こどもの自立を邪魔してませんか?親が見守るべき7つの場面

子どもの自立を願わない親は居ないと思います。
その反面、実はその邪魔をしているのも親だというおそろしい事実も!
リンク
より引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は私の娘のことを書きたいと思います。
いま私を最も悩ませていること。
それは、長女の洋服の片付け問題 です。
4月に中学生になった娘は、部活、勉強、友達との付き合いなどでびっくりするほど忙しくなりました。それにともない、毎日の衣類の管理がたいへんなことになってきたのです。
(中略)
放っておけば洋服が山積みになり、体操服やブラウスの替えがないと朝から大騒ぎした挙句、シワだらけの制服で学校へ行くことになるのです。
こんなことが数ヶ月続き、私はやっと、この状況のおかしさに気づきました。
いったいどうして、こんなことになってしまったのでしょうか?

◆親のしつけが子どもの生活に大きく影響する 
 思い返すと、長女は小さい頃から、いつでも脱いだ洋服をあっちこっち放り投げていました。
「片付けなさい!」と声をかけつつ、仕方ないなあと思いながら結局は私が片付けてあげていました。ハンガーに洋服をかけるのは難しいし、放っておくと部屋がいつまでも片付かないからです。
一方、小学校高学年になる次女は、小さい頃から自分の洋服の管理に困ることはありませんでした。
私ははじめ、二人の違いは性格によるものだと思っていました。長女は大雑把な性格だから洋服の片付けが苦手、次女は几帳面だから得意なのだと。確かに、性格は二人の違いにいくらか影響をあたえたと思います。でも原因は、それだけではありませんでした。
私は次女が小さい頃に、「洗う物は洗濯カゴに入れて」「上着はハンガーにかけて」と簡単に指示だけをしました。仕事を始めて忙しかった私は、しまい忘れた洋服を片付けてあげることも、ハンガーにかけるのを手伝うこともあまりしてあげられなかったのです。
 その結果どうなったでしょう。
同じように育てたつもりが、私は長女と次女にまるで違うしつけ方をしてしまっていたのです。

◆子どもが自分でできるようになるまで見守ることが大切
 やってあげる」より「やり方を教えてあげる」ことが大事 だということを私は知っていました。勉強や仕事をするうえでもとても大切なことだからです。でも、子育てを始めたばかりの私は、その大切なことが育児にも当てはまるのだということに気がつきませんでした。
子どもがやるよりも私がやるほうがずっと早く丁寧にできるし、子どもが他のことを楽しむ時間が増えると思っていました。
そうやって私は、長女が洋服の片付け方を学ぶ機会を奪ってしまっていたのです。
子育ては忍耐の連続です。
その中でも、見守るということは最高にハードルの高い試練だと思うのです。
親は決して手を出さず、子どもが自分でなんとかやり遂げようとする姿を見守る。失敗しても、うまくできなくてかんしゃくを起こしても、ただ見守る。ただそれだけのことが、どれほど難しいことか!

◆親が邪魔してはいけない、生活習慣に関する7つの場面
 私が長女に対して、ときには次女に対して、じっと見守ることができずに手や口を出して失敗してしまったことや、これはよくないなと思った例をいくつかあげてみたいと思います。

1.朝起こしてあげる
 優しく肩を叩くことから始まって、最後は「いい加減に起きなさい!」と喉が枯れるほど怒鳴りつけるのが日課でした。
解決策は実に簡単なことで、二人がそれぞれ目覚まし時計を知人からプレゼントしてもらったときから、私の日課はなくなりました。とは言いつつ、今でも起こしてしまうことがあります。

2.散らかった部屋を、本人がいない間に片付けてあげる
 私は片付けが得意なので、二人が寝ている間に、あらゆるおもちゃが散乱した部屋をいつもササッと片付けていました。
先輩ママさんのアドバイスで、一緒に片付けをして、部屋が片付いた達成感を味あわせてあげるようにしました。

3.脱ぎ捨てた洋服を拾って畳む、ハンガーにかける、洗濯カゴに入れてあげる
 おかげで長女は、中学生になった今になって洋服の片付け方を学び直しています。

4.その日に着る洋服を選んであげる
 子どもが自分で選んだ服にケチをつけないということを、補足しておきます。子どもがセンスを磨くチャンスを取り上げてはいけません。
よほど病弱でなければ、寒い日に半袖を選んでも許してあげましょう。でないと、中学生になっても上着を着るべきかどうかの判断を自分ですることができなくなります。

5.洋服を着せてあげる
 ボタンを付け間違えたり、靴を逆に履いていたり。小さい子どもの着替えは、思わず手を出したくなる場面トップ3に入ります。でも、じっと我慢!

6.給食セットを用意してあげる
 自分で台所に取りに来て、使い終わったら台所に持ってくること。ナプキンは自分で洗濯カゴに入れること。洗うのは私の役目ですが、その日のうちに持ってこなかったお箸セットは自分で洗ってもらいます。水筒も同様に。

7.旅館のように、寝る場所の世話をしてあげる
 ぐちゃぐちゃのままのベッドがいつの間にかきれいに整えられ、布団は畳んでしまわれている。寝る時間になると、せっせと布団を敷くお母さんを子どもがただ眺めている。
不思議な光景だと思いませんか? 

◆学び始めるのに、スタートはいつだって遅くない
 自分の洋服の管理を学び始めた長女は、およそ7割の確率でパジャマを洗濯カゴに入れるようになりました。まるめた制服を、ときには自分からハンガーにかけるようにもなりました。
スタートが遅いぶん、きっとすごく時間がかかるでしょう。でも、半年後、1年後、2年後、長女は自分の洋服をもっと上手に管理できるようになっていると思います。
何かを学び始めるのに、スタートはいつだって遅くありません。
たとえお互いにとって苦しい日が続いても、決して手や口をださずにそっと見守ること。簡単なことではないですけどね。

 

 

 

 

がらがらどん♪

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 12:30 |コメントする    Print This Post


モンテッソーリ教育とは「子ども自立教育」

以下、「モンテッソーリ教育とは簡単に一言でいうと?」 リンクより一部抜粋して紹介します。

モンテッソーリ教育とは、子どもが自立していく過程をギュッと凝縮した教育方法で、主に自己解決能力を養います

自己解決能力はあらゆる分野に応用できるスキルで、この力が養われることで将来に子どもがやりたいことを見つけて、それを達成するために自己能力を伸ばすようになります。

■モンテッソーリ教育とは
モンテッソーリ教育の目的はそれぞれの発達段階にある子どもを「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学びつづける姿勢を持った人間に育てる」ことです。

モンテッソーリ教育は、子どもの生まれ持つ能力「成長するという力」を最大限に伸ばし、自由で自発的な行動を支援します。

■モンテッソーリ教育の教具
モンテッソーリ教育の独特さを一番に物語っているのはこの教具かもしれません。

  ピンク・タワー(pink tower):1cm3~100cm3 までの立方体
  円柱(cylinder blocks)
  茶色の階段(broad stair, Brown Stair)
  長さの棒(red rods)
  色付き円柱
  色板(Color tablets)
  幾何たんす(Geometric cabinet)
  幾何学立体(Geometric solids)
  二項式(binomial cube)
  三項式(trinomial cube)
  構成三角形(constructive triangles)
  実体認識袋(The mystery bag)
  触覚板(Rough and smooth boards)
  温覚筒(Thermic bottles)
  重量板(Baric tablets)
  圧覚板
  雑音筒(Sound cylinders)
  音感ベル(Bells)
  味覚びん
  嗅覚筒
  数の棒 (Spindle box)

これらを使って一体なにをするのかというと、子どもの感覚教育と重要と自発性、知的好奇心などを育てるといいます。

■実際にモンテッソーリ教育を受けた有名人
・Google 創業者 ラリー・ページ、 セルゲイ・ブリン
彼らはABCのインタビューで自身の親はいずれも大学の教授をしていたので、成功の要因として親のキャリアから学ぶことが多かったのでは、という問いに

セルゲイ・ブリン「それはありません。確かに僕らのことをサポートしてくれましたが、モンテッソーリ教育を受けた影響が大きかった。」と答えています。

ラリー・ページ「決められたルールや学校秩序にとらわれず、世界で今何が起きているのかを追求し、なにか違うことをしてみようかな、と自分で意欲的に考えるトレーニングとなったんだと思う。」とモンテッソーリ教育によって今の自分があるとも答えてました。

・amazon 創業者 ジェフ・ベゾス
・マネージメントの父と言われた経営学者 ピーター・ドラッカー
・Facebook 創業者 マーク・ザッカーバーグ
・ウィキペディア 創始者 ジミー・ウェールズ
・アカデミー賞俳優 ジョージ・クルーニー
・俳優だけではなく、映画監督、脚本家、映画プロデューサーとマルチな才能を発揮しています。
・マイクロソフト創業者 ビル・ゲイツ
・ゲームソフト シムシティ開発者 ウィル・ライト
・英国王室 ウィリアム王子、ヘンリー王子
・「アンネの日記」のアンネ・フランク
・世界的チェロリスト ヨーヨー・マ

などなどモンテッソーリ教育を受けた有名人は多く、個の力の強さや独創性に優れ、物事を追求する力が優れています。中国やインドもモンテッソーリ教育を取り入れる中、日本では残念ながら文科省が小学生からのモンテッソーリ学校教育は認可していません。

日本の教育制度は暗記したら評価されます。皆が右に倣え教育で教科書を暗記、テストで良い点を取ったものが優等生。つまり過去にやった問題を解くエキスパート、新たな課題を見つけて解決する能力は身に付きません。皆と違ったことを言ったりやったりするとクラスでつまはじき者扱い、先生から指導を受ける、という自主性や主体性が全く育たたない教育方針です。

これは戦後GHQが推奨し日教組を作って始まった日本の教育システムです。こうした教育を受けた子どもたちにGoogleやFacebookのような創造をすることは難しく、言われたことだけをこなす人材となってしまうでしょう。そんなものは今後、人工知能がやってくれます。

これからの世界で必要なものは、人間ならではの豊かな創造性です。誰かに言われたからやるではなく、自分の頭で考えてクリエイティビティを養うモンテッソーリ教育が、日本に普及すれば、もっと面白い国になると思います。

~ここまで

 

 

斎藤幸雄

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 12:38 |コメントする    Print This Post


わが子の“天才”を見つけよう!~子供は与えられた言葉で自分を作っていく

『わが子の“天才”を見つけよう!』より引用
//////////////////////////////////////////////////////////////////
子どもたちはそれぞれ、その子ならではの“天才”を持っていて、その天才を見つけて伸ばしてあげれば大人の想像を超えたすごい力を発揮してくれる。だから、わが子を育てる時には、「何をやらせるか」「どうやらせるか」といったことの前に、「わが子はどんな子なのか」を観察することが大切なのです、という内容です。

■その子の天才を見つけて伸ばす
子どもたちを見ていると、すごいなと感じることがたくさんありませんか。

小さい時を思い出すと、教えたわけでもないのにいつの間にか言葉を覚えたり、お兄ちゃんのサッカーの練習を眺めていただけなのに、いつの間にかリフティングの真似事ができたり、初めての場所で知らない子の輪の中に入っていつの間にか友達になってしまう。

ハッとする色使いの絵を描いてくれる子、練習不足でどうなることかと心配した発表会当日に今までで一番の演奏を見せてくれる子、すごいことがいっぱいあります。

子どもそれぞれに持ち味があるわけですが、その持ち味は、どこまでも伸びていける性質を持っています。それを私は“子どもの天才”と呼んでいるのです。

天才の子を見つけるよりも、それぞれの子が持っている“その子の天才”を見つけて伸ばすことの方が、ずっと大切だと思うのですね。

特に幼少期は、さまざまな方向に伸びていける可能性を、どの子もたくさん持っています。

まだ自分自身のことをよく分かっていないだけに、可能性に制約もないからです。

では、子どもたちは自分自身のことをどのように分かっていくのでしょうか?

■子どもは与えられた言葉で自分を作る
自分自身というと、「自分はこうでありたいんだ」という「自我」を指すように思われますが、子どもたちが自分自身を持つ最初は、自我の働きからではありません。大人から、特に親から渡される言葉によって自分を見つけるのです。

もちろん、何度も読んで欲しくなる本があったり、テレビでスポーツを見ていると体がうずうずして自分もやりたくなったりと、自分の中に自分だけの興味関心は持っていて、どんな過ごし方をできている時がしっくりくるのか感じてはいるのですが、まだ子どもですから自分の中にある自我の芽を言葉で表すことができません。

「世界は言葉でできている」と言われるように、そこにあるもの、目にしているもの、感じているものは、言葉をともなって初めて認識でき、理解できます。言葉で表せたときに「意味」が生まれ、考えることができるようになります。

幼い子どもは、自分自身を感じることはできますが、それが何なのかが言葉にならない間は「自分」という意識に引き上げることができません。

その代わりに子どもたちに「自分」を説明するのが、周囲の大人から与えられる言葉なのです。

「足が速いよね」と何度も言われた子は、「自分は足が速いんだな」と自分を理解します。

「色のセンスがいいよね」と褒めてもらうことが多ければ、絵を描いたり見たりすることが好きになります。

与えられた言葉によって、自分自身を作っていくのです。

■渡された言葉によって子どもは自分自身の使い方を決めていく
周囲から渡された言葉が、自分はそういう人なんだというアイデンティティの一歩目を踏み出させます。そして、「そういう自分」を育てていくうちに、自分の中でも自分自身はこうでありたいという自我、内発的なアイデンティティが育ち始めます。自分の体験、自分の意思によって、自分らしさが確立されていくというのが、成長のイメージではないでしょうか。

しかし、子どもにとって渡されてきた言葉によるアイデンティティの縛りは、とても大きいものです。「自分はそういう人なんだ」という思い込みが強ければ、自分が持っている可能性に気づかず、力を発揮できないことがあります。

ある女の子は、母親がうっかりと「あなたは算数のセンスがないわねぇ」と口走ってしまったことが意識に残ってしまって、それからずっと自分は算数ができないと思い込んで、成績も低空飛行を続けていました。でも、絵を描くのが得意な彼女は、図形的センスにあふれていました。計算も、生真面目な性格で慌ててしまうために間違っていただけで、間違えにくい工夫を教えてあげれば、すんなりと解けるようになりました。

もともと算数的な能力は持っていた子だったのです。

でも、苦手でした。成績も取れませんでした。自分には算数のセンスがないと思い、数字や図形の力を使おうとしてこなかったからです。

渡された言葉の数と種類によって、その子は自分自身の力の使い方を決めていくのです。

子どもは、自分が持っていると思う力は、使うことができます。

プラスの言葉をたくさん渡された子は、自分の持つ天才を当たり前のように使っていくから、伸びていくのです。

逆に、自分には欠けている。自分はそんな力は持っていないと思っている力は、使いません。

使わなければ、「できる」という経験も、自信も生まれてきません。

 

 

 

 

根木貴大

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:25 |コメントする    Print This Post


子どもは、いつから天才じゃなくなるのか

追求心の塊の赤ん坊はみんな天才。しかし、親や周りの大人の常識や固定観念の押し付けより次第に天才で無くなる。
子供の意欲や追求心を周りが阻害しなければ、どんな年齢に成っても天才に成れるのだ。

その様な記事を紹介しよう。

In Nadeshiko Way アメリカで生きる、やまとなでしこたちの学び場  
リンク

(引用開始)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子どもは、いつから天才じゃなくなるのか」
 
みなさんは、「うちの子どもは天才!」と思って育てているでしょうか。
うちはもちろん、二人とも「天才」だと思ってます。笑
そして、うちの子だけに限らず、この世界に存在するすべての子どもは「天才」だと思っています。
 
それは、学校の勉強というものに限らず、物事の理解・解釈の仕方だとか、世界観だとか、視点だとか、つまりは「大人の常識」にはまらない子どもらしい自由。
この記事でも書きましたが、私は「良い子」とは「子どもらしい子ども」だと思っているので、そういう自由がある子どもは、うちの子達に限らず、「みんな天才!」と思うのです。
 
しかし、子どもが生まれて、初めて笑ったり、初めて親に反応したり、座ったり、立ったり、歩いたりしたら、「うちの子は天才だわ!」って思ってたはずなのに、いつの間にか、「どうしてアンタはこうなの・・・?」ってがっかりの原因になってしまっている。そんなことはありませんか?
子どもにがっかりしたい親なんていないですから、いつまでも「ウチの子、天才!」って思えたら、そりゃーもう幸せですよね。
 
そんなわけで、考えてみました。
子どもって、いつから天才じゃなくなるんでしょうか。
そしてそれって、何がきっかけなんでしょうか。
 
まず、思い出してみてください。
自分の子どもが、病院の分娩室や、L&D (Labor & Delivery) などで、「オギャー!!!」と産声をあげたあの日。(いや、実際はそんなにうるさくなくて、「ふにゃ〜」って感じでしたけど)
そこにはおそらく母親である自分と、旦那と、ドクターとナースくらいしかいなくて、唯一の「子ども」が、たった今、生まれたばかりの赤ん坊でした。そのベビーは、親の愛情やアテンションを一身に受けて、すくすくと育ちます。そのベビーこそが、親にとって、世界の中心であるわけです。
 
しかし、デイケアや幼稚園、プレイデートなどで、よその子どもや、よその親という存在がその世界に入ってくると、急にできあがってしまうのが「ものさし」。
その「ものさし」で自分の子どもを計るようになります。
 
「うちの子は6ヶ月なのに、まだこれができない・・・」
「○○くんに比べて、うちはまだ小さい・・・」
「○○ちゃんは、あれがもうできるのに・・・」
 
自分の子どもが世界の中心だった時は、「比べる」という概念は存在していなかったはずなのに。子どものあるがままを愛おしいと思っていたはずなのに。
なのに、なぜか「今のままじゃ足りない」と思ってしまう。
 
どうでしょうか。記憶にありますか?
 
子ども、というか、全ての人間にとって、「あぁ、自分にはこれが足りないんだな」と自覚する時に感じるもの。それが「挫折」。
遅かれ早かれ、人間はいつかそれを感じるし、それこそが次のステップへ進むための機会ですから、避けて通るわけには行きません。
 
しかしながら、大切なのはその回数と大きさ、だと私は思います。
 
それは乗り越えるために「ちょうど良い大きさ」であることがキーだし、頻度が多いとやはり疲れてしまうもの。なので、親として、周りの大人として、「このチャレンジ(試練)は、この子を成長させるものかどうか」を見極めなければならない。
ただ単に失望感しか与えないものや、無意味にしんどいものなど、得られるものより失うものの方が大きい場合、本当にそれを与える価値があるか?とまずは大人が考えるべきだと思うのです。
 
なぜなら、子どもは自然と大人になり、自分で選んだ道の中で、どうしても避けられないチャレンジと直面します。
それは親の選択とは全く関係ないところで起こることです。
 
その時、子ども達はいやが応にもそれらと戦わなければならないし、そこで大人ができることは、見守ることしかないかもしれない。Hopefully(願わくば)、子どもが自分で戦う力をそれまでに身につけていてほしい。
 
私が自分の経験から思うに、多くの人にとって、これがやってくるのが就職の時期。(そのずっと前に経験している人もたくさんいると思いますが)
社会人になると、「学生」という社会からのセーフティネットがなくなり、どんな新米でもベテランでも大人扱いされる。その時に、「あ、私はもう天才じゃないな」と気づくことが増える。
 
それは就職が決まる・決まらないということだったり、同級生と比べた年収だったり、多くの若者にとって、現実としての差異がバーンと目の前に突きつけられる瞬間です。
 
それまでは、私は「子どもはみんな天才でいて良い」と思っています。
 
もちろん2歳でやることと、18歳でやることは違うかもしれない。
だけれど、「世界」というものの捉え方や、自分たちの中にある無限のアイディアというのは、やはり大人の常識なんかで壊して良いものではないと思うのです。
もちろん30歳になっても、50歳になっても、子どものような天才性を失わない人はたくさんいるし、社会人として機能できるのなら、それらと上手に付き合っていくことも大事だと思います。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(引用終了)

 

 

 

 

松本幸二

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:08 |コメントする    Print This Post


赤ん坊から見たストレスに満ちた出産

赤ん坊にとって暴力に満ちている現代の出産リンクから引用させていただきます。
————————————-
F・ルボワイエ著『暴力なき出産』より
(中略)
まず、赤ん坊は何も見えないと大人は思っています。そうでなければ、こんな子どもに手術用の照明があてられることはないでしょう。外科の医者さえ、こんなまぶしい光には耐えられないはずです。
実際は赤ん坊の胴体がまだ母親のからだのなかに残っていて、頭が出るか出ないかのうちに赤ん坊は目を大きく見開きます。それから、わめきながらすぐ目をつぶります。それと同時に苦痛の表情が小さな顔に表れます。
赤ん坊は本当に目が見えないのでしょうか。いいえ、盲目な人たちによって目がつぶされるのです。

次に、耳が聞こえないと思っています。実際は母親のからだの中にいるとき、いろんな音が子どもに届きます。しかしまだ子どもが水のなかに浸っているため、音はすべてフィルターにかけられ、おさえられた穏やかな、鈍い音に過ぎません。
ところが、出産になり波から出てくると、割れんばかりのごう音にあふれています。わたしたちの声は雷のとどろきのように響きます。しかし分娩室のなかで声をひそめようとする人がいるでしょうか。「しっかり力を入れて。もっと入れて!」まるで御者が馬を叱咤しているようです。

それから、分娩の直後にへその緒を切ります。それはひどく残酷な行為です。へその緒が直ちに切断されると、脳から急に酸素が奪われます。計り知れないストレスを作り出し、神経症の芽を植え付けるのです。
子どもが一時的であれ酸素を取れなければ、脳に収縮不可能な傷を残すことになります。ですから自然は、誕生直後の危険なときにへその緒と肺という二つの源から酸素を得られるようにしたのです。誕生直後のまだ数分のあいだ、へその緒を通じて受け取れる酸素は、子どもを酸欠から守ります。
(中略)
へその緒の脈動が終わるまで無傷に保たれるなら、出産全体が改革されたことになるでしょう。胎盤からの酸素供給が肺呼吸へと移行するのが、ゆっくりと穏やかになされるか、あるいは無惨にもパニックと恐怖のなかでなされるか、それに応じて誕生はやすらぎにみちた目覚めにもなり、悲劇にもなります。

また、子どもは生まれるとすぐに足をつかまされて逆さ吊りにされることがあります。その小さなからだは厚い胎脂に覆われていて、ぬるぬるして、すべりやすいためです。子どもは言葉では言い尽くせないほど不安な表情をしています。頭にしがみつく手…これは雷にあった人の顔です。子どもはなんともいえない目眩を体験します。目眩や不安感はこのときの体験の痕跡です。

わたしたちは、せめて小さな子どもの肌にやさしく触れているでしょうか。いままで粘膜のやさしい愛撫しか知らなかった赤ん坊の肌は、ささいなことでも身震いします。パイル地のタオル、荒い布、ときにはブラシ…小さな子どもはこの世にやって来て、いばらのなかを転げまわり、泣きわめきます。そしてわたしたちは大笑いするのです。

その上、暖かくて柔らかい母親の胎内から出てきた赤ん坊を、固くて氷のように冷たい金属の体重計に乗せるのです。その冷たさは炎と同じように無惨にも赤ん坊を焼きつくします。叫び声は一段とけたたましくなりますが、こんなに小さな赤ん坊が大きな音を立てられることに周囲の大人は感激し、歓声をあげます。

そして今度は目薬です。赤ん坊は抵抗し、もがきます。しかし、大人の方が強く、偉いのです。光で目を攻撃するだけでは物足りないのです。無理矢理、やわらかい瞼を開き、燃えるような液を二、三滴落とします…

さらに、服を身にまとわされます。大人の都合のために、我慢して窮屈な、たくさんの結び目のある服をまとわねばなりません。

また、赤ん坊をあおむけに寝かせたりもします。何ヶ月ものあいだ曲げられていた背骨が、いきなりまっすぐに伸ばされてしまい、それはひどく衝撃的なことです。一番良いのは腕と足を曲げたまま、赤ん坊をうつぶせにしておなかの上に乗せることです。これは赤ん坊が以前馴染んでいた体位です。この姿勢から、赤ん坊は自分のテンポで開いたり、伸びたりできます。

わたしたちは考えます。「赤ん坊に対して、どのような準備をすればよいのか?」
準備が必要なのは、赤ん坊ではなくわたしたちの方です。わたしたちが眼を開き、愚かなことをやめなくてはならないのです。
————————–(引用終わり)——-

 

 

 

 

上前二郎

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 13:57 |コメントする    Print This Post


「子供をダメにする」親の研究~「両親とも教師」の家庭は危ない

先日、友人夫婦と会う機会がありました。友人夫婦は二人とも高校教諭。お互い1歳の娘がいるので遊ばせていたのですが二人に遊び方の違いが出ていて、それはまさに親の影響をうけているのではないかと考えさせられるものでした。
初めてのおもちゃ(知育玩具でコンセントやインターホンや無限に引っ張れるティッシュ等があるもの)を見て二人とも興味深々!すぐにおもちゃを手にとって「これはなんだろう?」とじっくり見始めます。コンセントにしろインターホンにしろ使い方なんて分からないのが当然で、うちの娘はコンセントの穴に指を入れてみたりコードを引っ張ってみたりたたいてみたりして楽しんでいました。
ところがそれを見た友人のご主人が「コンセントはこうするものなんだよ」と使い方の指導を始めました。すると娘の興味はなくなりおもちゃから離れてしまいました。でも友人の娘さんは始めは自由に触っていたのですがお父さんが介入すると教えてくれるのを待っていて何度も何度もやり方を見せてもらうと同じやり方でしか遊ばなくなっていました。そして次はどうするの?と父がしてくれるのを待っていました。
その二人の反応を見て「Aちゃん(うちの娘)は飽きっぽいんだね。Bちゃん(友人の娘)はやり方を何度か教えたらすぐに理解して遊べるようになるんだよ。」と言われてしまいました。が、それを聞いてものすごく違和感を感じました。
その後も子育ての話や学校の生徒の話をしたのですが、友人夫婦の意識は「初めてのことに対して子供ができないのは当たり前で大人がある程度やり方を教えてあげないと子供は何もできない。」「教えたのにできない、やらない子はダメ」となっている感じでした。
リンクを読んで、
学校の先生をしていると普段学校(職場)で生徒に対して教えるということをしていて、それが子供の追求心を奪うことだと思いもしないしおかしいとも思っていない人か多いのかもしれない。そして家庭でも自分の子供に対して生徒と同じように幼い頃から何でも教えて自分で追求する機会を奪って親の言うとおりに動く子供にしてしまうのだろうと感じました。

リンク より
********************************
(一部抜粋して転載します)

今から25年くらい前からでしょうか。入学してくる学生が、あまり勉強をしなくなっているということに気付いたんです。

医大に合格するくらいですから、暗記力は高いのですが、知識を入れて出すだけのロボットのような、自分の頭で考えない子供が目立ってきました。

そこで、成績の良くない学生の中でも特に問題の多い学生については、本人はもちろん親へのヒアリングも行い、どのような子育てをしてきたのか、聞き取り調査を始めたんです。

分析してみると、面白い結果が出ました。親の社会的ステータスや職業、育て方が、子供の成長にかなり密接に関わっていることが分かったんです。

たとえば、無気力症候群になる学生には、父親が高学歴だったり、成功者であるというケースが非常に多かった。

オガタ君という男子学生がいました。非常に頭が良いのですが、なぜか劣等感の塊みたいな子で、全然自主性がない。勉強に対しても、すごく消極的なんですね。

お父さんにもヒアリングしたいと思ったんですが、全然出てこない(笑)。何度も何度も呼びかけて、ようやく来たと思ったら、地方の名士でした。

「あなた、この子がどんなに勉強を頑張っても褒めなかったでしょう。ちょっとでも失敗したら、『こんなこともできないなんて、バカだ』と叱って育ててきたでしょう」

そう聞いたら、その通りだと。自分が優秀な人は、息子のやることがいちいち気に障るわけです。その上、できない人間の気持ちが理解ができない。だから、すぐに「バカだ」、「どうしてできないんだ」という類いの言葉を発してしまうんです。

子供のほうも、どんなに頑張っても、良い成績をとっても褒めてもらえなければ、勉強をしてもちっとも楽しくありません。小さい時からずっと「負け犬」精神を刷り込まれてしまったら、もう学習意欲も萎え切ってしまいます。

両親共に教師という家庭でも、多くの場合子育てはうまくいっていませんでした。

学校の先生をしていると、家に帰っても生徒に接するのと同じように、教訓的なことばかり話してしまうんです。すると、子供は学校でも家でもお説教ばかり聞かされて、もう参っちゃいます。

でも、先生といっても、親が幼稚園の先生の場合、子供は割合良い方向に育つんですよね。

というのも、親は幼稚園での仕事が終わって帰ってきて、自分の子供も同じように育てなくちゃいけない、という意識を強く持っているんです。そうすると、自然と密度の濃い接し方を心がける。だから、幼稚園の先生の子供はたっぷり愛情を受けることができるんです。

無気力学生の代表格だったオオクボ君のご両親も、中学と高校の先生でした。そこで、面談に呼んで話を聞いたら、両親が2人で寄ってたかって勉強に干渉すると。それでは、子供の気持ちの逃げ場がなくなって、精神的に潰れてしまいます。

********************************

 

 

 

秀凜

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:16 |コメントする    Print This Post


「無理だったら逃げていい」という言葉は、子供を「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にした。

リンク
先日、長男の夏休みの宿題が終わりました。全て終わったのは8/24でした。
なんか長男が通ってる小学校は25日から始まるそうで、「8/31に泣きながら宿題追い上げ」という風物詩も最近はあまり聞かない言葉になりつつあるんですかね?

なんにせよ、長男にとっては8/24が宿題のタイムリミット、デッドラインだった訳です。実を言いますと、今年の長男の夏休みの宿題は、ある意味で破綻プロジェクトでした。

以前、こんな記事を書きました。

夏休みの宿題進捗管理をIT化したら子供が凄くやる気出した話
2年前の話です。この年の夏休み、私は長男に初めて「タスクを細かく切り分ける」「計画を立てる」「計画を見直しながら進める」というノウハウを伝えて、そこにITを絡めてみました。
計画立ても、長男に色々ヒアリングしつつ、基本的には私がやってみせました。
で、去年の夏休みは、計画立てから長男が自分でやりました。
途中でちょこちょこ様子は見て、無理がありそうな部分があったら見直した方がいいよと助言はしつつも、そもそも宿題の絶対量がそんなに多くなかったこともあり、危なげなく宿題は完遂されました。
長男にとっては、「自分で計画を立てて、それを運営する」という、人生初の成功体験です。 

で、今年は初めから「ぼくが全部やるから!」と言いましたので、私はほぼ干渉しないことにしたのです。

長男は、一昨年、昨年と覚えたノウハウそのままに、「この日は〇〇と××をやる!」「この日は△△だけ!」といった計画を立てました。手慣れたものです。
ただ、今年の計画には一つ大きな落とし穴があり、それに長男は気づいていませんでした。というか、気づいてはいましたが、それ程重要視はしていませんでした。長男は今年から塾に通い始めており、この夏も夏季講習に行く予定だったのです。

塾で出される課題もそれなりの分量ある筈で、一日に出来るタスク量、学校の宿題に割ける時間はその分目減りすることが予想されました。

私や奥様も一応その点気にして、「塾の課題大変じゃない?」とか「課題の分量も計画に入れた方がいいんじゃない?」と言ってはみたんですが、長男は「大丈夫だよー、学校の宿題とは別の時間にやるから」とだいぶ軽く見ている感じです。

干渉しないと決めた手前、私もそれ以上は言いませんでした。

ある程度予想していた通り、夏休みも中盤にさしかかる頃、長男の宿題進捗にはかなりの遅れが出ていました。初めての夏期講習は、やっぱり長男には負荷が大きかったようです。リスクの顕在化です。

旅行に行ったり、スプラトゥーン2を遊んだり、祖父祖母の家に遊びにいっていたこともあり、ずるずると進捗遅れが出てしまった長男の宿題は、「終わるかなあ…?」と長男が泣きべそをかくくらいの量になってしまったようでした。
ここで、実は一つ、私は長男に謝らないといけないなーと思っていることがあります。

私は昔から長男に、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と教えています。部活でもそうですし、塾でもそうですし、習い事でもそうです。例えばいじめが発生した時とか。長男の心に、何かが重くのしかかってきた時とか。それで潰れてしまうくらいなら、逃げて別の選択肢を探した方がずっと良い。

私はそう思っているし、人生には時として「逃げる」という選択肢を選ぶことも重要だ、とも思っています。だから、長男にそう伝えてきました。
ただ、これについては賛否あるだろうなーとは思っていて。「ちょっと大変なだけでも逃げちゃう子に育つんじゃない?」と、私は昔指摘されたことがあります。

そんなことない、「最後の逃げ道」を心に抱えておくことは、むしろ心の弾力を保つ為に役立つ筈だ。そう思っていながらも、私も心のどこかで、長男に「逃げ癖」がついてしまうことを心配していた。それは正直否定出来ないんです。
ところが長男は、今回、「夏休みの宿題大ピンチ」という、いわば「プチ窮地」から逃げませんでした。

計画が破たんしてしまったことは冷静に認めて、その上で「逃げずに頑張る」という道を選びました。親に頼って手伝ってもらうという選択すら、言い出すらもしませんでした。

そして、実際に今回の窮地は、「逃げずに頑張る」という選択で打倒することが出来たのです。

24日の夕方頃、仕事中にかかってきた電話に出ると、長男は喜色満面の声で「宿題終わったーーーー!」と叫びました。

私は一言、「よくやったな」と言いました。

「逃げずに頑張る」という選択は、良し悪しです。例えば社会に出て、万一いわゆるブラック企業に勤めてしまった時、「逃げずに頑張る」という選択をとってしまったが故に、心を病んでしまったり、時には命さえ失ってしまったりといったことだってあるでしょう。

だから、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」ということを心に刻んでおくことは、多分重要なことだと思うんです。けれど一方で、私は「すぐ逃げる子になってしまうかも」という、心のどこかにあった懸念を捨てることにしました。

長男は、「逃げずに頑張る」こともちゃんと選べる子でした。「まだ、これは無理じゃない」という判断の元、困難に正面から立ち向かうことも出来る子でした。

「無理だったら逃げていい」という言葉は、長男を「逃げる子」にすることはなく、むしろ「戦うべき時にはちゃんと戦える子」にしてくれていた。そう思っています。

時に、大事な何かを失わないように。

よく頑張った。私は、長男の頑張りを尊敬します。自分も負けてられないな、と思います。

一方、今回長男の計画がリスク顕在化で破綻したことも事実は事実なので、長男には「プロジェクト運営上のリスク管理」「リスクが顕在化した時の対応ノウハウ」というものも教えないとなーと思い、また折を見てノウハウを伝えていこうかなーと思った次第なわけです。夏休みの宿題程度で何をおおげさな、と思われるかも知れません。

けれど私は、「夏休みの宿題」という程度のものが、小学生にとっては十分、真剣な、強大な、恐ろしい強敵であることを知っています。
大人にとっての困難なプロジェクトと同じくらい、子どもにとって困難なプロジェクトであることを知っています。

だから私は、今後も自信を持って、「どうしても無理だ、嫌だと思ったらやめちゃっていい」と伝えていこうと思うんです。本当に逃げないといけない
いやホント、リスク管理と計画の見直し重要ですよね。計画立案の次くらいに重要だと思います。

 

 

A.i

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:42 |コメントする    Print This Post


英才教育は役に立たない

リンク

「子どもに英才教育をしてきたのに成績が思うように伸びない」
という相談をよく受けます。精一杯チャンスを与えてきたつもりなのに結果がでない。ほかの子よりも先を行かせるために英才教育をしてきたのに、むしろ遅れをとっていたり、バランスをくずしていたりするわけです。本当のところ、早期英才教育のほとんどは役にたたないと私は思っています。

◇自然に育つプログラミングを無視するな

 人間の脳というのは、特別なことは何もしなくても自然に成長していけるだけのプログラミングがきちんと施されています。しかもそれは非常に安定した、強固なものです。
 間違った英才教育というのは、つまりはそのプログラミングを無視して、無理やり脳をより早くつくりあげようとするものだと思います。
 本来の実がなるサイクルを早めようと、促成栽培した野菜や果物は美味しくないですよね。それは、本来の育ち方を人工的に早めた結果、細胞が崩れて形成されるからだと言われています。
 そう考えれば、人間だって促成教育しようとすれば無理が生じるのは当然です。
 そもそも、子どもの成長に早道などありません。だから人間が自然に育っていくプログラミングに応じて、その年齢なりのベストを目指してほしいのです。
 偏った刺激を過剰に与えると、むしろ成長するにつれてさまざまな問題が生じてきます。

◇早期英才教育でつめ込むと、何をやっても心が波打たない子になる

 私の以前の生徒に、何にも興味を示さない小学5年生の子がいました。私立の小学校に通っていて、幼児教育や英才教育の塾にも行っていました。
 フラッシュカード、速読、右脳教育などを、子どもの意思に関係なく次々と与えられて、楽しむことを知らずに大きくなっていく。それを繰り返していると、本当は楽しいはずの体験をしたり、新しい知識を吸収したりしても、心がまったく波打たない子どもになってしまうのです。直感で物事を捉えることが習慣になってしまって、理解や納得に興味を示さなくなってしまうのです。そうなってしまうと、もう一朝一夕では治りません。フラッシュカードや速読による直感頼りの学習から、自分の頭のなかにある言葉で考えるスローな学習に変えていくことも必要ですし、知ることや、わかることの楽しさも教えていくとなると、場合によっては、治すのに5年以上かかることもあります。

 さらには、こんなケースもありました。算数だけが飛び抜けてできる小学6年生の子どもです。
 算数の能力はもう抜群で、理科もほどほどにできましたが、国語の成績が本当に悪かったのです。
 優秀な国語の家庭教師をつけても点数が上がらないため、困り果てたお母さんは、何度も私のところに相談にこられました。
 お母さんとさまざまに話してわかったのは、その子が赤ん坊の時に数字にばかり親しんでいたということです。
 表には数字、裏にはひらがなが書いてある積木を用意すると、幼い頃は一般的に、子どもは数字ではなくひらがなで遊ぶものですが、その子はいつも数字のほうで遊んでいたといいます。ハイハイをしていた1歳の時から簡単な足し算はできたといいますから驚きです。
 でも、それは決してよい結果を生みませんでした。その子も中学受験をしたのですが、結局合格できなかったのです。
 中学3年生になる頃まで私に連絡があり、「英語と国語がまったくできなくて、内申が取れないんです。どうしましょう」と、お母さんがお手上げになっている様子が印象的でした。
 これは、過剰に偏った刺激だけを与え続けるとどうなるかという、一つのわかりやすい例だと思います。

◇子どもが嬉々としてする習いごとは間違いなく効果的
 
(中略)

 子どもが幼い頃には、適切な量や質の刺激を与えることを心がけてください。親が意図的に与える早期英才教育などの“学習刺激”以上に、普通の生活のなかで親が知らないうちに子どもが受けている“学習刺激”に注目しましょう。それは、英才教育などではありません。友だちとの遊びや、一人遊び、家でのお手伝いや会話を通じて、子どもは学習に結びつく刺激を受け続けています。だからこそ、子どもには普通の遊びをどんどんやらせてください。ちょっとしたお出かけや、買い物、旅行など、親子でさまざまな経験を積むこともおすすめします。親と一緒にしたことは、幼い子どもの心には思い出とともに深く刻まれるので、脳を成長させる刺激としてとても効果的です。

◇子どもが楽しんでやっている習い事は間違いなく効果がある

 よく、小学生の習いごとは何をどれくらいすればいいのかと聞かれるのですが、それについては一概には言えません。精神的、体力的にたくましい子どももいれば、それほどタフではない子どももいるなど、小学生のうちは特に個人差が大きいからです。
 確かに、スポーツや音楽などの身体で覚える芸事は、幼いうちから始めるメリットはあります。
 基準は、子どもが喜んで楽しそうにやっているかどうかです。どんな習い事でも、子どもが嬉々としてやっていれば、それは間違いなく効果があります。
 反対に子どもが日々疲れ切っているようであれば、習い事の数を減らしたり、内容を見直したりする必要があるでしょう。

 

 

 

 

大森久蔵

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:51 |コメントする    Print This Post


集中力を育む「モンテッソーリ教育」の本質

■子どもは自分の「伸ばしたい能力」を知っている

モンテッソーリ教育は、マリア・モンテッソーリ(1870~1952)という、女性医学者・科学者によって、イタリアで始められた教育法です。今日では、欧米で3割の子どもが何らかの形でこの教育を受けているといわれています。

マリア・モンテッソーリは、すべての子どもは、「自らを伸ばす力(自己教育力)」を持っていると考えました。そのため、大人が子どもに「教える」のではなく、大人はあくまでも「サポート役」に徹することを求めます。私たちはともすると、子どもを教え導きたくなるものですが、そこをぐっと踏みとどまり、子どもの自分で伸びる力を信じ、そのための環境を整える役割に徹する。それがこの教育法の根底に流れる精神です。

小さくても、子どもは自分の伸ばしたい能力に気づいています。そしてその能力を伸ばすために、大人から見ると「なんで?」と思うような行動をとったり、同じことを何度も繰り返したりします。

たとえば「急いで!」といくら言っても急がない。いつもと違う道で帰るとかんしゃくを起こす。毎日同じ服を着ようとする、お友達におもちゃを譲ることができない……。これら日常の「事件」は、1歳半から3歳の間に多く現れ、大人はこれを「イヤイヤ期」と呼んでいます。しかし、これら大人にとっては「困った行動」の裏には、子どもが大きく成長するためのヒントが隠されているのです。

私たちはこの時期をイヤイヤ期ではなく「敏感期」と呼んでいます。「敏感期」自体は、子どもの成長を通じて長い間続きますが、その特徴がいちばん表に現れるのは、人生最初の6年間です。そして言葉を話し始める頃のイヤイヤ期と重なる時期が、敏感期の中でも親子の衝突がいちばん生じやすい時期となります。

■敏感期に「同じことを繰り返す」ことで、集中力が育つ

自分を伸ばす活動に、一生のうちでいちばん「敏感」になるこの時期、子どもはその能力をどんどん形にしていきます。しかし一方で、親がそれと気づかずさまざまなことを「ダメ!」と禁止するのもこの頃です。それは、子どものためによかれと思って、反対に子どもの大切な才能の芽をせっせと摘んでいるようなもの。まずは親が子どもをよく観察し、子どもが何に敏感になっているかを知ることが必要です。

ちょうど2歳になるコウタ君。保育園に入るときに、ママに抱っこをしてもらい「ピンポン」をするのが日課です。ある日、会社に遅刻しそうになった母親がインターホンを押したところ、突然かんしゃくを起こし、地面に転がり泣き叫びだしました。母親も真っ赤な顔をして「もう遅刻だわ!」と怒っています。いったいコウタ君に何が起こったのでしょう。

この時期のコウタ君は「秩序の敏感期」にあって、毎日の「習慣にこだわる」ことを通して、秩序を身に付けようとしていました。この敏感期にあたる子どもは、いつもと違うことが許せません。ですから突然の予定変更、この場合「今日だけはピンポンできない」というのは、無理なのです。

この時期に「同じことを同じように繰り返す」ことで、子どもは「集中して同じことを行う力」を身に付けていきます。これは将来、物事を集中して行う力、すなわち集中力につながっていきます。

モンテッソーリ園の特徴の一つに、「お仕事」と呼ばれる活動があります。ここでは、工作、手作業、家事など、その子の好きなことを好きなだけしていいのです。

藤井四段は「ハートバッグ」と呼ばれる工作をし続けたといわれますが、工作だけでなく、木の玉にひもを通したり、縫い物をしたり、トングをつかって銀杏を移動させたりと、自分で選んだ好きな「お仕事」ができます。

3歳のハルト君のお気に入りの「お仕事」は、腕輪作り。2センチほどに細かくカットされたストローを、ビーズのように、ひもに一つひとつ通して作ります。

5月の初めには、なかなかうまくストローに通せなかったのですが、8月になる頃にはストローとストローの間に、小さな紙の飾りを入れられるようにまでなりました。この間、ハルト君が作ったストローの腕輪は100を軽く超えています。

普通、工作の時間というのは、今週は折り紙、次の週は粘土、その翌週はお絵かきなど、どんどんテーマが変わります。しかし、モンテッソーリ園の「お仕事」に関していえば、「その子が好きなことを、好きなだけ」することができるのです。これは大きな違いだと私は考えています。

同じものを集中して作り続けることで、ちょっとした違いに気がついたり、自ら違いを考え出したりすることができるようになります。同じように見えるハルト君のストローの腕輪ひとつをとっても、昨日は「寒色ベース」の色の組み合わせ、今日は「グラデーション」など、本人なりに非常に細かい工夫をしています。これは自分の好きなものを、延々と作り続けているからこそ生まれる工夫です。このように徹底的に好きなことをすることを通じて、子どもは集中すること、好きなことにのめり込むことを、「体験として」学んでいくのです。

■敏感期に、生きるための「型」を身に付ける

敏感期とは、武道でいえば「型」を身に付ける時期です。「集中しなさい!」と親がいくら言っても、集中した経験を持たない子は、何においても集中することができません。つまり「集中するという型」を、この時期に体を使って身に付けた子は、集中するということがどんなことかが、教えられなくてもわかるのです。それが将棋に向かうこともあれば、運動に向かうことも、勉強に向かうこともあります。

敏感期がとりわけ大切なのは、大人がただ教えるだけでは身に付けることができない、さまざまな生き方の「型」を、身に付けることができる時期だからです。しかし、親がそのことを知らなければ、「ピンポン」ができず泣き叫ぶわが子に向かって、「ワガママ」「言うことを聞かない」などといって、しかってしまうことでしょう。

「習慣にこだわる」敏感期にある子どもには、「同じことを、同じように」させてあげることが大切。冒頭のコウタ君であれば、いつもどおりに「ピンポン」をさせてあげることが親の役割です。なぜなら、それが親が「習慣の敏感期」の子どもにできる、唯一のサポートだからです。

引用:リンク

 

 

 

 

中 竜馬

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:38 |コメントする    Print This Post


【10歳からの子育て】思春期や反抗期で親が注意するべき10箇条

リンク
より、引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
小学校高学年に入り、あんなにかわいかったわが子も少しずつ自立。時に親に口答えしたり、生意気なことを言ってみたりと、親としては、思い通りにならない子の反抗に頭を抱えることも…。そんな親たちに、「子育ては、10歳で1度リセットすべき!」とアドバイスするのは、「花まる学習会」を経営し、独自の中学受験法を提案する高濱正伸氏だ。10歳からの子育てこそが、子の将来を左右し、親子の一生の関係を築く基盤になるという。

●10歳以降、子どもと伴走できるのは、同性の親のみ!

「今は、〇〇式、〇〇法など、育児の情報が氾濫していて、気の毒なことに、お母様方の頭のなかも大混乱していることと思います。何を信じていいのかわからなくなって、ドツボにはまってしまう方も多いのではないでしょうか? 私が提案する子育て法は実に簡単で、10歳までと10歳以降の育児、子どもへの接し方を変えるだけ。小学校高学年に入り、イモ虫から蝶へとすさまじい成長を遂げ、羽ばたいていくお子様と“1人の人間”として接することから始めていきます」(高濱氏 以下同)

 中学受験を通し、多くの親子を観察してきた高濱氏が、“10歳からの子育てリセット10箇条”をレクチャー!

 【10歳からの子育てで注意すべき10箇条】

その1●ひとつの目安として、小学5年生の4月になったら、親が「今日からあなたは大人。これからは本音の付き合いでやっていこう。余計な口出しはしないから、自分のことは自分でしっかりとやりなさい」と子に伝える。10歳以降は、子ども扱いしないこと。

その2●10歳以降は、「同性の親」の役割が大切。同性の親が先人として、人生や恋や結婚や仕事などについて本音を語るようにする。異性の親は、基本、距離をとられると覚悟する。

その3●子どもが悩んだときは、「こうすべき!」というアドバイスよりも、親自身の体験談や失敗談が心に響く。信頼しあう先輩後輩として、親がすべてをさらけ出す。

その4●親の信念はぶつけて良いが、上から目線の「べき論」アドバイスは不要。

その5●子どもをドンドン外に出す。塾の講師やサッカーのコーチなど、子どもが信頼できる“外の師匠”を見つける。

その6●子どもが元気がないときに口出ししないのは辛いが、親としては辛抱のとき。学校に対しては、「事件化して糾弾」ではなく、一人の子を見守る仲間として話し合う気持ちで臨む。基本、「モメごとは肥やし」という意識で。

その7●無駄な買い与えはしない。PCは、親の目の届く空間で、時間を決めてやらせるようにする。男子は特に、ゲーム系の中毒に注意。

その8●秘密を持たせる。

その9●多くの達成体験を積ませる。

その10●友だちの子どもを親が選ばない。
 

「特に異性の息子を持つお母様方は、“なかなか自分の思い通りにならないし、得体が知れないけど、かわいい!”と言って、息子たちに過干渉になる傾向があるようです。そうして手をかけすぎた結果、バランスが取れない男子が形成されてしまう。10歳を過ぎたら、“もう何も話してくれませんよ”と母親が嘆くくらいが正常なのです。母親は子どもを1人の大人として扱い、いいバランスで気にかけながら、ある程度はほおっておく。ほおっておかれるからこそ、子の主体性が育まれるというものです」

 異性との交際経験もなく、プライドばかり高い“困った大人”にしないためにも、子どもが10歳になったら、親の方から“子離れ宣言”し、同性の親が恋や仕事…人生において必要な知恵や知識を伝授する。これこそが、男が男らしく、女が女らしく成長する重要なカギになると語る高濱氏。将来わが子を“困った大人”にしないために…親が今からやれることは、まだまだありそうだ。

がらがらどん♪

 にほんブログ村 その他日記ブログへ
 (ありがとうございます

posted by staff at : 11:14 |コメントする    Print This Post


次のページ »