になったからというものでは 
 ないように思う。

こどもこども、と子育てに情熱を燃やす母に対して母の友人が
「子供は生まれた瞬間から社会の一員だと思ったほうがいい」
といったんです。この子は社会に出す子だと、いつかは家から
巣立っていくんだと思いながら育てた方がいいって言ったとき
あー、なるほどなと思いました。

偶然その家に生まれただけであって、育てるのは親の責任で有り
育てるからといって、親の所有物ではないんだと。

「将来、子供はどこまで私から離れることが出来るか。
 それが私の育て方が上手くいったかどうかなの。
 いつまでも子供の心配をしたくないし、
 こちらの心配もして欲しくないわ。」

私の上司の言葉です。
これを聞いた時、「あー、私まだ親離れできてないわ。」
と反省しちゃいました。

 
菅亜紀子
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子育てこそお年寄りの宝を生かそう

 >子供に、物でなく伝える宝は、いっぱいあります。
お父さん、お母さんもう一度子供の頃に貰った宝を想い出してみてはどうでしょうか。

 仰る通りですね。伝える宝といえば、おじいちゃん、おばあちゃんから息子、娘つまり父親、母親に子育ての経験の蓄積がほとんど伝わっていないのではないでしょうか。

 上の子は何もわからずに手探りで育ててうまくいかなかったことがあったが、その反省を活かして下の子にはある程度の余裕をもって対応できたとの話はよく耳にします。自閉症は初めての子に多く、下の子はそれに比べて関係能力に長けていると言われるのも親の子育て不安が子供の性格に転写した影響でしょう。

 日常的な衣食住の生活の知恵は、お年寄りから語り継がれていることが結構あるようですが、子育てに関してはお年寄りが自分が経験された、あるいは長年語り継がれてきた宝を持ちながらも、それを伝えることに躊躇されることが多いようです。これは多分今は昔と時代が違うからとか、年寄りがしゃしゃり出て古臭い価値観を押し付けてはと考えておられる為でしょう。

 しかし子育てほど経験や知識に基ずく自信や支えてくれる周囲の人の存在がその成果に如実に表れる課題はありません。

 西さんや川田さんが言われている育児共同体のような場があれば、お年寄りの持たれている、かけがえのない宝が生きて来るでしょう。

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家族を超えて

最近、育児共同体を作ろうというMLに参加しています。
そこで印象に残っている言葉に、『母親たちが義兄弟なら子供も義兄弟』というのがあります。

育児を“自分の課題”ではなく“みんなの共通課題”として捉えれば、義兄弟になれる。一つの家庭で育児が困難ならそれを超えた共同体でみんなでやればいい。

そう考えるのって、すごく普通ですよね。

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みんなでわいわい育てたい

以前同僚の女の子達と、「子供産む時は、みんなで一緒に産みたいよねー」なんて話してました。で、わいわい育てる。生まれちゃってから仲間を探すのもいいけど、仲間で育てれる方法考えるのも、イイかと思います。

森本 亜希子

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