愚痴るって、もったいない!!

こんにちは~ :m034: やまずんです :love:
なんで屋さんの教科書「るいネット」に、こんな投稿がありました。
世の中にはいろんな愚痴がある。
・会社への愚痴
・上司への愚痴
・学校への愚痴
・先生への愚痴
いろんな愚痴はあるけれども、愚痴を言うだけでは、何も変らない。

確かに~ :-(
だけど、そういうとき、どうしてったらいいんだろう・・ :roll:
・・・すると、こんな答えの投稿が入りました :m030:
(るいネットは、こうしてみんなの疑問を追求する中で答えが出ています :m217:

>実現しないと愚痴になる。このことを具体的に考えれば、批判になる、要求するだけになる、だと考えます。
>共通項は対象性の喪失です。愚痴るということは何らかの対象があるわけですがその対象に近づいてゆけない。想いが伝わらない。例えそれが、自分の想い、他人から得られた自分の想い、他人による他人の想いであっても、関係性が異なるだけで対象性の喪失という共通項は残存します。
>最近になって私が実現できたことを発信させていただきますのでご参考になれば幸いです。

続きを読む前に・・ :m208:
(ありがとうございます :m102:

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 (ありがとうございます


ある小学校の登下校では、交通安全のボランティアの方々が黄色い旗をもって多勢出られます。主にはおじいさん方とお母さん方です。某日下校途中、ボランティアの方が児童のために長時間自動車の通行を止めていられました。私も自転車ですが待った一人です。あまりにも長いのでみな多少イライラしていましたがそこは児童のためと想ってニコニコと待っていました。
ところが下校の列が途切れ交差点の流れを再開しても良いときになってもずっと遠くの子供を手振りで呼び寄せ、横断者0になってからもずっと流れを止めたままにしてしまいました。そうなると誰のためでもなくボランティアの方のために待つような感じになります。
それはそれでおじいさんがんばってと言う気持ちでみんな待っていたわけですが、ようやく来た子供たちが交差点の真ん中であかんべえをしたり、自分のおしりをぺんぺんと叩くような悪ふざけをしたので、イライラを通り越して残念な思いをしました。
路上で過保護。クルマは止まるべきで子供はゆっくりと渡るべき権利がある。と子供たちに思わせてしまっては、他所での危険回避能力が低下するばかりか、感謝の気持ちが全く芽生えない人に育ってしまいます。
この体験を私は塾で話しました。残念な思いを人にさせてはいけない。
話を聞いてくれた子供がすごかったのです。翌日教頭先生に一部始終を話すと、教頭はすぐに該当者を割り出し全体指導と個別指導を組み合わせてくれたそうです。
すぐに変わりました。わずか二日で待たせたらお礼を言える、大人たちからかわいがられる子、褒められる子達に成長したのです。
「最近の子は」という対象性を失った言葉は数多く聞かれますが、それだけ直接関わっていないことによる愚痴になっているのです。私は話を聞けた塾生、伝えられた塾生、変わることの出来た小学生、変えることのできた教頭をすべて実現できた人だと考えています。 (私の最近の実現例
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日常生活でも、問題点や改善点はあるものです。
それは、今の生活よりもよりよくなっていけるところが見える、
常に新たな可能性が潜んでいる、ということで、当然であり、また更に充足していけることなんです。
でも、それを愚痴と捉えてしまった途端、実現することができなくなってしまいます。
本当に必要なのは、「実現するには、どうしたらいいの?」。
投稿者の実感でもそうですが、発信して、実現していけば、みんな充足するんです :m051:
ポイントは、「みんな」です。
このことで充足したのは、長い時間待たされていた車に乗った大人たちだけではありません。
子供たちも、お母さんおじいさん方も、教頭先生も、
みんな、お互いに気持ちよい関係が作れた、そのことでみんな充足したのです。
そういう視点で考えると、愚痴の中身って、充足への可能性 :m034:
愚痴ってるって、もったいない :cry:
せっかく見つけた更なる充足源、実現させていきましょう :m030:


posted by staff at : 14:56 |コメント(2)    Print This Post