今や現実の方が断然おもしろい!!

なんで?を一緒に考えよう☆.jpg
どうも :m034: あこりんです :m030:
先日、るいネットカード工房の記事を引用してもらいました :m208: :m117: 『リスペクトしているけど、同化する気はない??』です。
ありがとうございます :m023:
そして、その投稿のやりとりの中で、
一つ気づいたことがあるのです :shock:
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 (ありがとうございます

:m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:
「尊敬する」とは言っても、この人はこんなところがすごい、
あの人はこんなことが得意だ、というようにカテゴライズして、
その人の性格というか特徴の一つのように捉えていたように思います。
だから、口では「あの人のようになりたい」と言うけれど、
だからと言って本当にその人のようになろうと実現するために
課題化
したりはしていませんでした。
「褒めれば喜んでもらえる」ということは分かっているので、
コミュニケーションの話題の一つとしてその人の「良い部分=尊敬する部分」として、
周りの人の特徴を捉えようとしたのではないかと思います。
『リスペクトはコミュニケーション手段の一つ!?』より) :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:   :m161:   :m163:

身近な人を褒めるのがコミュニケーションの手段の一つだってことに、
おどろきました :shock: :m051:  (手段なんて、意識したことなかったので。。。)
現実否定 :m117: 肯定への流れはあるにしても、おもしろい現象です。
ここでのキーワードとして、一つ重要なことが、
話題の対象が『身近な人☆』っていうところでしょうか?
かつては、『カリスマ○○』みたいな、
ある特定の人たちがもてはやされた時代もありましたが、
その潮流も衰弱し、対象が身近になってきたような :roll: :m052:

  :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:
>現状、観念収束の主たる敵対物、競合物である映像刺激、
幻想刺激(テレビなど)は、視聴率を低下させてきてはいる。
>>実は『実物収束』によって大きく包括されているという事が最近分かった。
具体に言うと、映画を見ると感情移入して見入る旧い世代に対し、
客観的に非現実と捉えながらその背後等に肉薄して見る若者達
そういった若者達は、同じ金額を払うなら非現実の映画より、
友人と食事をして会話を楽しむといった実物を選ぶ というのである。
( 『日本語能力の低下と現在の若者達』 より)
>かつて、映画にしろ、テレビにしろ、映像刺激、
幻想刺激への収束が成立した根拠は、共同体の解体→解脱基盤の喪失にあった。
しかし、現実の仲間関係→共認充足に収束する若者は、
最早たいして幻想刺激(代償物)を求めてはいない。
( 『人々が幻想刺激(テレビ)を捨て、観念体系(≒知の結晶物、鑑、経典)に収束する基盤は、【現実、実物収束】の潮流にあるのでは?』 より)
  :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:   :m215:   :m216:   :m217:

:m116: の記事は、もっぱら映像刺激との対比での
実物収束についての記事を引用しましたが、
日常生活でも、この『実物収束』 :m034: の流れってあると思います。
まだまだ、同化対象としては薄いのかもしれませんが、
『尊敬』の対象身近になってきている。
現実に見たその人の行動・言動などを具体的に捉えようとしていることに、
可能性を感じます :m208:
詳しくは、『現代意識潮流を探る、その深層には?』へGO :m049: :m117: リンク


posted by staff at : 18:48 |コメント(6)    Print This Post