潜在意識教育2 ~裡にある力を喚び起こす認め方

社会が豊かになり、飢えの圧力を下敷きにした命令と強制圧力が無効化して以降、世間では「褒めて育てる」論が増えたが、むしろやる気を削がれる人が増えたのではないか。

結局、「褒めて育てる」といっても、ムチ(脅して服従させる)を反転させてアメ(報酬を与えて利益誘導する)を使う旧い発想に過ぎないからだ。

本当に相手のやる気を喚起しようとすれば、どんな言葉を与えるかではなく、相手の裡にどんな力が存在して、これを人の役立つ方向で喚び起こすには、どんな角度から言葉をかけるのかを検討する必要がある。

野口晴哉著『潜在意識教育』1966年 全生社 P160~162より
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親や大人は、子供を褒めることだとつい油断して不用意に褒めてしまう。絵を画いて上手だと褒めたら、褒められた子供はそれまでただ楽しんで画いていたのだが、褒められたために、褒められようとして上手に画こうとし出した。

みなに見せて回るが、いくら見せて回っても不安である、褒められない。そこで、絵を書くのが嫌になってしまったという子供があった。それは大人が不用意に褒めたからである。

褒める場合でもその中にある力を認める。認めるというより喚び起こしてゆくという方向で褒めなくてはいけない。

自分の部屋をきれいに片付けたという場合、「きれいに片づけたね」と褒めたら、その子供が後で玄関を汚したり、他の子供の部谷を汚したりするようになった。他の子はもっと上手に片づけるのかと不安になった。

「お前はきれい好きだね」と認めてやれば戸棚の中まできれいにする。よその子供がきれいにしたところでも、気持ちよく感じるようになる。絵を褒められた子供は、兄さんの描いた絵を破いて何回か喧嘩をした。兄さんの上手な絵があったのでは自分の絵が褒められない。迷惑だから破いてしまったのである。
(中略)

落ち着いて考えれば、お化粧が上手だなどというのは、「あなたは醜いが、よくもまあそうきれいに見せかけられるものだ」というわけなのだが、そこまでは受け取らない。度合や角度が適当だと、そういうように本当は貶されている言葉でも褒められているつもりになる。

だから褒める言葉や何かよりは、それを繰り返す度合や角度の問題である。ともかく、いろいろの行為の中に、その最初の力を認めれば、その力は湧き出してくる。
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大島健男

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