頭のいい子に共通する小学校時代の過ごし方

(以下引用)―――――――――――――――――――――――――――
(リンク

□「学校の図書室の本をほとんど全部読み尽くした」
小学校時代は無限に本を読んでいました。学校の図書室で借りられる本が1日2冊でしたので、毎日2冊借りて、2冊読んで返して、という生活が中学校卒業まで続きました。ジャンルにこだわっていると読む本がなくなってしまうので、とにかく手当たり次第。ですから図書館の本は読みつくしたという感じですね。
本は読み終わらないと寝られない性質。読み始めると、もう少しもう少しと、つい夜更かししてしまい、翌朝はフラフラになってしまうことがよくありましたが。
中学校時代の読書体験は、のちの東大受験にもクイズにも大いに役立ちました。東大の試験では、英語にしても英語の知識以上に文脈を読んだり、要約したりする国語の能力が必要になるんです。
ですから、国語ができれば、国語だけでなく英語も高得点が狙える。たくさん本を読んでいたおかげで読解力がついていたので、英語と国語の両方を得点源にできたのは助かりました。クイズは知識があればあるほどよいので、どんな経験でも役に立ちます。こうした小さい頃の読書経験はもちろん、ゲームやスポーツの知識など、すべてがいまクイズに生きています。

□好きなことでストラテジーが身に付く
水上さんが「無限に本を読んでいた」、伊沢さんが「サッカー選手について調べ尽くした」というように、東大生の多くが子ども時代に、「何かに熱中する体験」を持っています。たとえば、水上さんのように本を読むのが好きな子であれば、最初は簡単な本から手に取るでしょうが、だんだんと本の面白さを知って、次から次へと読みたくなる。読めない漢字や難しい言葉があっても、大人に聞いたり自分で調べたりして、どんどん読んでいくでしょう
拙著『日本一勉強が好きな頭脳 東大脳の育て方』でも詳しく解説していますが、自分の好奇心の赴くままに好きなことに熱中しているうちに、わからないことは誰に聞けばいいのか、どうやって調べればいいのかというストラテジー(戦略)が身に付きます。これがのちの勉強や仕事に大いに役立つのです。
また、さまざまな好奇心によって楽しいと感じることが多ければ多いほど、神経伝達物質のひとつであるドーパミンが放出されて、脳を大いに刺激します。私が所属する東北大学加齢医学研究所では、子どもからお年寄りまで多くの脳画像を所有しており、多くの研究成果が発表されています。
そもそも好きでやっているわけですから、本人は楽しくて仕方ない。水上さんもただ本が好きだから読んでいただけで、国語の勉強をしているという意識はまったくなかったのでしょう。
では子どもが熱中しているときに親がテレビやスマホを眺めているだけでいいのか、というとそうではありません。親も子どもが興味を持ったことにいっしょに楽しむ。あるいはもっと興味を追求できるように環境をととのえる。親自身の努力も大切です。
たとえば伊沢さんの親のように子どもが電車に興味を持ったら、実際に電車を見せに連れていく、サッカーに興味を持ったら、本物のサッカーの試合をいっしょに見に行く。バーチャルとリアルをつなぐ作業を一生懸命やった家庭の子というのは、ぐんぐん伸びていくと教育現場でもよく言われています。東大生の家庭について調べてみると、このとおりのことをされていた親が本当に多いです。
脳にはまねすることに特化している“ミラーニューロン”という領域があります。言語もスポーツもすべては模倣です。子どもというのはまねがすべてですから、大人が楽しそうにやっていると、子どももまねして楽しそうにやります。ですから、子どもに何かをやらせたいと思ったら、まずは親自身が楽しむことが大切なのです。
2人の娘さんがともに東大に進学されたあるご家庭の話です。その家庭では、お母さんがとても勉強家で、いつもリビングで語学や資格試験の勉強をしていたそう。60代になるいまも、資格を更新するために勉強されているとか。楽しんで勉強している母親の姿を、子どもたちはいつも見ていたのでしょう。

□田舎の子には街の刺激、都会の子は自然に学ぶ
『日本一勉強が好きな頭脳 東大脳の育て方』(主婦の友社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
「田舎と都会、どっちで子育てするのがいいですか?」これもよく聞かれる質問ですが、どちらにもいい面と悪い面があるので、何とも言えません。
ただ“自然は最高の教師”といわれるように、自然は奥深く、学ぶことが無数にありますから、都会住まいで周りに自然がないという家庭は、ぜひ休日には意識的に自然の中に連れ出しましょう。自然の中で遊ぶと運動神経も伸びます。
逆に、知的な刺激に乏しい地方住まいなら、この反対と考えましょう。休日には街に出て美術館や博物館などで本物をいろいろと見せるとよいでしょう。バーチャルな「知識」と「リアル」をそれぞれの環境で積ませることで、子どもの脳は飛躍的に成長していきます。

 

 

 

穴瀬博一

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貧乏な家の子どもがお金持ちになれない本当の理由と「思考格差」の正体①

子育ても教育も所得や生活環境ではなく周りの大人(親)の思考によって変わってくる。まず変わるべきは親が固定観念から脱することだなと思いました。

リンクより
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「親の経済格差⇒子の教育格差⇒連鎖する貧困」はどこまで本当か
■相関関係はあっても、因果関係はない
雑誌やネットのコラムなどで、「親の所得格差が子の教育格差を生み、貧困が連鎖する」という記事がたびたび取り上げられます。
確かに相関関係はあると思いますが、私は直接的な因果関係はないと考えています。
昨今ではすでに、高等教育を受ければいい会社に就職もできて安泰という図式は崩れつつありますし、奨学金制度があるので大学に進学できないというケースは稀でしょう(私自身、高校・大学には奨学金で進学し、15年かけて完済しました)。
貧困が連鎖する本当の原因は、親の子育てではないかと私は考えます。
それは、低所得の親の思考パターンと行動パターンが子に伝わるからです。
■低所得の親が抱える「本当の問題」とは
そもそも、なぜ親は低所得なのか。それはたとえば、難しい課題に取り組もうとしない、新しい仕事に挑戦しようとしない、困難にもくじけず耐えようとしない、逆境を乗り越えて目標を達成しようとしない、勉強して能力を高めてより成長しようという意欲が低いために起こることではないでしょうか。
つまり、親自身が勉強することの価値を理解していないのです。親自身が「学ぶこと、努力することによってのみ自分を成長させることができるのだ」と認識していなければ、それを子どもに伝えることはできません。
たとえば「勉強しろ」「早く宿題済ませろ」などというのは教育でも何でもなく、単なる強制です。
大人でも会社で上司から「仕事しろ」「さっさと終わらせろ」などと言われたら気分は良くないでしょう。
そして、そういうマインドは当然、日常生活の親の振る舞い、そして子供にかける言葉にも違いを生じさせます。
「自分にはムリ」と思っている親の口から出る言葉は、「お前にはムリ」ではないでしょうか。
■貧困は「親の思考と行動」によって連鎖する
じっくり考えるのを面倒くさがる親は、子どもが「それどういうこと?」と聞いてきても「知らない」「どうでもいいよ」で終わってしまうかもしれません。
家族でテレビを見ていて、事故のニュースが流れた時に発するセリフも「怖いねえ」くらい。
そんな親の言葉、態度、何かに取り組むときの姿勢を見ていれば、子どもも当然それを見習います。そうして親と同じような思考パターン、行動パターンが形成されます。
虐待されて育った子どもが親になったとき、また子に虐待するというケースがあるのもそのためで、子にどう接していいかわからない親に育てられれば、本人もやはり自分の子にどう接していいかわからず、結局親と同じことをしてしまいやすいのです。
つまり、親自身が低学歴・低所得となるような思考と行動をしているわけで、それが子どもに伝わっていることが「連鎖する貧困」の原因と言えるのです。
■高所得な親の「思考と行動」は何が違う?
反対に、高所得な親の思考と行動はどうでしょうか。
彼らは積極的に学習する姿勢を持ち、難しい問題に果敢に挑戦したり、スキルアップのために日々研鑽してきたからこそ高所得になったと考えられます。
そういう親は、学ぶことの意義を認識していますから、子どもにもそのように伝えます。親自身も積極的に学び、努力する姿勢を持っていますから、子もそんな親の姿を見て育ちます。
親自身が「努力が大切だ」と思っているから、「やってみろよ。失敗したってまた頑張ればいいんだから」と子にも挑戦することの大切さを教えます。「お前にはムリ」ではなく「お前ならできる」というところでしょうか。
子どもが「それどういうこと?」と聞いてきたら、「それはね、これこれこういうことで、こういう理由があるからなんだよ」と答えるか、わからなければ「なんでだろうね、一緒に調べてみようか」と答えるでしょう。
事故のニュースをテレビで見たら「こういう事故に遭わないようにするには、どう行動したらいいかな?」というセリフを発するかもしれません。
そういう親の態度に毎日毎日、何年間も接して育てば、子どもも親と同じような思考パターンや行動パターンを受け継いでいきます。
そのため、「勉強しろ」などと直接言わなくても、日々の会話の中から、親の論理的な考え方や勉強することの大切さは子に伝わるものです。
だからなのか、高学歴の親の子どももまた高学歴になりやすいですし、東大に合格した学生のほとんどは、子どものころから一度も親に「勉強しろ」と言われたことがないそうです。
■子どもの人生を左右する「親の思考格差」
さらに、高所得の親は部下や組織をマネジメントしている立場である人が多いと考えられますから、「どうすれば人は動くか?やる気になるか?」という人間のモチベーションに配慮する姿勢を持っているでしょうそういうスキルを発動すれば、子どもがやる気になるように促すこともできると言えます。
逆に低所得者は末端従業員であることが多く、人のモチベーションがどうこうより自分が不平不満を言っている立場でしょうから、人間心理に疎い可能性があります。それはもしかしたら、子どもの学習意欲や進学意欲の適切な形成を損なっているかもしれません。
ただしこれは高所得家庭でも起こり得ることですが、たとえば親があれこれ先回りしすぎたり、支配的に押し付けるような子育てをすれば、子は自分の頭で考える機会を奪われ、それが子の貧困化につがることがあります。
後半はうがった見方かもしれませんが、いずれにせよ貧困の連鎖を生んでいるのは、親の所得格差ではなく、それに伴う教育格差でもなく、「親の思考格差」なのです(なお、結果的には同じなので、冒頭でも直接的な因果関係はないと表現したわけ

②に続く

 

 

 

 

秀凜

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貧乏な家の子どもがお金持ちになれない本当の理由と「思考格差」の正体②

①の続きです
リンク

■「鳶が鷹を生む」現象
そしてもちろん、どの世界にも例外はあり、貧困世帯からでも偉大な人物が出てくることもあります。
親を反面教師にして努力し大成した人もいれば、逆に立派過ぎる親に反発してドロップアウトする人もいますが、それらはほんの一握り。珍しいからこそ、そうした人がテレビや書籍で取り上げられるのです。
では、そんな「一握り」に子どもが育つ条件とは何でしょうか?
■子どもの論理的思考を鍛えよ
「ではどうすればいいのか?」ですが、私のひとつの提案は、子どもの義務教育を変えることです。
本来は親がすべきことであっても、強制することはできません。そこで親ができないなら、学校教育を変えるしかないというわけです。
具体的には、まず理系科目のウエイトを高くすることが挙げられます。理系科目は論理的思考の基礎となるからです。
私が知る限り、低所得者の多くは数学や物理などの理系科目が苦手です(もちろん全員ということではありません)。
それはつまり、論理的思考が苦手であることを意味します。だから感情や思いつきで判断したり、自分の行動がどういう結果を招くのかという想像もできない。
ただ、現状でも授業数はいっぱいなのに、今後英語やプログラミングの授業も入ってくるとなると、これ以上コマ数を増やすのも難しそうですが……。
■子どもが「自分で考える」習慣の大切さ
もうひとつは、学校の中で、自分で考える習慣をつけるような授業の頻度を増やすこと。
現在の学校教育の多くは、教師が知識を伝え、児童生徒は受け取るのみであり、そこに「自分の頭で考える」「自分の意見・主張を持つ」「自分の考えを発表し、他者との違いを認め合う」という場はほとんどありません。また、テストでは問いを与えられ、最初から答えが存在していることばかりですから、自ら問いを発する、つまり課題を発見する機会にも乏しい。
国語にいたっては、たとえば小説の問題でも「こういうふうに捉えなさい」と感じ方まで強制されます。むろん正確に読む書く話す能力は重要なので、それを否定するわけではありません。
そういう基本は押さえつつ、でも「そういう意見や考えもあっていい」という多様性が認められる場を盛り込もうという意味です。
そもそも低所得者は、現状に疑問を持つことが少なく、一方で「こうすべき」「こうしてはいけない」という強固な固定観念に縛られ、自由な発想ができません。
言われたことしかできないとか、標準化された仕事はできるけど創意工夫して変えることが苦手な人は、思い込みが激しく多様性を認めない傾向があります。そのような柔軟性がないため、環境変化にも適応できず、所得は下がっていきます。
そしてそれを「しつけ」と称して子にも教えている可能性があり、だから親のそういう根拠のない常識や思い込みから解放させ、自由に発想させる場が必要です。
それにはたとえば「あなたはどう考えるの?」「僕はこう思う」「私はこう考える」という一人一人の個性を発揮させる授業、たとえば討論やディベート、グループ研究・発表会などが考えられます。
ただ、これも前述と同様、現状の授業枠の中でそこまでの時間が取れるかどうか難しいですが……。
■変わるべきは親自身
「自分は貧しかったから、子どもには良い教育を与えてあげたい」という親の気持ちは当然だとしても、やはり変わらなければならないのは親自身ではないか。
親が変われば子に接する態度が変わり、子も親の影響を受けて変わるはず。
そして親の手を借りずとも「大学ではなく専門学校に行く」とか「日本の大学ではなく海外の大学に行く。そのため給付型のスカラシップが取れるよう頑張る」などと、自己責任において進路を決めるようになるかもしれません。
■子どもの人生に、本当に大切なこと
「親の経済力によって大学進学率に差がつくのはおかしい」「親が貧しく進学させてあげられないから教育格差が生まれ、子も貧しくなる」と考える人は、奨学金の無償化や、公的な教育投資を増やすよう働きかけています。
しかしそれは「大学に行けばすべて解決する」と言っているようなもので、本質とは言えません。
むろん、義務教育をちょっと変えるくらいで解決できるテーマではないし、集団の中ではどうしても差ができてきます。だから完全に格差をなくすことは不可能。
とはいえ大学以前に、子どもが自分の頭でしっかり考えるような教育をすれば、「雇われるため」の進学だけではなく、たとえば高校生で起業家デビューとか、多様な人生の展開ができるようになる人が増えるのではないでしょうか。
そういえば、お金に関する知識は学校教育では習わないですよね。生きる上ではとっても大切なことなのに。同様に、子育てに関する知識も学校では習わない。論理的な思考方法やコミュニケーション技術も習わない。
ということは、学校では教わらないことの方が、実は人生においては重要なのかもしれません。
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秀凜

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英国と日本で育児への社会的ケアはこんなに違う

特に都心部ではちょっとしたことで冷たい視線を感じる感覚。もっと赤ちゃんなんかは暖かく見守ってあげて欲しい。

リンク

イギリス・ロンドンで子育ての真っ最中の宇多田が語ったのは、東京での子育てについて。宇多田は友人などから聞く話をもとに「東京って、なんて子育てしにくそうなんだろうとビックリしてます」と話し、その理由をこう述べたからだ。
「外で赤ちゃんが泣いちゃったらすごく嫌な顔をされるとか、ベビーカー持って外に行って乗り物に乗ると、周りがまったく協力してくれない上に、『なんだよ、こんな時間に』みたいな視線を投げかけられたり、実際に何か嫌なことを言われたり、っていう体験談を結構聞くんですよね」
 宇多田は「日本で子育てをしたことがないので、私の認識が間違っている可能性もあるんですけど」と留保していたが、これは現実に起こっている話だ。ネット上では電車やバスの車内でベビーカーが邪魔になっているとバッシングが起こり、保育園の新設には“騒音問題”として反対運動が繰り広げられる。子育て以前に、妊娠を理由に女性を解雇するなどのマタニティハラスメントだって表面化している。そうした日本の環境に「子育てしにくそう」と語った宇多田に対しては、ネット上で共感の声が広がった。
 他方、宇多田は、ロンドンの状況をこう話した。
「ロンドンでいちばんいいなと思ったのが、お母さんと赤ちゃんがそこらじゅうにいるんですよ。公園だろうがレストランだろがお店だろうが。授乳するにしてもレストランで全然するんですよ。くだけたカフェとかじゃなくても、そこそこちゃんとしたレストランでも嫌な顔、何もされないですし」
 レストランで授乳……!? と驚いた人もいるかもしれないが、これはイギリスでは当然のこと。イギリスに移住した著者が子育てについて綴った『子どもはイギリスで育てたい!7つの理由』(浅見実花/祥伝社)によると、イギリスでは2010年に改正された平等法によって年齢や障がい、性別、性的指向などさまざまな差別を禁じているが、そのなかで〈公共の場で母乳を与える母親を差別することさえ禁止している〉という。日本では人目のつく場での授乳は「非常識」「マナー違反」とされているが、イギリスではそうした意見が「差別」となるのだ。

当然、ベビーカーがバッシング対象になることもない。同書では、宇多田が語っていたように、〈公園はもちろん、スーパーでも、飲食店やその他のお店でも、病院でも、公共交通機関でも、たいていの場所であれば、親たちはベビーカーでガンガン出かけて行く〉といい、〈電車やバスの車内でも、ベビーカーは邪魔者扱いされるわけではない。(中略)公共交通機関があらゆる人に利用されるのは、彼らにとって自明のことだからである〉と書かれている。
 しかも、親の自己責任や他人事として見て見ぬふりをされることもない。〈ベビーカーを押して駅の階段を上り下りする女性には、周囲から救いの手が差しのべられる。ベビーカーが立ち往生していれば、10秒と待たずして、見ず知らずの人の腕が伸びてくるのである〉というからだ。これも日本の光景とは大きく違う点だろう。
〈私にとって、東京で赤ちゃんを育てることは、なかなかオオゴトであった。産後は、赤ちゃんと一緒に室内で過ごすという風習に従い、孤立しがちであった。飲食店を利用するには、「子連れOK」という条件のお店を検索し、電車やバスでの移動中は、周りに迷惑をかけないように気を遣ってばかりいた。ところが、ロンドンでは、赤ちゃん連れはごくありふれた存在として、たいていの場所で、普通に受け入れられる。それが当たり前だという社会の認識や対応がある〉
 そして、赤ちゃんだけではなく母親の権利も同じように大事にされているのがイギリスだ。母親が犠牲を払って子育てに取り組むことが日本では美徳のように語られるが、イギリスでは何よりも“母親の意思”が尊重される。しかも、これは国をあげての提唱だ。イギリスの保健省が発行する冊子「妊娠の手引き」には、このように書かれていると著者はいう。
〈とにかく寝ること、寝るために家事はやめること、夜起きるのを分担すること、パートナーとリラックスすること、完璧な親はいないと認めること、助けを受け入れること。また、母親が外の世界とつながることの重要性も書かれている。人と会って自分の状況を話すこと、仕事に復帰すること〉
 この保健省の冊子では「あなた自身の生活」「あなた自身の人生」といった章が設けられているという。日本では子をもつと「母親」であることを第一に要求されるが、それとは違って「自分の生活、人生」を大事にしようと冊子は謳う。安倍政権が「女は30代前半までに産め」などと啓蒙するために発行しようとしていた「女性手帳」とは雲泥の差だ。
 さらに、イギリスの取り組みにおいて忘れてはいけないのが、「シュアスタート」という政策だ。労働党政権がはじめたこの政策は、「すべての子どもたちが人生の最善のスタートを切れる環境を提供する」ためにスタートした取り組みで、貧困の連鎖を食い止める狙いで貧困地域の子どもと親を対象に初期教育や健康管理、援助などを実施した。イギリスはこのプロジェクトに約870億円も投入したが、それは格差を是正することが経済力の強化になるからだ。
 かたや日本では子どもの6人に1人が貧困状態にあり、日本財団のレポートでもこのまま子どもの貧困を放置すると社会的損失は42兆9000億円にものぼると公表されているが、安倍首相が子どもの貧困対策として昨年行ったのは「募金をつのる」という、完全に他人任せのものだった。

宇多田は、番組内で子どもに冷たいこの国の印象を、このように語っていた。
「赤ちゃんが生まれて国が成り立っていくのに、その赤ちゃんが将来、自分の年金を払う人になってくれるのに、なんでそんなちょっと泣いているぐらいで嫌な気持ちになるんだろうとか、すごく不思議です」
 安倍首相は憲法改正によって「家族は、互いに助け合わなければならない」という義務を課そうとしているが、これは子育てにおいても家族にその責任を押し付けるものだ。女には「子を産め」「もっと働け」と言うだけで、賃金格差などの性差別の解消や保育サービスなどの整備がおざなりなのは、政権が女や子どもを軽んじているとしか感じられない。社会が子どもに冷たいのは、そのじつ、この国の政治の態度でもあるのだ。

 

長曾我部幸隆

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「無理だったら逃げていい」という言葉は、子供を「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にした。

( リンク )より引用

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しんざき長男、10歳。小学4年生。将来は電車の運転手になることを固く決意している、清く正しい電車少年です。

先日、長男の夏休みの宿題が終わりました。全て終わったのは8/24でした。

なんか長男が通ってる小学校は25日から始まるそうで、「8/31に泣きながら宿題追い上げ」という風物詩も最近はあまり聞かない言葉になりつつあるんですかね?

なんにせよ、長男にとっては8/24が宿題のタイムリミット、デッドラインだった訳です。

実を言いますと、今年の長男の夏休みの宿題は、ある意味で破綻プロジェクトでした。

以前、こんな記事を書きました。

夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話

2年前の話です。この年の夏休み、私は長男に初めて「タスクを細かく切り分ける」「計画を立てる」「計画を見直しながら進める」というノウハウを伝えて、そこにITを絡めてみました。

計画立ても、長男に色々ヒアリングしつつ、基本的には私がやってみせました。

で、去年の夏休みは、計画立てから長男が自分でやりました。

途中でちょこちょこ様子は見て、無理がありそうな部分があったら見直した方がいいよと助言はしつつも、そもそも宿題の絶対量がそんなに多くなかったこともあり、危なげなく宿題は完遂されました。

長男にとっては、「自分で計画を立てて、それを運営する」という、人生初の成功体験です。

で、今年は初めから「ぼくが全部やるから!」と言いましたので、私はほぼ干渉しないことにしたのです。

長男は、一昨年、昨年と覚えたノウハウそのままに、「この日は〇〇と××をやる!」「この日は△△だけ!」といった計画を立てました。手慣れたものです。

ただ、今年の計画には一つ大きな落とし穴があり、それに長男は気づいていませんでした。というか、気づいてはいましたが、それ程重要視はしていませんでした。

長男は今年から塾に通い始めており、この夏も夏季講習に行く予定だったのです。

塾で出される課題もそれなりの分量ある筈で、一日に出来るタスク量、学校の宿題に割ける時間はその分目減りすることが予想されました。

私や奥様も一応その点気にして、「塾の課題大変じゃない?」とか「課題の分量も計画に入れた方がいいんじゃない?」と言ってはみたんですが、長男は「大丈夫だよー、学校の宿題とは別の時間にやるから」とだいぶ軽く見ている感じです。

干渉しないと決めた手前、私もそれ以上は言いませんでした。

ある程度予想していた通り、夏休みも中盤にさしかかる頃、長男の宿題進捗にはかなりの遅れが出ていました。初めての夏期講習は、やっぱり長男には負荷が大きかったようです。リスクの顕在化です。

旅行に行ったり、スプラトゥーン2を遊んだり、祖父祖母の家に遊びにいっていたこともあり、ずるずると進捗遅れが出てしまった長男の宿題は、「終わるかなあ…?」と長男が泣きべそをかくくらいの量になってしまったようでした。

ここで、実は一つ、私は長男に謝らないといけないなーと思っていることがあります。

私は昔から長男に、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と教えています。部活でもそうですし、塾でもそうですし、習い事でもそうです。

例えばいじめが発生した時とか。長男の心に、何かが重くのしかかってきた時とか。それで潰れてしまうくらいなら、逃げて別の選択肢を探した方がずっと良い。

私はそう思っているし、人生には時として「逃げる」という選択肢を選ぶことも重要だ、とも思っています。だから、長男にそう伝えてきました。

ただ、これについては賛否あるだろうなーとは思っていて。「ちょっと大変なだけでも逃げちゃう子に育つんじゃない?」と、私は昔指摘されたことがあります。

そんなことない、「最後の逃げ道」を心に抱えておくことは、むしろ心の弾力を保つ為に役立つ筈だ。そう思っていながらも、私も心のどこかで、長男に「逃げ癖」がついてしまうことを心配していた。それは正直否定出来ないんです。

ところが長男は、今回、「夏休みの宿題大ピンチ」という、いわば「プチ窮地」から逃げませんでした。

計画が破たんしてしまったことは冷静に認めて、その上で「逃げずに頑張る」という道を選びました。親に頼って手伝ってもらうという選択すら、言い出すらもしませんでした。

そして、実際に今回の窮地は、「逃げずに頑張る」という選択で打倒することが出来たのです。

24日の夕方頃、仕事中にかかってきた電話に出ると、長男は喜色満面の声で「宿題終わったーーーー!」と叫びました。

私は一言、「よくやったな」と言いました。

「逃げずに頑張る」という選択は、良し悪しです。例えば社会に出て、万一いわゆるブラック企業に勤めてしまった時、「逃げずに頑張る」という選択をとってしまったが故に、心を病んでしまったり、時には命さえ失ってしまったりといったことだってあるでしょう。

だから、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」ということを心に刻んでおくことは、多分重要なことだと思うんです。

けれど一方で、私は「すぐ逃げる子になってしまうかも」という、心のどこかにあった懸念を捨てることにしました。

長男は、「逃げずに頑張る」こともちゃんと選べる子でした。「まだ、これは無理じゃない」という判断の元、困難に正面から立ち向かうことも出来る子でした。

「無理だったら逃げていい」という言葉は、長男を「逃げる子」にすることはなく、むしろ「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にしてくれていた。そう思っています。

 

 

 

 

匿名希望

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「母親に認められている」と感じている子どもは、何度でも挑戦する

■「母親に認めてもらっている」と実感している子どもは、自分の力を信じて、何度でも挑戦する

「人生の節目節目で体験した危機的な状況に際して、母ほど自分を認め、信じてくれた人はいない。それなくしては、決して発明家としてやっていけなかった気がする。母の記憶は神の祝福に等しいものである」(『エジソンの言葉 ヒラメキのつくりかた』(浜田和幸/大和書房より引用)

この言葉は、20世紀最大の発明家、トーマス・エジソンの言葉です。エジソンにとって、母親の存在、そして、母親がしてくれたことは、とても大きなことだったようです。

では、エジソンの母親がしてくれたことは、どんなことだったのでしょうか。私の考えでは、次の「3つ」だったと思っています。

【1】誰がなんと言おうと、いつもエジソンが素晴らしい力を持っていると信じたこと
【2】そして、それを言葉や態度でエジソンに伝え続けたこと
【3】エジソンが興味を持った分野を尊重して、十分にやらせてあげたこと

エジソンは、学校の先生からも、父親からも、友だちからも、「ダメではないか、頭がおかしいのではないか」「変な子だ」と思われていたようです。

それでもエジソンが、「自分はダメだ」とも「自分は変だ」とも思い込まずにすんだのは、どんなときも息子の行動を理解し、持っている力を信じ、あたたかく励まし続けた母親のおかげだったのでしょう。

といっても、エジソンの母親は、エジソンの中に「発明家としての才能」を見い出していたから、「あなたには素晴らしい力がある」と励ましたのではないと思います。

また、ほかの子どもと比較をした結果として「あなたは優れている」と言ったのでもないと思います。

そういうことではなくて、「どんな子どもでも、もともと、素晴らしい力を持っている」というのが、子どもを見るときの大前提だったと思います。

比較の結果として、「ほかより優れているから素晴らしい」と認められたり、「これができたら、あなたはすごい」という条件付きでしか認めてもらっていない子どもは、誰かに追い抜かれたり、うまくできなかったときに「ああ、自分はダメなんだ。力がないんだ」と思い込んでしまうでしょう。

そうではなくて、「できても、できなくても、人に勝っても負けても、そんなことに関係なく、あなたはもともと素晴らしい力を持っている」というメッセージを子どもに伝えてあげる……。「母親に認めてもらっている」と実感している子どもは、たとえうまくいかないことがあっても、自分の力を信じて、何度でも挑戦しようとしてくれるのではないでしょうか。

自分に「自信」を持っていると、人生を簡単にあきらめたり投げ出したりしない人間に育っていくようです。

引用:リンク

 

 

 

 

中 竜馬

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褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究)

子供の能力ではなく、行動について褒めるのが良いようです。

 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究) : カラパイア(リンクより転載)

 「頭がいいね」とか「賢い子だ」と褒められて育った子供は、困難に直面したときにすぐ諦めてしまったり、ズルをしたりすることが多くなるそうだ。

 子供が3歳くらいになると、「とても頭がいいね」と言われたときと、「とても上手だね」と言われたときでは、行動に違いが見られるという。

■行動ではなく能力を褒めることに問題が生じる

 『Psychological Science』に掲載されたアメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校のゲイル・ヘイマン(Gail Heyman)氏らの研究は、子供の努力や特定の行動ではなく、生まれ持った能力を褒めることは、学習意欲や困難に取り組む力を低下させる結果を招くという有名な先行研究を踏まえたものだ。

 今回の研究は、倫理観についても着目し、それが従来知られていたよりも幼いうちから子供に影響を与えていることを示した。幼稚園のような環境でも褒め方の微妙な違いはデリケートな問題であるらしい。

 「子供に頭がいいと褒めることはごく当たり前で自然に行われています。それが子供の意欲に悪影響を及ぼすことが分かっていたとしても、両親や教育者はついついそうしてしまいます。今回の研究は、それがやる気だけでなく、倫理観にも影響することを実証しています。子供は上手くやるためにズルをするようになるのです」(ゲイル・ヘイマン氏)

■頭がいいと褒められた子はズルをする

 研究では、中国東部に暮らす300人(3歳150人、5歳150人)の子供たちを対象に、数字カードを使った推理ゲームを行なってもらった。

 この間、子供たちは頭の良さか、成績かどちらかを褒められる。対照群では一切褒めない。褒めてから、ズルをしないように約束を交わした後で、研究者はゲームプレイ中に1分間だけ席を外す。その間、隠しカメラで子供たちがカードの数字を覗き見するために移動したり、体を傾けたりしていないか観察した。

 その結果、3歳の子供も5歳の子供も、頭がいいと褒められた子は、成績を褒められた子や一切褒められなかった子よりも、ズルをする割合が高かった。また男女共に同じ傾向が観察された。

■褒めて伸ばす教育も、正しい褒め方をしないと逆効果に

 なおヘイマン氏らは『Developmental Science』に頭の良さを直接褒めるのではなく、そうした評判があると告げた研究も掲載している。

 その心は、能力を褒めることは、行動を褒めることとは違い、上手くやることに対するプレッシャーと結びつくと考えられることだ。

 頭がいいと褒められた子は、ズルをしてでも他人の期待に沿うような好成績を残さねばならないというプレッシャーを感じているようなのである。

 子育てでは子供たちの意欲を育んであげたいものだが、それには正しい褒め方をしなければならない。さもないと逆効果になることもあるということだ。

via:Psychological Science(リンク) / Developmental Science(リンク) / ucsdnews(リンク)/ translated by hiroching / edited by parumo

 

 

 

 

瀬部倫一郎

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「考える力がない子」を変える3つの問いかけ~具体的な導き方は、意外と大人も知らない②

①の続きです。
リンクより

■「考える」が始まる、3つのアプローチ

そこでまずは、「考える」とはどういうことか、筆者の考えをお話ししましょう。これがわかるとどのようなアプローチを取ればいいかわかります。

【「考える」とは】 

「自分の言葉で語れること(What)」「疑問に思うこと(Why)」「手段や方法を思いつくこと(How)」のいずれかのことをしているときに、「考えている」という状態になると考えます。

通常の教育では、「これは何?」「どこ?」「いつ?」「どっち?」が多く、このようなインプットばかりのアプローチでは、考えるという行為は起こりにくいのです。

しかし、次の3つのアプローチを使うと「考える」が始まります。

1)「自分の言葉で語れること(What)」

「この問題の解き方を自分の言葉で言うとどうなる?」「この人の言っていることってどういうことだろうね?」「要するにこれはどういうことなんだろうね」と聞き、“自分の言葉で”語らせるようにすると、頭が動き始めて、「考える」ことが始まります。

2)「疑問に思うこと(Why)」

「なぜそうなの?」「なぜだと思う?」「どうしてこうなんだろうね〜」と問われると人間は、考えます。どうしてだろうかと。たとえば、「あなたの住所はどこですか」と聞かれると、頭に入っている知識をアウトプットすればいいですね。このときは考えていません。しかし、「なぜ、そこに住もうと思ったのですか」と聞かれると、「あれ、どうしてだったかな」と考え始めますね。これが考えるということです。

3)「手段や方法を思いつくこと(How)」

「どうしたらいいと思う?」「どのように感じた?」など英語で言うHowに関係する質問をすると考え出します。これも単に知識を問いているわけではなく、考えないと出てこない質問です。

これら3つのアプローチは、勉強での応用力のみならず、実は、社会人となって求められる重要な要素なのです。私は現在、第一線で働く社会人の方を対象に研修も行っています。その社会人研修ではよく、「what why how」 の3つについてお話をします。これらは、いずれも社会で必要な視点であるといわれているからです。

「課題は何か?(What)」「なぜそうなのか?(Why)」「ではどうすればいいのか?(How)」という3つの視点がないと企業は進化発展できません。科学の世界でも、この3つを重ねて進化してきていますね。もちろん昨今のテクノロジーもしかりです。

以上のように、社会に出て最も必要とされる3つのアプローチを使って、「考える力」をつけておくと、勉強での応用力のみならず、将来にもつながる本質的能力を手に入れたことになります。

■あまりアウトプットの質を問うと台無しになる
ただし、気をつけなければならないことは、「質問をして、相手が答えられなくてもいい」ということを知っておくことです。

質問されると自動的に頭は考え出しますから、アウトプットの質は問いません。答えなくても頭は動いているということなのです。この点知らないと「なぜわからないの!」という言葉が出てしまうと、せっかく考え始めた子どもをがっかりさせる可能性があるので注意が必要です。

このように「考える」ということができるようになるには、問いかけが大切になります。テーマは日常のテーマなんでも構いません。逆に勉強以外をテーマとしてほうがすんなりと入りやすいのですね。ぜひ、ご家庭でこの3つのキーワードを使って「考える力」を伸ばしていってください。

 

 

 

秀凜

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「勉強しなさい」は逆効果

以下リンク
Sankei Bizより

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 子供の学力を伸ばすには、どうすればいいのか。少なくとも「勉強しろ」と怒ることは逆効果であるようだ。東京大学社会学研究所とベネッセ教育総合研究所による追跡調査によると、「勉強嫌い→勉強好き」に変わった子は、勉強が楽しくなる「きっかけ」をつかんでいる。うまくやれば、「東大進学」も決して夢ではない--。

 なぜ、勉強嫌いな子が勉強好きに“豹変”するのか?

 夏休みが終わり、子供たちはまた学校へ通い始めた。

 リラックスモードから上手に勉強モードへシフトできればいいが、そうは問屋が卸さない。東京大学社会学研究所とベネッセ教育総合研究所が行った「子供の生活と学びに関する親子調査2015-2016」によれば、「勉強嫌い」の子は小学校、中学校、高校と年齢が高くなるごとに増えていく実態が明らかになっている。

 とくに顕著なのが、小学生と中学生の差である。「勉強が好き」と答えているのは、小学生(4~6年生)では64.8%だが、中学生では45.3%。20ポイントもダウンしている(つまり、中高生の半数以上が「勉強嫌い」)。勉強内容が難しくなるにつれて、「嫌い」派が増えてきているようだ(グラフ1参照)。

 わが子に自分の将来を考え勉学に励んでほしい親としては何とも頭の痛い話だが、いい話もある。この調査では同じ親子を2年間追跡することで希望の光も見えたという。

 1割の子供は勉強が「嫌い→好き」へ

 それは、1年前は勉強嫌いだったのに、翌年、勉強好きに変わった子が一定数いたということだ。同調査によれば、その「嫌い→好き」組はどの学年でも「1割前後」は存在していた。ズルズルと雪崩のように勉強嫌いな子が増えていくだけではなかったのだ。

 調査に携わったベネッセ教育研究所の橋本尚美研究員は、次のように語る。

 「その子たちはただ勉強好きになっただけでなく、学習時間が延びて、成績も上がっています。しっかり学習成果に結びついているんです。さらに追跡調査によって勉強好きになった子やその家庭の特徴がわかってきました」

「勉強しなさい」と叱ると勉強嫌いのままになる可能性

 勉強が嫌いだった子がなぜ、勉強好きに豹変したのか? 「嫌い→好き」の子供や家庭の特徴は何なのか? 前出の橋本尚美研究員は2点挙げる。それは「本人が勉強する動機」と「勉強方法」だ。

 まず、「本人が勉強する動機」について。勉強する理由として、「新しいことを知るのがうれしいから」が当てはまると答えた子供は、「勉強嫌い→勉強好き」になった子の場合76.1%であるのに対し、「勉強嫌いのまま」の子は42%で、約34ポイントもの大きな差があった(グラフ2参照)。

 「“勉強嫌い→勉強好きになった子”は、『知るのがうれしい』といった自分の好奇心や関心など内発的動機で勉強している割合が高いということです。もともと知的好奇心を備えてはいたものの勉強が嫌いだった子が、何かをきっかけに勉強と知的好奇心が結びついて、勉強好きになったと考えられます。一方、“勉強嫌いのままの子”が勉強する理由は、先生や親にしかられたくないからという外発的動機がもっとも高い結果でした」(同)

「勉強しなさい」という言葉を胸にしまってすべきこと

 以上の結果・分析から確実に言えること。それは「勉強しなさい」と子供をしかるのは、かえって勉強嫌いのままにしてしまい逆効果になる可能性が高いということだろう。まったくもってしかり損なのだ。

 この調査では、学校で“調べ学習”(たとえば、住んでいる地域の歴史や産業を調べる社会科の授業など)をした経験がある子の方が、勉強好きになるという結果も出ている。親は「勉強しなさい」という言葉は胸にしまって、子供の興味に寄り沿い、そのことを一緒に楽しむ(たとえば、興味を持ったことをネットで調べたり、関連する本を買ってやったりする)ことから始めたほうが、1年後にミラクル(勉強嫌いな子が勉強好きに変身)がやってくる可能性が高い。
“モニタリング勉強法”をする子は勉強好きになる

(中略)

勉強嫌いの子でも「東大式勉強法」で成長可能

 東大生173人に小学生時代を振り返ってもらうアンケートをとると、「勉強して、新しいことを知るのが嬉しかった」が84%、「勉強で問題を解くのが楽しかった」が82%、「知りたいことがあると、じっとしていられないタイプだった」が73%など、勉強に対する内発的動機できわめて高かった。さらに「苦手を確認しながら学習するモニタリング方略だった」学生は57%だった。彼らがかつて勉強嫌いだった時代があったかどうかは不明だが、前出の「勉強嫌い→勉強好き」の子供たちは、東大生と似た特徴や取り組みをしていることになる。

 一般的には「東大生=神童」で小さい頃からどの科目もいい点数をとるというイメージがあるが、実は「苦手科目」もある。だが、それを自らモニタリングする手法によって克服していたのだ。

 わが子が現在「勉強嫌い、もしくは苦手科目がある」という状況でも悲観することはない。勉強が楽しくなる「メソッド」さえ身に付けさせてあげれば、東大合格も決して夢ではなくなるはずだ。

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匿名希望

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褒めて伸ばす教育も褒め方次第では逆効果に。「頭がいい」と褒められて育った子供はズルをする(米研究)

「頭がいいね」とか「賢い子だ」と褒められて育った子供は、困難に直面したときにすぐ諦めてしまったり、ズルをしたりすることが多くなるそうだ。
 子供が3歳くらいになると、「とても頭がいいね」と言われたときと、「とても上手だね」と言われたときでは、行動に違いが見られるという。(リンク

■行動ではなく能力を褒めることに問題が生じる
 『Psychological Science』に掲載されたアメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校のゲイル・ヘイマン(Gail Heyman)氏らの研究は、子供の努力や特定の行動ではなく、生まれ持った能力を褒めることは、学習意欲や困難に取り組む力を低下させる結果を招くという有名な先行研究を踏まえたものだ。
 今回の研究は、倫理観についても着目し、それが従来知られていたよりも幼いうちから子供に影響を与えていることを示した。幼稚園のような環境でも褒め方の微妙な違いはデリケートな問題であるらしい。
「子供に頭がいいと褒めることはごく当たり前で自然に行われています。それが子供の意欲に悪影響を及ぼすことが分かっていたとしても、両親や教育者はついついそうしてしまいます。今回の研究は、それがやる気だけでなく、倫理観にも影響することを実証しています。子供は上手くやるためにズルをするようになるのです」(ゲイル・ヘイマン氏)

■頭がいいと褒められた子はズルをする
 研究では、中国東部に暮らす300人(3歳150人、5歳150人)の子供たちを対象に、数字カードを使った推理ゲームを行なってもらった。
 この間、子供たちは頭の良さか、成績かどちらかを褒められる。対照群では一切褒めない。褒めてから、ズルをしないように約束を交わした後で、研究者はゲームプレイ中に1分間だけ席を外す。その間、隠しカメラで子供たちがカードの数字を覗き見するために移動したり、体を傾けたりしていないか観察した。
 その結果、3歳の子供も5歳の子供も、頭がいいと褒められた子は、成績を褒められた子や一切褒められなかった子よりも、ズルをする割合が高かった。また男女共に同じ傾向が観察された。

■褒めて伸ばす教育も、正しい褒め方をしないと逆効果に
 なおヘイマン氏らは『Developmental Science』に頭の良さを直接褒めるのではなく、そうした評判があると告げた研究も掲載している。
 その心は、能力を褒めることは、行動を褒めることとは違い、上手くやることに対するプレッシャーと結びつくと考えられることだ。
 頭がいいと褒められた子は、ズルをしてでも他人の期待に沿うような好成績を残さねばならないというプレッシャーを感じているようなのである。
 子育てでは子供たちの意欲を育んであげたいものだが、それには正しい褒め方をしなければならない。さもないと逆効果になることもあるということだ。
 ちなみに私は子どもの頃けなされることはあっても褒められることは皆無だった。褒められるようなことは何一つしていないといわれたらそれまでなんだけど、あまりにも褒められなかったせいで、大人になってから褒められるとそれが信じられなくて、「やだこの人なんだろう?何目的?何をしてあげたらいいの?」とか思ってしまうほど自分に自信がもてず様々な弊害が生じている。
 子育てってほんと難しくて、時代と共にどんどんその方針も変わってきてて、親御さんの場合には戸惑うことも多いと思うんだけども、時に客観的ビジョンも必要になってくるということか。

 

 

 

A.i

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