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【新しい子育ての形】みんな自分の子供みたいに思える場所~自主保育・野毛風の子~

Posted By staff On 2015年11月23日 @ 10:51 AM In 未分類 | No Comments

現在、1歳8ヶ月の息子を、今年の4月から認可保育園に預けて仕事をしています。
それまでは、るいネットにもいくつか投稿されているように、会社内で同僚と共同保育をしていました。(281035 [1])

現在は、うちも含め、始めた当初の子供たち3人はみな1歳を超え、動き回るようになると、外遊びがメインになり、室内で見るには限界があったこともあり、3人は、認可保育園に通っており、共同保育室は、新しい赤ちゃんたちを迎え、第2期が始まっています。

認可保育園に通わるという、一般的な形(保育のプロに預けて、日中仕事に専念する)スタイルをとっているわけですが、それ以外にも、様々な子育ての形があるはず!

ということで、今回は、保育のプロをおかず、お母さんたちが、自分の子・よその子関係なく、家族のように、自分達で集まって子育てをしている、『自主保育 野毛風の子』を紹介したいと思います。

HUFF POST SOCIETY リンク [2]からの紹介です。

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2月のある日、多摩川土手に向かった。駅から歩いて15分くらい。たどり着いたら10時頃だっただろうか。

土手の上から見下ろすと、お母さんが二人、子供たちは6、7人はいたと思う。それが<自主保育・野毛風の子>の保育現場だった。建物も施設も何もない。土手。それだけだ。

お母さん二人はそれぞれ、自分の子供、まだ小さな、1、2才程度の子供をそれぞれ連れている。小さいのでお母さんの側を離れない。他の子はもっと大きくて、4才~6才くらいだろう。彼らはそれぞれ、ちょっと遠くで好き勝手に遊んでいる。

二人の男の子は水の流れの中にコンクリートの石が並べてあるところで、足を濡らしたりしながら遊んでいる。二人のお母さんは、見守っている。時折、「ちょっと危なくない?」てな局面もあるのだけど、ただ見守っている。

ちょっとハラハラした。普通のお母さんなら「ほらほら、危ないわよ。水辺で遊んじゃダメよ」と言いそうなところだ。いやぼく自身が言いたくなった。でもそんなこと言わない。

そういう方針なのだ。

そのうち、一組、さらに一組と、お母さんと子供たちが集まってきた。最終的にはお母さん7、8人、子供たち十数名になった。集まったからと言って「ピピーッ!」と笛が吹かれたりもしない。相変わらず子供たちは勝手にやっている。お母さんたちも何か決まったことをやるわけではない。

全体に、無雑作だ。ほったらかしだ。決まりなしだ。

ただ、なんだかみんな、楽しそうだ。

決まりめいたものとしては、小さい子は、その子のお母さんが同行して相手をする。幼稚園に入る年になると、「あずけあい」ができる。自分の子を「風の子」にあずけていい。あずかった子は、当番のお母さんが見守る。でもずっとすぐそばにいるわけではない。見守る。

あるお母さんは言う。やはり最初は「見守る」ことに戸惑った。でもガマンした。危ないからやめなさい、と言うのをこらえた。だんだん、わかってきた。

ここんとこ、たき火をやってなかったね、今日はやろうよ、となった。河原の石を集めて急造のかまどができて、倉庫から持ってきた木を使ってたき火がはじまった。

男の子はとくに火を面白がる。これも、火に近寄っちゃダメ!とは言わない。いやぼくはホントに言いそうになったのだけど。でも黙って見ていると子供たちはちゃんと火傷をしないように火に接している。そういうものなのだろう。

たき火をしているのも含めて、写真に撮ったのがこれだ。およそ”保育”という言葉とは程遠いかもしれない。ほんとうに無造作だ。

この<自主保育・野毛風の子>は二十年以上前から続いているのだという。二十年?この河原はぼくの自宅からもそう遠くはない場所なのだけど、十数年前にぼくの子供たちが幼児だった頃、まったく知らなかった。

二十年前にはじめた方がこの近くにお住まいだという。その方は指導に来ないの?と聞くと、その時その時のお母さんたちが自分たちなりにやればいい、という方針だという。だから直接関与することはない。過去に参加していたOGたちも、手伝ってくれることはあるが、どうしろとかこうじゃなきゃダメとか、そんなことは言ってこない。先輩お母さんたちも、いまのお母さんたちを見守っている。

(中略)

それにしても、この自主保育は、幼稚園や保育所と何が違うのだろう。あるいは公園デビューの公園コミュニティとどこが違うのだろう。

信頼関係。なのだそうだ。

あるお母さんは「みんな自分の子供みたいに思えてくる」と言っていた。公園コミュニティでは、それぞれの子供をそれぞれのお母さんが連れてきて、それぞれ遊ばせている。だからよその子とトラブルにならないようにする。「それは○○○ちゃんのオモチャじゃないでしょ、返しなさい」よその子と関わらないように迷惑をかけないように気をつかう。結局、見てるのは自分の子だけ。しかも見守るなんてことじゃない。

公園では、迷惑をかけてはいけない。

風の子は、みんな自分の子供のようにとらえる。あずけあう、というのはそういうことだ。信頼しあっているから、あずけるし、あずかるのだ。

そのためには、言いたいことを言いあうことがとても大事。だから、ミーティングは時間をかけて行うそうだ。毎日、夕方になると一時間程度、その日にあったことを、あずかった側があずけた側に伝える。月に一回、定例ミーティングがあり、意見を言いあう。遠慮せずに思ったことをぶつけ合う。それによって、信頼関係が生まれるのだという。

言いたいことを言いあう。みんなが自分の子供に思える。

それはひょっとしたら、お母さんたちが疑似的な血縁者になる、ということかもしれないと思った。自主保育のお母さん同士は、姉妹のようになるのだ。

思い出したのだが、ぼくが子供の頃は親戚でしょっちゅう集まっていた。集まるのは父方より母方の親戚の方が圧倒的に頻度が高かった。母は三姉妹の長女だった。従兄弟同士はぼくの姉以外、男だらけで年も近く、それこそ勝手に遊び回っていた。母と伯母たちはおしゃべりしていた。悩み相談もあっただろう。きっと心強かったんじゃないだろうか。

姉妹と同じとまで言えるかわからないが、それに近い親密な関係が、できあがっているのだと思う。それが、都市の中で核家族としている孤独を解消してくれる。会社員として立派にキャリアを積んできて、出産によって突然まったく別世界にワープしたような孤独な状態だったのが、新しく生き生きした人間関係に接続できる。子供たちもその人間関係に溶け込んで成長する。そんなシステムがここにはでき上がっているのだ。

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引用おわり

 

 

樫村志穂美


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[1] 281035: http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=281035

[2] リンク: http://www.huffingtonpost.jp/osamu-sakai/baby_b_4800504.html

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